見出し画像

総合型地域スポーツクラブを仕事として選んだわけ

 動機をエンジンにしてスタートをし、仕組みを作って長く走る。

 どうも、ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、誰もがいつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる地域社会の実現を目指して、総合型地域スポーツクラブの運営をしています。

 今日は、『総合型地域スポーツクラブを仕事として選んだわけ』というテーマでお話ししたいと思います。noteさんのハッシュタグ企画に乗っかる形で書かせていただきます(笑) 何をするにも動機は大切なエンジンですからね、定期的にこういう確認作業(メンテナンス)をしておくのもきっと大切なはずです!


 私が総合型地域スポーツクラブを仕事にしたのは2014年4月。31歳になる年のことでした。大手教育出版の会社をやめ、地域おこし協力隊として長野県喬木村に移住をして、喬木村総合型地域スポーツクラブ(当時)のマネジメントを仕事にしました。

 当時は色々な人に心配されましたし、これによって縁を切った親戚関係の人もいます。私の価値を就職先で測っている人というのがいたんですね。それが分かった時はとても悔しくて、”悔しさや怒りのあまり眠れない夜”という経験もしました。

 それでも私はそれから7年以上、総合型地域スポーツクラブの仕事を続けています。今のところ、本気でやめようと思ったことはありません。喬木村のクラブをやめて埼玉県富士見市に移住した時も、総合型地域スポーツクラブの仕事をやめるという選択肢はありませんでした。
 ちょっとした辛いことは人並みにあるし、メンタルが崩れた時にやめたくなることはしょっちゅうですが、基本的にはこの仕事に魅せられています。

 総合型地域スポーツクラブを仕事として選び続けているわけ。挙げればかなり出てくるような気がしますが、なるべくまとめてお話ししてみます。


自分が幸せを感じる場だった

 私が総合型地域スポーツクラブを仕事として選んだわけは、自分の人生を最高に幸せにする為です。そう言ってしまってはもうお終いなのですが、結局はそれですね。自分の人生の幸せを最大化しようとした時に、自分が幸せを感じる場になるべく長くいなければいけないなと思った瞬間があったんですね。そう思ってしまったら、当時の会社にいる時間がもうベターではなくなったんですよね。
 私が考えるベターの許容というのは、『ベストを目指している過程』です。それ以外のベターは基本的には受け入れません。

 一般的なサラリーマンだった私は、いわゆるワーク・ライフ・バランスを大切にしていました。平日の朝から夕方までは会社で働き、それ以降は趣味や自分のやりたいことの時間として確保し、7年間のサラリーマン生活で、有給休暇消化率は100%だったし、残業時間も少ない方でした。そのうえで、極めて真面目に仕事をこなすサラリーマンでした。
 きっとそのままの人生を歩んでも、それなりには幸せになれたと思います。会社にいない時間に、地域でスポーツをしたり、家族と過ごしたりして。でも、会社にいる時間が結局はかなり長いことに気が付き、そこにいる自分が最高に幸せを感じていない状態だった以上、もう会社に残ることはできませんでした。仕事をしている時間で幸せを感じなければ、人生の最大幸福は得られない。そう思ったんですね。

 そこで私は転職を考え始めるわけですが、当時の私が最も幸せを感じていたのが地域スポーツクラブだったんです。大学1年生の時に立ち上げたクラブでずっと活動を続けていたのですが、その仲間たちとスポーツをしている時や遊んでいる時が一番幸せだった。
 じゃあこれを仕事にしよう。そう思ったんです。

 一つ目の理由は、『地域スポーツクラブが最も幸せを感じる場だったから』、です。人生を最高に幸せにする為に、長い時間をそこで過ごそうと思ったわけです。


スキルや経験を試したくなった

 私が総合型地域スポーツクラブを仕事として選んだわけ。2つ目は、「スキルや経験を試したくなったから」です。

 私は新卒で入社した大手企業に7年間勤めました。そこでは本当に色々なお仕事をさせていただき、上司・先輩・同僚に鍛えられ、素晴らしい経験をさせていただいたと思っています。そこは本当に感謝しかないです。
 仕事も充実していました。頼られることも多かったと思いますし、多くの仕事を任せていただきました。正直、自信みたいなものも持っていたんです。

