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クラばな!(仮)第2話「川向こう」

〜植田の視点〜

「こんにちはー!千賀村のクラブハイツリーです!」
今日訪れているのは、千賀村の西隣に位置する谷田市の市民動物園。木製の門をくぐると、左手には鳥類の檻が横一列に伸びていて、目の前には鹿が展示されている。動物園の動物を展示物としていいのか分からないが、とにかく目の前には、柵の中の、鹿がいる。右手には事務所らしきものがある。入園無料、出入り自由の動物園の為、お客さんを歓迎している雰囲気はない。
灰色のドアをノックすると、中から70歳ほどの女性が現れた。
「私、植田といいます。隣の千賀村で活動しているクラブハイツリーのクラブマネジャーをしています。突然お邪魔してすみません。」堅くなり過ぎないように気をつけて挨拶をする。
「あらー、そうですか。それはご苦労様です」
「今日は当クラブのパンフレットを置いていただきたく、お願いに上がりました」
「はいはい」女性は聞いてるのか聞いていないのかわからないが、とりあえず敵対的ではないということは確かなように思える。これはすんなり置いてもらえるかもしれないなと、思った。
「こちらなんですが・・・」
パンフレットを見せながらさっそく具体的な提案を行う。
「そこの入り口のパンフレットスタンドに置かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あー、はいはい。ちょっと見せてねー」
女性はパンフレットをパラパラとめくると、「私が出来そうなのはないのねー」と、思わぬ角度からの言葉を放り込んできた。中身をチェックして、公共の施設に置けるかどうかを見るのかと思いきや、自分がやれるかどうかを検討していたのだ。しかしうちは総合型地域スポーツクラブ。誰にでも提案できる教室を用意している。好き嫌いは仕方がないが、検討の余地がない、ということはない。
「そんなことありませんよ。ここ見てくださいよ。これは太極拳で、ゆっくりと動くので、たぶんできますよ。ヨガもあるし、健康体操みたいなのもありますよ」
「へー。そんなにやってるんだ?」女性が関心する。
「是非やってみてくださいよ。体験は無料ですし」
「時間は何時?」
「太極拳は水曜日の午前中ですね」
「あー、じゃあ無理だわ。ここにいるから」女性は急に目を輝かせて足元を指差す。
「あー、そうですよね。他にも色々あるんで、是非見てみてください。そこ、置かせてもらっていいですか?」用件を済ませようとする。
「あー、いいよいいよ」女性はパンフレットをなおもめくりながら快諾した。
私は女性を横目に、パンフレットスタンドに差し込んでいく。ほんの30部程度だから、作業はすぐに終わった。
「ありがとうございました。もし気になる教室があれば是非来てくださいね。電話番号もそこに書いてあるので」私が会釈をしてその場を後にしようとすると、「そうだねー。でも『川向こう』だからねー、考えておくよ」と老女は眉間に皺を寄せながら言った。
「川向こう?」私が疑問に思うと、「千賀村はあれだろ、獅子川の向こうだろ?行ったことないよ」
獅子川とは、私が千賀村から谷田市に来るのに越えてきた川のことだ。千賀村と谷田市に架かる橋は二つあり、生活に不便を感じたことはない。だから私には川が大きな障害になっている感覚はなかったが、どうやら地元住民にとってはそうではないらしい。確かに、「川」が世界を分けるきっかけとなってしまっていることは、義務教育課程で学んだ気がする。被差別部落の多くが川の向こう、と。谷田市の人からすると、私が今住んでいる千賀村がその被差別部落ということなのか。いや、ただこちらから見てあちらは川の向こう側ですよ、と事実を言っているに過ぎないかもしれない。女性には何の悪意も見えない。
「ま、車でほんの15分くらいですから、来てみたら案外近いもんですよ。ではこれで失礼しますね、ありがとうございました」この女性がクラブに入ることはないだろうなと思いながら、私は動物園を後にした。

