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多様性を認めることの第一歩は、自分自身を認めることだ

 自己肯定感は超大事。

 どうも、ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、誰もがいつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる地域社会の実現を目指して、総合型地域スポーツクラブの運営をしています。

 今日は、『多様性を認めることの第一歩は、自分自身を認めることだ』というテーマでお話したいと思います。これ、すごく大事なことだと思います。

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 テレビから流れてきたオリンピックやパラリンピック関連のニュース。小学生の観戦が予定の半分もいかなかったという結果を伝えるものでした。その中でどこかの教育委員会が、「観戦に行く学校は減ったが、多様性を理解する機会にできた」というようなコメントを出していたんですね。

 それを耳にした時に、「一体小学生はどうやって多様性を学んだというのだろうか」と思ったんです。調べてみると、観戦に行く前に競技や選手のことなどを調べる事前学習をしてから行く予定だったということなんですね。その資料は公表されていて、誰でもダウンロードをすることができます。

https://education.tokyo2020.org/jp/teach/texts/other-teaching-materials/#teaching-plan

見てみると、事前学習と言っても本当にちょっとした調べものというくらいなので、これで一体何の多様性を学べたというのかと正直思いました。

 その時ですね。そもそも、「多様性を認める」とか私たちはよく言うけど、それってどういうことなのかと思ったんです。たぶん、ざっくり言ってしまうと、「世界には色々な人、色々な考え、色々な文化がある」ということを認める(否定しない)ということだと思います。

 ここはきっと間違っていないでしょう。

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 ここでさらに疑問が浮かんできます。では、『色々な人、色々な考え、色々な文化があることを”知る”こと』は、多様性を認めるうえで必須なのかということです。

 もし、外国のことを知らず、外国の文化を知らず、コミュニケーションが苦手で他人の考えを聞くことがあまりない人は、多様性を認めることができないのだとしたら、多様性を認めるというチャンスはあまりにも少ないということにならないだろうか。私はそう思ったんですね。

 そして、多様性を認めるということの本質は、そこじゃないのではないかと思いました。

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 ここで一度、逆のことを考えてみたいと思います。多様性を認めないというのは、どのような状態なのでしょう。「あいつ多様性認めないよな~」と言いたくなる相手は、どのような人でしょうか?

(※そんなセリフは聞いたことがないけども!)

 他人を攻撃している人ではないでしょうか。自分と違う考えを否定し、自分の不利益になる可能性があるものを潰していく人ではないでしょうか。私はそのように思うんです。多様性を認めないということは、他者を攻撃してしまうということです。

 ではなぜ人は他者を攻撃してしまうのでしょうか。それはほとんどの場合、『自分を守る為』のように思います。弱い自分を守る為。先に相手を攻撃しないと、自分が傷つくから。自分の考えが間違っていることを指摘されたくないから、自分から相手を否定して先に対立構造を作っちゃう。基本的には自己防衛の為の攻撃なのだと思います。

 つまりこれは、自分は”攻撃されるべき存在”だと思っちゃっているということなんです。だから相手を先に攻撃するんです。

 これが多様性を認められないことの本性だとしたら、必要なのは色々な人がいることを知ることでしょうか。色々な考え方が存在することを知ることでしょうか。色々な文化があることを知ることでしょうか。それももちろん大切なことだと思います。しかしほとんどの人は、世界に色々な人がいて、色々な考え方があり、それぞれの文化があることはたぶん何となく知っています。子どもでも。そのうえで攻撃しているんです。

 多様性を認めるというゴールに到達する為に本当に必要なのは、たぶん知識ではないんです。それは、『自己肯定』だと私は思います。

「自分はこれでいいんだ」
「自分はこのまま存在していいんだ」
「私は誰からも攻撃されない」

 心の底からそう思い、他者を攻撃する必然性がなくすんです。それが多様性を認めるということに確実になると思います。

 想像してみてください。世界を。世界中の人々が、「自分はこれでいい」と思っている世界を。一体だれを攻撃する必要があるでしょうか。

 多様性という言葉は、私が繰り返し使っているように、『色々』という言葉と相性がいいように思います。対して、『自己』は自分たった一人のことです。どうも対照的にも聞こえる言葉ですよね。でも、色々を認めるということは、実は自分たった一人を認めるということだったんです。

「自分だけしか認めないということになっちゃうじゃないか!それのどこが多様性だ!」

 そんな声ももしかしたら聞こえてくるのかもしれません。でも私は、それでも自己肯定こそが多様性を認めるということになると思います。必然性の観点で見るなら、自己肯定さえできていれば、他者を攻撃する必然がないからです。必然がないのに他者を攻撃する人がいるなら、それはもう『悪意』です。悪意はどうしようもありません。歴史や現状の社会システムがそうしてきたように、悪意は武力(軍や警察)で排除(逮捕・投獄、その後の教育)するだけです。

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 総合型地域スポーツクラブは、『多様性』という言葉をよく使います。3つの多様性と言って、『多種目』『多目的』『多世代』というキーワードを出すんですね。でも、総合型地域スポーツクラブがやっていることは、色々なスポーツがあり、色々な人がいて、それぞれの目的でスポーツをやっていることを伝えることではなかったりします。

(※結果的に伝わる部分はあるけど)

 活動している一人一人は、ひたすらに自分がやりたいスポーツを、自分がやりたいやり方でやっているだけだからです。他の人の取り組みについて考えるような場面はほとんどないし、色々な人と出会う場面がすごくあるわけでもありません。

(※年に数回の種目や世代を越えた交流イベントくらい)

 総合型地域スポーツクラブが大切にしているのは、ひたすらに一人一人なんです。

「あなたのやり方を私は認めるよ」

 運動が苦手な人も得意な人も、エンジョイ志向の人も競技志向の人も、肥満の人も痩せている人も、障害のある人も高齢者の人も、みんなそれぞれのスポーツの取り組み方を、総合型地域スポーツクラブは認めているということなんです。

 今回のテーマに沿って言い換えるなら、一人一人の自己肯定感を高めているということになると思います。

 一人一人が、「私のスポーツはこれだ!」と思えることで、誰もが堂々とスポーツを楽しむことができる。自分はこれでいいと思っているから、他の人や他の種目を攻撃する必然性がない。そういう姿を目指している。それが総合型地域スポーツクラブだと思います。少なくとも私はそういうクラブを作ろうとしています。

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 ということで今回は、『多様性を認めることの第一歩は、自分自身を認めることだ』というテーマでお話ししました。多様性というと、とにかく色々な事例を集めて、「こんな人もいる!あんな人もいる!こんな考え方もある!お前の考え方だけが正しいわけじゃない!」みたいに押し付けたくなりそうですが、最初に大事にするべきはそこではなく、自分自身を認めることだというお話でした。事例を知るのはその後であるべきでしょう。もし、順番を逆にしてしまうと、「”自分と違う(=自分を攻撃してくる可能性がある)もの”がには自分の周りにはこんなにある」と思ってしまって、逆に多様性を排除しようとする働きだって生まれかねません。
 知れば理解できる。理解できれば行動できる。そんな人はほとんどいません。そういう人はスーパーマンです。私たちは、知っているけど分からないし、分かっているけど行動はできないものなんです。社会は、スーパーマンありきで設計するべきではありません。私たちのほとんどは凡人で、弱くて、どこかで他者を恐れています。まずはガードを固めることが必要なんです。自分は大丈夫。守られている。誰も私を攻撃しない。そう思えることが第一。
 スポーツにおいてもとても大事な考え方だと思います。誰かの何かの参考にもなれば幸いです。

今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5