スポーツが図書館のようになるには
どうも、ふじみスポーツクラブの上杉健太(@kenta_u2)です。埼玉県富士見市で、誰もがいつまでも、自分に合ったスポーツを続けられる地域社会の実現を目指して、総合型地域スポーツクラブの運営をしています。
今日は、『スポーツが図書館のようになるには』というテーマでお話します。スポーツが習い事化し、経済格差がそのままスポーツの機会の差になってきていることが問題視される中で、その解決の打ち手に、『図書館のようになる』があると思うので、これについて考えてみたいんです。
図書館が無料な理由
まずは図書館がなぜ無料で利用できるのか。これについて調べてみたいと思います。調べた結果を先にお伝えすると、答えは「法律で決まっているから」でした。
図書館法
どうやらこの日本には、『図書館法』という法律があるようです。
この第一条にこの法律の目的が定められていますが、こうあります。
「日本国民の教育と文化の発展の為に、図書館を設置して運営するといいよね!」という同意形成が国民のみんなで成され、この法律ができたのですね。
この図書館法の十七条に、無料について定められています。
この法律により、図書館は入館料や本の貸し出しなど、あらゆるサービスを無料で提供しなければならないんです。最近は図書館とカフェなどが合体したものもあり、そこでは対価の徴収を行っていますが、それは『図書館資料の利用』ではないから、対価を徴収してOKとされているのでしょう。
さらにこの法律を見ていくと、もちろん、『図書館がやらなければならないこと』についても定められています。それが以下の第三条です。
これはスポーツを”図書館”にする為の素晴らしいヒントになりそうですね。ちなみに、図書館がしなければいけないことは、もっとたくさん定められています。職員(図書館司書など)の設置のことや、運営の評価など。
あ、ちなみに、私立図書館については対価の徴収はこの図書館法で認められています。(第二十八条)
スポーツもこの法律で定められているような目的で、同じような奉仕活動ができれば、”無料で提供しなければならない”という状況を作れるのかもしれません。これについては後で考えていきます。
図書館の運営コストは?
さて、図書館が法律によって目的、やるべきことが定められていて、さらに無料でサービス提供しなければならないことが決まっていることは分かりました。図書館とは、そうしなければならない存在なんですね。日本国民みんなでそう決めたんです。
では、その運営コストは一体誰が負担しているのでしょうか?サービス利用者が直接負担しているわけではないということだけは分かりましたし、恐らく税金で運営されているのだろうということは想像できますが、一応調べてみましょう。
まず、富士見市を例に予算を見てみると、令和3年度の富士見市の『図書館運営費』は252,952,000円です。この予算の表に記載があるのは、2つの図書館の運営費です。2つの図書館で2.5億。規模の差があるにしても、1図書館にかかる年間の費用は大体1億円と見ることができるのかもしれません。
ちなみに、気になったので図書館の年間利用者数を検索してみたのですが、すぐには見つけられませんでした。
参考になる数字としては、富士見市図書館協議会という会議の議事録で、中央図書館の年間貸出数が年間50万冊を超えた、という記載を見つけたので、これをベースに推計してみます。
私は現在、2週間に1回程度図書館へ行き、一度に2冊の本を借りるのがルーティン化してきています。(※家計のコストカットの一環で本の購入をなるべくやめています) もっとヘビーユーザーはもちろんいますが、もちろん年間に1回しか行かないという人もいると思うので、私が平均値だと仮定しましょう。
すると、モデル上杉は1カ月に約4冊、年間に48冊借りることになります。この48冊で年間貸出数の50万を割ると、10,416となります。これが図書館の年間ユニークユーザーということになります。(※合ってますよね?笑) かなり多いですね。本当にそんなにいるのかな・・・?笑 まぁここではイメージだけつかめればいいでしょう。もしも図書館の運営費を、この約1万人の利用者だけでまかなった場合、一人当たりの負担は、1億円÷1万人ですから、一人1万円です。年間1万円。この場合のモデルは1年間に48冊借りる人なので、本来なら1冊あたり208円のレンタル料を支払わなければならないところ、”差しあたっては無料”で利用できているんですね。
さて、ちょっと脱線してしまいましたが、このように市立の図書館は当然のように市が運営費を持っています。指定管理者などに投げている場合も多いでしょうが、指定管理費はもちろん市の予算です。市の歳入(収入)には色々あるわけですが、基本的には市民が出し合ったお金と見ていいでしょう。つまり、図書館は市民のお金で運営されている、ということです。
スポーツが”図書館”になるには
さあ本題に入りましょう。スポーツが”図書館”になるには、です。スポーツが、無料で提供される行政サービスになるのは、どうしたらいいのでしょう?
