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歪なナルシシズム

こんばんは、あらけんです。

最近こんな本を読んでいました。

僕が最近好んで購読している堀元さんの有料マガジンにて紹介があった書籍なのですが、まぁ結構な良書で。

見栄を張ったり、相手に合わせて純度の低い自分を演じたり、虚栄心で話を盛ったりなどと、生きていると自己嫌悪に陥るような行動を人間とってしまいがちです。

人間の愚かさというか、対処不可能な業としてそれらの行動は描かれがちですし、太宰の書いた人間失格はその人間の闇の部分をこれでもかと描いているので、未だになお根強い人気を誇っているのだと思います。累計発行部数1000万部以上ということはそれだけ多くの人間が、罪悪感を心のうちに抱えながら生きているといえるのではないでしょうか。

このシーンに共感する人も多いでしょうが、体操の時間に葉蔵がピエロを演じ、わざと鉄棒の授業で失敗をしていた時、竹一から「ワザ。ワザ」と言われる場面。

自分が見破られ、本性が見抜かれ、お前のことは全てわかっているとでも言わんばかりの表情を竹一が浮かべた時の、胸が抉られるような心苦しさ、自信の喪失、目の前が真っ暗になる感覚、というのは誰もが人生で一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

僕もつい最近同じような出来事を経験しました。大学時代からの友人に深夜2時から4時にかけて、僕の不完全さ、ダサさ、ダメさ、カッコ悪さ、などなどを真正面から突きつけられました。竹一の「ワザ。ワザ」どころではありません。「ワザ×10000」くらい喰らいました。(良い毒であり薬になった、ありがとう)

僕自身このシーンがすごく好きであると同時に、あまり直視はしたくないなと思っていたのですが、常々「なぜこのシーンに共感してしまうんだろう?」と言語化できないモヤモヤとしたものを抱えて生きてきました。

そんな中、本著を読んでいる時に答えに近いものが見つかりました。

基本的にそれは恐怖である。彼らは、その見せかけが破れ、世間や自分自身に自分がさらけ出されるのを恐れているのである。彼らは、自分自身の邪悪性に面と向かうことを絶えず恐れている。
M・スコット・ペック.平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学(草思社文庫)(p.174).草思社.

この部分だけ抜粋すると少しわかりづらいのですが、この本の中では嘘をついたり、人を欺いたりする人のことを自己の不完全性を受け入れることができない人たちと表現されています。

また本書では

現時点では人間の悪をいかに治療すべきかわかっていないという事実は、むしろ、これを病気と名づけるに最もふさわしい理由となるものである。
M・スコット・ペック.平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学(草思社文庫)(p.177).草思社.

とも筆者は述べられています。

僕自身、人間失格を読んでいる時にいつも「共感するけど、救いようのない話だよなぁ」と思っていました。自分に邪悪性が潜むことをまざまざと見せつけられるのだけれども、葉蔵がその邪悪性を克服し、歪んだ自己愛を正し、ありのままの姿で生きていくシーンは描かれず、悲惨で陰鬱としたまま幕を閉じている。

そして太宰も自分自身を救うことはできず、38歳で入水自殺をしました。

確かに人間失格に込めたかったメッセージなど十把一絡げの僕が邪推したところで、また太宰はもう死んでしまった人間なので、わかるはずもないです。だけど、そういった人間の愚かさが「救いようのないもの」として描かれすぎたため、「このような業は救われないのだ」と諦めてしまった読者も多いんじゃないでしょうか。

そんな中、M・スコット・ペック氏は邪悪性は病気であるとして捉えるべきだと提言し、本書の中で邪悪性を克服できるよう患者に様々な試みを図っています。

病気と捉えるべきという提言に、僕は非常に救われました。思い返せば人生の中で山ほどの恥の多い出来事がありましたが、でもその原因が病気ならまた話は別だな、と。対処不可能な性ではなく、社会的動物として生きる中で患ってしまった病気であるのであれば治療することは可能であるな、と。

この本を読んで改めて、月並みな言葉ではありますが、言葉の持つ力ってすごいなと認識することができたように思えます。病気だと捉えることによって、盲腸や骨折を治すかのように、対処法の想起を容易くし、人々の気持ちを前向きにさせるのだなと。

確かに人間失格も莫大な数の人間に自身の業について考えるきっかけを与えており、まごうことなき名著だと思います。ですが一方でそこには救いがなかった。

その救いを太宰に代わって提供してくれたのが、M・スコット・ペック氏なのではないだろうか。病気として扱うという新鮮な見方を提供したからこそ、太宰に影響を受けた読者のバイアスを取り除き、より豊かな人生へ進むための方法を提供できたのではないかと。

ただ一方で、自分のダメな部分に真正面から向き合って、弱さを認めて、その上で克服していくのって、そりゃ〜〜〜〜〜〜もう、めちゃくちゃにしんどいことですし、死ぬほどエネルギー使うので、多くの人が何かしら言い訳をしながら目を背けるところだと思うんだけど、本当の意味で人間らしく生きるためには避けては通れない道だと僕は思ってます。(というか自分に思い込ませています)

だけど本当は、そんなカッコ悪いことすらできない自分に向き合いたくないだけなんでしょう?
朝井リョウ.何者(新潮文庫)(p.316).新潮社.

大学生の時に考えた理想の自分を生きられている大人って日本に何人いるんだろうか。どこかで挫折し、どこかで諦め、どこかで逃げ、現実に負けて、そこそこの自分に満足して生きている人って多いと思うし、僕自身もそうだ。

でもそんな自己欺瞞もうやめよう

カッコ悪い姿のままがむしゃらにあがくしか、僕たちに救いの道は残されていないのだから。

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参考文献

人間失格(新潮文庫)

平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学(草思社文庫)

何者(新潮文庫)





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