子どもは色々な夢を見ればいい。

 どうも!上杉健太です。
 埼玉県富士見市の総合型地域スポーツクラブの代表をやったり、スポーツ推進審議会委員をやったりしながら、生涯スポーツ社会の実現を目指して活動しています。

 さて今日は、直接的には総合型地域スポーツクラブには関わらないかもしれないのですが、『夢』というテーマでお話したいと思います。


 ちなみに、今日の『夢』は寝ている時に見る夢ではなく、人生の目標みたいな意味合いを持つ夢の方です。

 僕が覚えている最初の夢は、「ガソリンスタンドの店員さんになる」です。幼稚園の文集みたいなものに書いてあるので、記憶違いではないと思います。ただ、幼稚園時代にずっとそう思っていたかどうかは分かりません。文集を書くその瞬間にガソリンスタンドにいい印象を持っていただけかもしれないし、必死に考えてひねり出して無理矢理書いたものかもしれませんし、あるいは親や先生に誘導されて書いたのかもしれません。証拠があるからといって、その夢の度合いについてまでは分かりませんね。でも、僕は少なからず、ガソリンスタンドの店員さんに憧れていたのは間違いないのでしょう。きっと大きな声で接客する姿をカッコいいと思っていたのではないでしょうか。

 でも僕はガソリンスタンドの店員さんにはならず、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしています。


 僕が覚えている次の夢は、「漫画家になる」です。小学1~2年生くらいまでの夢だと記憶しています。ここについては、それなりに漫画家になる為の努力というか、行動をしていました。ノートにドラゴンボールなどのキャラクターを描いたり、オリジナルのパラパラ漫画などを描いたりですね。漫画もよく読んでいました。当時連載していた漫画をちょっと調べてみると、僕が読んでいた作品に『はじめの一歩』があったことが判明。今でも連載しているので、すごいことですよね。

 でも僕は漫画家にはならず、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしています。


 小学3年生の時に野球を始めた僕は、当然のように「プロ野球選手になる」を夢にしました。ここからは僕も少しは成長したのか、ただ「プロ野球選手になる」と考えるだけでなく、「契約金で1億円もらって大きな家を建てる」というところまで夢として設定していました。今思えば僕の努力なんて大したことなかったわけですが、それでもそれなりに実現しようと自分なりに行動していたと思います。野球の練習はもちろん、スカウトの目にとまるには強豪高校に行く必要があり、その為には勉強もしておこうと思って、とある高校を目指して学校の勉強もやっていましたね。このあたりが現実主義ですよね。野球に全振りするわけではなく、学業というリスクヘッジもしてるっていう(笑) やっぱり人間って、子どもの頃からあまり変わらないのかもしれませんね。

 でも僕はプロ野球選手にはならず、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしています。

 これ以前の夢は、どのように終えたのかを全く覚えていないのですが、プロ野球選手の夢については明確に覚えています。この夢は、中学2年生の頃に終えることになります。最後の”とどめ”は、野球部の廃部でしたが、それまでの間に、自分の能力の限界みたいなものは十分に感じていたと思います。でもここからは、この夢が原点となって続いていくことになります。


 夢とは言えないのですが、僕の中学校の卒業文集で書いた将来像は、「釣り好きのおじさんになる」でした。野球部がなくなり、学校の成績もゆっくり落ちて行った僕の中学時代は、僕の人生で間違いなく一番の暗黒時代でした。そんな中でも好きだったのが魚釣りです。暗闇の中の一筋の光。のんびり平和に過ごしたい。その想いが「釣り好きのおじさん」に表れていたのだと思います。

 今の僕は、魚釣りをしていません。今の僕には、その”光”や”平和”は必要ないのでしょう。僕が「魚釣りがしたい」と言い始めたら要注意かもしれません(笑)


 高校生になってテニスを始めた僕は、さすがにもう、プロテニス選手になるとは言いませんでした。いつから思い始めたかは覚えていないのですが、少なくとも大学進学を決めた頃には、「スポーツマネジメントを仕事にする」という夢を持っていました。どうやらプロ選手になるのは難しい。だったら支える側に回ろう。そういう発想をしたわけです。”プロ野球選手”からのピボットと言っていいでしょう。テニス部を部長としてマネジメントした経験も大きく影響しているかもしれません。
 その後僕は、その夢に向かって早稲田大学スポーツ科学部スポーツ文化学科スポーツビジネスコースに進学し、スポーツを仕事にする道を歩き始めます。

 ところが僕は大学卒業後、スポーツとは全く関係のない企業に就職をすることになります。


 大学生の頃を含め、20代の頃の僕は、非常に揺れ動く状態だったと思います。相変わらずスポーツマネジメントには興味を持っていたし、今にも繋がる生涯スポーツや地域スポーツについては、実際に地元でクラブを設立して活動をしたりしていたのですが、同時に、将来の収入なども観点に入れて就職活動をしたり、サラリーマン時代はワーク・ライフ・バランスなどもとても気にする人でした。何か明確な夢があるわけではありませんでしたね。それこそサラリーマン時代には、このまま大企業で安定した収入を得ながら趣味として地域スポーツをやればいいかと思っていたと思います。

 でも僕は大企業でのサラリーマンをやめて、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしています。

 30歳になる頃に、自分の残りの人生を考えたり、社会貢献ということを本気で考えた時に、その時の仕事では人生の最大幸福を得ることはできないなという結論に至ってしまったんですね。ワーク・ライフ・バランスによって趣味時間を確保するだけでは、やっぱり本当の幸福になることはできず、結局は人生の大きな部分を占める”仕事”の領域においても幸福を追及しなければいけないと思うようになったんですね。


 自分が本当にやりたいこと。そして、それを仕事として成立させる為にも、社会に自分がどのような貢献ができるか。これを本気で考えた結果、大学生の頃からずっと続けていた地域スポーツクラブこそが、僕がフルコミットしてやりたいことだと判断しました。それが、多くの人にとって幸福になれる場になる実感も得ていました。それで僕は、「誰もがいつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる社会(生涯スポーツ社会)を実現する」を夢に設定し、総合型地域スポーツクラブの世界に足を踏み入れたのです。もう11年目になります。

ガソリンスタンドの店員さんを夢見た僕は、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをやっています。

漫画家を夢見た僕は、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをやっています。

プロ野球選手を夢見た僕は、総合型地域スポーツクラブのマネジメントをやっています。

僕にとっての暗黒時代だった中学生の時に釣り好きのおじさんを夢見た僕は、すっかり魚釣りをやっていません。

スポーツマネジメントを仕事にするという高校時代の夢は、何やかんやで実現されました。

今は生涯スポーツ社会の実現という明確な夢に向かって総合型地域スポーツクラブのマネジメントをやっています。


#想像していなかった未来


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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

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