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オール4な生き方してきました 3話目
ボクは小学校1年生から書道教室に通い習字をやっていました。
そこで幼なじみとの運命的な出逢いをします。
何があったとかではなくて、その幼なじみとは47歳になった現在でも仲良し。
社会人となってからかなり年月も経ちますが、月に2度は一緒に飲んでます。
ボクもその幼なじみも人当たりが良くて、お互いのクラスでもリーダー格で、勉強もスポーツも同じ位に出来ていたので先生からも友達からも信頼度高めでした。
知り合ってからは1年の内の350日位は一緒に過ごしていたので、お互いの兄弟よりも長い時間を過ごしていたのだと思います。
小学校5年生になり5・6年は同じクラスになったのですが、更に仲の良さは増しました。
同じ少年野球チームで、幼なじみは主将、ボクは副主将。
この時から『もしかしたら幼なじみには勝てないのかなぁ』って思ったりもしてました。
そんな幼なじみも地元の同じ中学校へ進学したのですが、彼に『陸上部は女の子がいっぱいいるよ!』と、誘われて陸上部に入部しました。
体格的にボクより勝っていた幼なじみは、県大会に出場したりして、陸上部の中でも一年生の頃から花形選手としての兆しが見えていみました。
ボクはというとはじめは短距離をやっていたのですが、あまり芽が出ずに3000mの長距離に転向しました。
陸上部には学校外のクラブチームで野球やラグビーをやっている選手も多くいたので、学校部活の選手よりもハイレベルな子達が多かったです。
何よりも恵まれていた事は、部活の練習は多摩川の陸上のトラックが地元にあったので、毎日そこで練習出来たことで、近隣の他校の陸上部もそこに集まっていました。
毎日ライバル心剥き出しって程でもなくて、他校の女子を眺めていましたよ。
だからなのか?あまり大した成績は陸上で残す事なく終わったのですが、そこでも副キャプテンでした(笑)
ボクの生まれた昭和48年は第二次ベビーブームの中でも最も人数の多い生まれ年で、同い年の有名人にはイチロー選手や後藤久美子さん、宮沢りえさん、松嶋菜々子さん、Gacktさん、等々そうそうたる大物達が名を連ねています。
そんな世代なのですが、世の中はヤンキーとチーマーの狭間世代。
チーマーって知らない方も既に多いかと思いますが、興味あったらググってみて下さい。
中学生の時はまだヤンキー時代だったのですが、ボクはどうもしっくりこなくて、仲間外れにされるのは嫌だったから標準の制服じゃなくてボンタン履いてましたけどね。
でもそれを中3になって履けるのですが、卒業した先輩にボンタンを履く連中全員呼び出されて、『気合い入ってんのか!?』とか、『他校に舐められんじゃねーぞ!!』とか、色々面倒臭い事を言われるんですよ。
まだボクはそこまで自分は自分でいいやとか大人びた考え方がなかったから、仲の良かった友達から仲間外れにされたくなくてボンタン履く事にしたんですけどね😅
だから何となく何処かでツッパってなきゃいけないというこれまた面倒臭い事に付き合わなきゃならなかったんですよね😅
映画や漫画のBE-BOP HiGHSCOOLも流行っていたので、血気盛んな方々は喧嘩したいんですよ。
でもボクの中学校のこの学年はツッパっていたけど、まだ割りと平和な感じで、マジで喧嘩強い奴とかもいたけど結構のんびりな感じでした。
それでも他校が帰り際に攻めに来たりして戦慄の修羅場と化した事もありました。
ボクなんてビビっちゃってなんも出来なかったら、そこに立ちすくんで、周りの仲間に『何で何もしなかったんだよ‼️』とかって攻められる始末。。
BE BOPは映画で観たけれど、それを求められても答えられないよねぇ。。
そんな中学生時代が早く終わって卒業出来ないかなぁって、卒業を心待ちにしてましたよ(笑)