事務所の電話が鳴り、受話器を取る。
「はい、クラブハイツリー、植田です」
「あ、コーチ。お世話になります。ちょっとお伺いしたいのですが・・・」
電話の相手は、この夏に始めたテニス教室に入会した小学生の保護者だった。私がコーチを務めている。
「はい、どうぞ!何でしょう?」
「ラケットを買おうと思ってるのですが、どこで買えばよろしいでしょうか?」まだクラブが用意した貸し出し用のラケットを使っていたのを思い出す。
「そうですねー、特に指定するつもりはありませんが、近くのスポーツショップでいいと思いますよ。今はネットショップでも買えますが、実際に行って店員さんにも相談して、お子さんの身長や体格にあったものを選んでもらってください。まだまだ初心者の域なので、こだわらなくていいと思いますので、好きなデザインとか、あとはお値段で選んじゃってください。お子さんがやる気になれて、無理なく振れることが大切です」
「分かりました。ちなみに、近くのスポーツショップってどこにありますか?」まだ子どもがこれまで本格的にスポーツをしたことがなかったのか、どうやらスポーツショップへ行ったことがないらしい。もしかしたら私と同じように移住者なのかもしれない。
「一番近いのは、隣の小森町の国道沿いにある『スポーツショップタムラ』ですかねー。あとは、谷田市の『スマッシュ』。これも国道沿いです。どちらもたくさんラケット置いてあるので、十分選べると思いますよ」
「そうですか・・・。川向こうなんですね。あまり行かないから・・・」
千賀村にはスーパーはあるが、デパートや服屋はないし、いわゆる娯楽施設も一つもない。獅子川を越えずに生活するなんて、東京から移住してきた私には考えられなかった。しかしそんなことを言っても仕方がない。
「そ、そうですか。でもまぁ、車で15分くらいですよ。スポーツしてれば行く機会もあるでしょうし、行ってみてください」
「そうですね。買いに行ってみます」電話口の向こうで、川向こうだってよ、という声が聞こえた後に、電話は切れた。
川向こう。これは放っておく訳にはいかないかもしれないなと思った。日本は人口減少社会に突入している。特に山間部など、元々人口が少ない地域はさらに人口流出の必然が高まり、人口は減る。日本全体として考えたら、都市部に人口を集中させた方が国家運営の効率がいいからだ。そうなった時に、人口が少ない地域がわざわざ一つの自治体の範囲で線引きをして、その中で経済や人間関係、文化を構築するなんてナンセンスだ。もしかしたら高齢者はそれでも人生を逃げ切れるかもしれないが、少なくともあと30年、40年以上生きるであろう世代はそうはいかないだろう。何もしなければ悲惨な状態になりかねない。もっと大局観を身につけなければならない。本来あるはずのない線に囚われている場合ではない。地図上にしか存在しない線を越え、山を越え、川を越え、地方自治体に依存しないコミュニティを作っていかなければ地域社会を維持することは難しいだろう。
川。知らなければただの水の流れだが、橋がかかる前はこの水が実際に陸地を分断し、人の交流を分断していた。人は知らないものを恐れる。馬鹿にする。川の向こうの知らない社会を勝手に想像して馬鹿にしていた景色が頭に浮かんできた。それもお互いにしていたことなのかもしれない。
「橋、か」クラブハイツリーが、それか、と思った。クラブが地域と地域を結ぶ橋になり、これからお互いの人口が減ってきた後にも、いがみ合うことなく人が移動し合える環境を作れていれば、流動性と柔軟性に富んだ地域社会として生きていけるかもしれないな。
ツー、ツー、ツー・・・。気がつけば手に受話器をずっと持っていた。『川向こう』でも会員を募集する。既に子どもが多く集まる動物園にはパンフレットを置いてきた。村の中には気に食わないと思う住民もいるだろう。これは村のクラブだ、と。その意識はそれで尊い。しかし、時代には合っていない。
自分がやるべき新たな役割に気づき、胃が痛んだ。やるしかない、な。

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今回は東京から移住して総合型地域スポーツクラブのマネジメントをする植田の目線から、川が分断する地域社会のジレンマを描いてみました。
ここから村と『川向こう』の関係がどうなるのか、乞うご期待!

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上杉健太@総合型地域スポーツクラブ
総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5