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『論語と算盤』考察6 言は多きに務めず

 次の一万円札と2021年の大河ドラマの主人公、渋沢栄一の足跡を、僕の目線で考察していきます。

 『論語と算盤』を何度となく通読していますが、意外とスルーしていたところ。それが冒頭の「格言五則」。一つずつ考察していこうと思います。


三つめ。
言は多きに務めず。其の謂う所を審(あきら)かにするに務む。 大戴礼記
言葉は多ければよいものではない。その趣旨を明らかにすることが大切。

おさらい

格言五則の前後を確認してみると、
2つめ
言を発して庭に盈(み)つ。誰か敢てその咎を執らん。
皆が意見を述べたて庭中いっぱい。けれども、誰もその責任を取ろうとしない。

4つめ
声は小にして聞こえざるはなく、行いは隠しても形(あらわ)れざるはなし。
だから、優れた人の声は、たとえ小さくとも必ず聞こえ、その行いは隠していても必ず現れる。


1つめからまとめると、
①言葉と行動は大事だよ
②でも、普通の人はいろいろ言うけど何もしようとしないね
③言葉は多さではなく、発言の意味が大事だよ
④だから立派な人の声(意見)は、小さくても影響力があるよ
続く…

巧言令色

 この言葉でまっさきに思い出したのが、論語の「巧言令色すくなし仁」
と、の反対の目線からから同じことを言っている「剛毅木訥仁に近し」。
まず、この「巧言令色」をキーワードに考察していきます。

 巧言令色とは、口先でうまいことを言ったり、うわべだけ愛想をふりまくこと。つまり、口ばっかりで何もしないやつ、です。

 口ばっかりので何もしないやつは昔も今も評価が低いもので、言葉と行動に関する格言は、孔子だけでなく数多くあります。第三訓の引用元である『大戴礼記』は漢代の本ですし、明代の王陽明も、「知行合一」(考えと行動の一致)を陽明学のメインテーマの一つにしています。

 ちなみに、本人(渋沢栄一)がどこまで意識していたかはわかりませんが、学問のジャンルでいうと、渋沢栄一は陽明学の影響を強く受けていたのではないかと思っています(まあ、陽明学も元をたどると孔子なので同じと言えば同じですが)。

 それは、格言五則が全て知行合一で説明できると思われることと、後年親交が深かった三島中州(処世と信条-論語と算盤とは甚だ遠くして甚だ近きもので出てくる「三島毅先生」。師匠が陽明学者の山田方谷、その師匠が、『言志四録』の佐藤一斎。)とは、義理合一論で意気投合しているところです。また、直接関係はないですが、渋沢は、朱子学について、「富貴説に対する見解だけは、どうも肯首することができない」(『青淵百話』22-朱子学の罪)と言っています。

 今後、陽明学など学問的なアプローチから、考察する機会もつくっていきたいと思います。


閑話休題。


 では、巧言令色がダメなのであれば、剛毅朴訥、つまり、口数少なく、めったなことは口にしないほうがいいのでしょうか?「口は災いの元」と言いますし。

 一方で、渋沢栄一は、「口舌は禍福の生じる門」とも言っています。
『青淵百話』18-口舌は禍福の門 によると、「多弁はよいが妄語は悪い」、「確信ある言語は大いに必要なり」、「口舌より来る福祉」などとまとめられています。
口は災いの元にもなるし、福を招く元にもなる、というわけです。
それでは、災いを減らす話し方はどうすればいいか?

答えは、「片言隻語必ずこれを妄りにすべからず」。

 思ってもいないことを言わないのはもちろんですが、ちょっとした言い方もおそろかにせず、相手が不快にならないように言葉を選んだり、ということでしょう。
これはこれで、言葉を選んで口数が少なくなる気がしないでもないですが…。

 「片言隻語必ずこれを妄りにすべからず」は、第三訓と趣旨は同じなのだと思います。

 反対の目線からから同じことを言っている「剛毅木訥仁に近し」は、次回の格言4で話題にしたいと思います。

発言の趣旨

其の謂う所を審(あきら)かにするに務む。

 発言はわかりやすく、といえば簡単ですが、ここでは発言の趣旨、というところから考えていきます。
 心あるひとであれば、発言は簡単に、わかりやすく、など気を付けていると思いますが、それと同じくらい大切だと思われるのが、発言の趣旨や、発言に至る背景を理解できているか、伝わっているか、だと思います。

 例えば、僕の仕事でいうと、「粗利率を〇%キープしましょう」みたいなことをよく言ったりしますが、最近では、お客さんによっては、「粗利率は無視してく、粗利額〇〇円をがんばって確保しましょう」みたいなことを言うことが増えました。

 これだけを聞くと、前と言ってること違うじゃねえか、となるわけです。

 ちなみにこの背景は、コロナの影響を受けまくっている業種だと、まず資金の目減りを食い止めることが大切だと思っているので、粗利率で生産性等の管理をするより、固定支出をまかなう粗利額を確保しましょう、確保できなくても、少しでも近づけましょう、という考えからの発言だったりします。

 この背景が伝わっていれば、お客さんは納得して話を聞いてくれますし、背景が伝わってなければ、「言ってることがコロコロ変わって信用できねえ」となるかもしれません。

 ここで、「コンテンツ」と「コンテキスト」という考え方があります。
「コンテンツ」は、情報の中身です。
「コンテキスト」は、文脈や背景、前後関係のことです。

 上の例えだと、「コンテンツ」が粗利率や粗利額、「コンテキスト」がコロナ禍での経営や資金繰りです。

 「其の謂う所を審(あきら)かにする」とは、まさに現代でいうコンテキストのことだと思います。

 人は(当然僕も含めて)、自分の発言の趣旨は、相手も理解しているものとして話してしまいがちです。
また、コンテンツ中心に話すことがほとんどだと思います。

 特に重要な議論などは、そのコンテキストも相手と共有できているか確認しながら話すことが大切だと思います。

 そうしないと、「巧言令色」になってしまいますので。

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齋藤健太@未来会計・渋沢栄一研究・東北の日本酒
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