どんなに主体的に生きたって ―ミッドナイトスワン感想―

映画『ミッドナイトスワン』を見て

人生のコントローラ

私の座右の銘の一つに「自分の人生のコントローラは自分で握れ」という言葉があります。
親や社会が敷いたレールに囚われず(それこそ、作中の"りん"のような)、自分の人生は主体的に選択して生きろ、という言葉です。

でも、生まれながらにして選択肢が狭められてしまうことがある。
人生というRPGのコントローラを自分で握ろうとも、社会が与えるフィールドが狭すぎる
凪沙や瑞貴が「なんで自分だけが」と悲痛に訴えるシーンが忘れられません。

選択肢が・フィールドが広い自分は本当に恵まれていてありがたい。次は、誰もが思い通りの選択肢を持てる社会を実現しなきゃいけない。自分が主体的に生きて自己満足に浸っていてはダメだと思いました。

こんな話本当にあるの?

トランスジェンダーのみならず、あらゆる社会問題が取り上げられています。この映画を見ていると「こんな話本当にあるの?」「ドラマだけの世界かと思っていた」そんな思いになります。
この作品も映画というフィクションの世界なのに。それだけ、作品の世界に引き込まれ、現実に直面させられます

では、現実として認識できたら、次は何をすべきなのか?どう行動すべきなのか?
すべての社会問題に関わり、解決を目指すには、自分はちっぽけすぎる。
自分の無力さを感じます。

人は人によって変わる

凪沙と一果が互いに心を動かし合って変わりゆく姿は見事です。
ぐるんぐるん変わってゆく。

よく人生や運命を変えるための格言として、習慣とか、考え方とかが要因に挙げられます。

でも断トツで影響が大きいのは人なのでしょう。人との出会い、互いに及ぼす影響が人を変える。一期一会、人との出会いを大切にしていきたいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました! ぜひ、またお立ち寄りください!有意義な時間を過ごしていただけるように精進します^^