 私はそれを、他の仕事で試したくなったんです。用意された仕事ではなく、誰かに指示された作業ではなく、自分がやりたいと思ったことにスキルや経験を使ってみたくなったんです。

「自分の好きなスポーツのジャンルで仕事してみたら、どうなるんだろう?」

そんな興味が湧いてきてしまったんですね。舞台を変えたらやっぱり通用しないものなのか。あるいは、もっと輝けるのか。もっと社会貢献ができるのか。それが知りたくなったんです。

 普通に考えたら、好きなことにスキルを使う方が成果が出そうですよね。だからきっと、いい結果が出るとは思っていましたが、そういう実験的思考というか、知的好奇心に囃し立てられて総合型地域スポーツクラブを仕事にした側面は、確実にあります。


総合型地域スポーツクラブの最強の理念

 総合型地域スポーツクラブを仕事として選んだわけ。最後に挙げるのは、総合型地域スポーツクラブの理念です。これが最強過ぎるんです。厳密にいえば総合型地域スポーツクラブの理念は、それぞれのクラブにあるわけですが、国や日本スポーツ協会が推進している種類のクラブでもありますから、共通理念みたいなものがあるんですね。それがもう、私がやりたいこととバッチリ重なっているというのが、総合型地域スポーツクラブを選んだ理由です。

 スポーツ庁ホームページの、総合型地域スポーツクラブに関する説明文を引用しますね。

  総合型地域スポーツクラブは、人々が、身近な地域でスポ-ツに親しむことのできる新しいタイプのスポーツクラブで、子供から高齢者まで(多世代)、様々なスポーツを愛好する人々が(多種目)、初心者からトップレベルまで、それぞれの志向・レベルに合わせて参加できる(多志向)、という特徴を持ち、地域住民により自主的・主体的に運営されるスポーツクラブです。
  我が国における総合型地域スポーツクラブは、平成7年度から育成が開始され、平成29年7月には、創設準備中を含め3,580クラブが育成され、それぞれの地域において、スポーツの振興やスポーツを通じた地域づくりなどに向けた多様な活動を展開し、地域スポーツの担い手としての役割や地域コミュニティの核としての役割を果たしています。

スポーツ庁ホームページより

 私はずっと続けられるからという理由で、大学ではなく地元にクラブを立ち上げたし、剣道・野球・テニス・フットサル・サッカーと色々なスポーツをやってきた私は、特定のスポーツで人を幸せにしたい気持ちはなく、とにかく自分に合ったスポーツ、自分に合った目的とやり方で人が幸せになれればいいと思っているし、何よりも自分たちが主体となってクラブを作り上げていく過程がとても面白いと感じていたので、この総合型地域スポーツクラブはピッタリなんですね。私にとって総合型地域スポーツクラブの理念は、もう最強なんですよ。これ以上のものはないんです。

 しかもこれを国や自治体が推進しているのですから、もう乗っからない手はないですよね。これが私が、地域スポーツの世界の中でも、総合型地域スポーツクラブを選んだ理由です。


 というわけで今回は、『総合型地域スポーツクラブを仕事として選んだわけ』というテーマでお話ししました。自分の人生の最大幸福を考え、自分が持っているスキルや経験で社会貢献できる場を考え、目指したい社会の姿を考えた時に、そこに総合型地域スポーツクラブがあったという感じです。そこに色々な人たちとの縁が絡まり合って、この仕事を8年くらい続けてきています。そして今は独立してゼロから立ち上げた総合型地域スポーツクラブが成長している過程で、最高に面白い時期です。(※とても大変だけど!)まだまだやめる気はしません。

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

ここから先は

0字
総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5