ここでは、公立学校や行政が行っているスポーツイベント・教室については置いておいて、あくまでも図書館的なものを想定していきましょう。そこに行けば多様なスポーツサービスが受けられるというハコがあり、常駐職員がいるといったような。
教育と文化の発展に寄与
まずは、スポーツが、日本国民やその市町村に住む人々によって、「スポーツは教育と文化の発展に寄与するものだ」と認められなければなりません。これが大前提ですね。
教育については、実はスポーツはほとんどクリアしていると言っても過言ではないと思っています。なぜならスポーツの一つの側面である『体育』は、既に義務教育課程で必修が義務付けられていますし、保育園な幼稚園、大学でも多くの運動やスポーツのプログラムが取り入れられています。スポーツの『体育』という側面のもつ教育的側面については、既に国民の合意形成はできていると考えていいと思います。
問題は、その対象年齢だと思います。高校生以下くらいまでの人に対するスポーツは、その体育的側面が重視され、多くの国民がその価値や意義を認めていますが、それ以上になると、スポーツの価値は急に落ちてしまうような気がします。よほどスポーツが好きな人か、健康意識が高い人のように、誰もがやるものというよりも、一部分の人がやるもの、という風に見られているのではないでしょうか。
「いやー、運動不足でさー」が挨拶のようになっている中年以上の人が多いのは、日本の成人にとってスポーツが当たり前ではないからです。
でもここで立ち止まって考えてみたいのですが、では読書についてはどうなのでしょうか?日時的に読書をする人は一体どれくらいいるのでしょう?
文化庁が平成31年に行った調査によると、1カ月に1冊以上本を読む人は、大体50%だそうです。これは16歳以上の人を対象にした調査なので、高校生も含まれていますが、いずれにしても読書においても、「ほとんどの成人が読書をしている」とは言えない状況が伺えます。
つまり、図書館が法律で認められているのは、日本人の読書の実績によって教育・文化に寄与しているからではなく、”そうありたいよね”という理想によって認められているということなのかもしれません。
そういう意味ではスポーツも、スポーツ庁という国家機関があり、都道府県や市町村にも担当部局(スポーツ振興課など)があり、”べき論”としては既にポジションを獲得していると考えられます。「スポーツってみんながするといいよね」という合意形成はパスできそうです。
ただ、読書の場合とスポーツの場合で、少し事情が違いそうだなと思う点もあります。それは、「それがどれだけ国民を歓迎できているか」という点です。
読書について考えてみると、これは私のイメージですが、”読書側”は、「みんな本読んで~」としきりに訴えてきているように思います。「あなたに本を読む資格はありません!」という主張にはあまり出会ったことがない。
ところがスポーツについて考えてみると、必ずしもそうは言えないのかなと思っています。体育会系という言葉が象徴するように、どうもスポーツをする人を限定したい風潮は少なからずあるのかなと思っています。それこそ、運動が苦手な人を入部させない競技志向のクラブなんかは確実に存在しています。これは、読書が極めて個人的な活動であるのに対し、スポーツはある程度の集団で行うものという特性の違いでもあるのですが、スポーツ側に「みんながやって当たり前のもの」「みんなにやって欲しいもの」という意識が欠如していて、「自分が楽しめればいい」「自分が勝てればいい」という意識が強い人が一定数いるのも事実だと思うんですね。
これだと、いくら「スポーツはみんながやるといい」というべき論が用意されていても、スポーツ側がそれを拒絶しているような状態になってしまい、無料の行政サービスとして図書館的になるのは難しいのかなと思ってしまいます。
つまり、スポーツが図書館的に無料提供されるようになるには、スポーツ側がもっと全ての人を歓迎するような寛容さを持たなければならないということです。抽象的で申し訳ないのですが、そうとしか言いようがありません(;^_^A
図書館的スポーツがすべき奉仕活動
ではもしもスポーツが図書館的に無料で提供されるものになったとしたら、社会に対してどのような奉仕活動が求められるでしょうか。これは図書館法が参考になると思うので、スポーツに置き換えて挙げていってみたいと思います。
スポーツを行政サービスとして本気で無料提供することを考えると、このレベルが求められるということなのだと思います。「スポーツは無料で提供されるべきだ!」と言うことは簡単なのですが、税金を使うということは、並大抵の覚悟でやるべきことではないということだと思います。
また、今回は主旨とずれるので言及しませんが、行政サービスになることで失われるスポーツの良さも確実にあるでしょう。もちろん、行政サービスとしてのスポーツと、民間が提供するスポーツサービスが混在することは当たり前なので、社会が選択肢として行政サービスとしてのスポーツを整備していくことは”あり”だと思います。
(※行政サービスとしてのスポーツが面白いものになるかどうかは、本当に分かりません)
ということで今回は、スポーツを図書館的に行政サービスするには、というテーマで考えてみました。なかなか面白い勉強ができた気がします。誰かの何かの参考にもなれば幸いです。
今回もお読みいただきありがとうございました!
ではまた!
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総合型地域スポーツクラブ研究所
総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…
総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5