【実体験】とある宗教の2世だったわたしが、すべてを捨てたお話
はじめまして。ようこそ。
ネットの荒れ狂う大海原を泳ぎ、よくぞここまでたどり着かれました。
心から歓迎いたします。
せっかくのご縁ですし、少しだけ無駄話につきあっていきませんか。
普段はなかなか耳にすることのない、ちょっと変わった生まれ育ちを経験した、特殊でおかしな、ごくごく普通の男の話です。
もしあなたが、私と似た境遇を経験した方でしたら、きっとどこかでお会いしましたね。
長旅だったでしょう。よくぞここまで生きてこられました。
それではたいしたものでもありませんが、温かいコーヒーでものみながら、ごゆっくり。
わたしという人間について
ケンタといいます。
20代の男です。生粋の関西人やらせてもろてます。
出だしちょっとカッコつけてみたのですが、基本的にはだいぶふざけた人間ですので悪しからず。
ただ、何ごとも全力に、そして誠実に。
そして自由にしなやかに生きていきたいな、なんて思いながら日々生きています。
現在は、メーカー勤務の会社員として、月イチで出張を挟んだりしながら、わりと楽しくはたらいています。
ふつうのリーマンですね(笑)
ところで、自分にまったく自信のなかった20歳くらいまでは、決まり文句がありました。
それというのが…
“俺はぜんぶ50点くらいの人間”
はい。
まあ。
卑屈というか、なんというか。
それを、いろいろ我慢したり、動こうとしない言い訳にしていました。
いま思えばだいぶひねくれた、つまらんヤツでしたね。
しらんけど。
つまるところ、頭の良さも器用さも、人付き合いのうまさもユーモアのセンスも、国語だって数学だって体育だって、ぜんぶ“並み”かそれ以下ですよ、と。
保険を自分にモリモリにかけてたわけです。
たしかに突出しているとか、ハンパなく尖った個性があるわけではないなとは自覚しているのですが(笑)
ただそんな私にもじつは、いわゆる“一般の方”とは大きく一線を画す点があります。
それが、うまれた瞬間から宗教2世であったということ。
エホバの証人=ときどき突然家に来る人
宗教2世。
それも、新興宗教。
批判や揶揄をこめて、カルト教団ともよばれることのある、エホバの証人の2世でした。
阿佐ヶ谷姉妹のおふたりのあのネタです。
見たときは大爆笑でしたね。
まさにあのまんま。
コロナの影響がやわらいで、最近また出没が確認されはじめた、
突然家に来る人。
それがエホバの証人です。
最近は駅前で、ボードのようなものを囲んでただ立っている個体の生息もよく確認されているようです。
日本人になじみの深い、お寺や神社の息子として生まれたというわけではないんです。
うまれた瞬間からエホバ2世だった
当時かなり熱心な信者だった父と母の子として、この世の中に爆誕しました。
父は、自分でこの教団に飛び込んだ1世。
母は、両親(私の祖父母)に宗教教育をうけた2世。
なので、正確に言うと私は1世×2世の子なので、2.5世ですね。
エホバの証人の教えをみっちりと幼少期からたたき込まれ、本当の意味で、生活の一部でした。
いや、生活そのものというか、一番基準になる、軸のようなものでした。
嫌だと思うこと、なんで?と疑問に思うことすらもない。
そういう発想は、そもそも出ません。
もしあなたが純日本人だとしたら、
「俺はわたしは、もしかしたら日本人じゃないかもしれない…」
とかって、あんまり考えないですよね?
おなじです。
「自分は日本人である」くらい、教理の正しさや、エホバの証人という存在は、自分の人生にとって当たり前のものでした。
教団組織内で、どんな経験をしたのかは、次回以降に譲りましょう。
今回はサクッと割愛しちゃいますね。
話し始めると、日が沈んでまた昇るくらいになってしまいますので。
何はともあれ、カクカクシカジカです。
絶対的な、1200%真実だったものが、大人になって揺らいだわけです。
視野が広がり、情報収集をし始めたわけです。
すると、次第に見えてくる教団組織の全貌。
徹底的な、内部の信者への情報統制。
隠蔽された過去のゴタゴタや、思いっきりダブルスタンダードの教理変更。
何より、1ミリも感じられない、教団内外への誠実さ。
そうこうしているうちに、世の中で、宗教2世問題が活発に議論されるようになりました。
安倍前首相が襲撃被害に遭い急逝。
犯人は世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)の2世であったこと。
そこからさまざまな団体が発足し、意見が交わされ、
世界平和統一家庭連合は2023年10月に、正式に解散命令が出されました。
宗教2世は孤独
2世たちが声を上げ始め、社会がスポットライトを当てるようになりました。
旧・統一教会と並んでよく取り上げられていたのが、エホバの証人。
以前に比べ、少しずつ問題点が明るみに出てきています。
とはいえ…
宗教2世は孤独です。
たくさんのひとに囲まれていたとしても、どうしようもなく孤独です。
教団内では、教えに反する行動や言葉はきびしく制限され、ちょっとした本心も、隠さざるを得ない。
“信仰の仲間”“世界的な兄弟愛”などと聞こえのいい言葉を並べても、所詮はどこかから借りてきた言葉を並べるだけの会話が非常に多いように感じます。
すごく朗らかに見せかけた監視社会です。
また、一念発起し脱退したとすると、それはもうまさに地獄のような孤独感です。
これまでの人生の大半を占めていた(占めさせられていた)時間、価値観、信者たちとの交流、生活習慣、ときには仕事などが、ごっそりとなくなるわけですから。
エホバの証人では、排斥(破門措置)された2世が、信者である親との縁を強制的に切らされてしまうことが、今社会問題になっています。
人生を変えてくれたのは、先輩ブロガーや発信者
わたしは正式な手続きを踏まない“自然消滅”でしたが、当時の喪失感、孤独感、不安、怒り、言いようのない悲しみなどはとてつもないものでした。
そんなときに、お金に換えられない情報をくれたのも、行動するきっかけをくれたのも、勇気をくれたのも、ときにはカウンセラーのように心の支えになってくれたのも、ネットの世界の先輩、一足先に教団から離れ、世間に向けて発信をしていた方々だったわけです。
今、報道の影響などで、きっともっと、情報を求めている人が増えている。
自分の同じような境遇の人がいないか、探している人が増えている。
でもやっぱり動き出すのが怖くて、具体的なアドバイスが欲しい。
また、身近にそれらしい人がいるんだけど、どう接していいかわからない。
知識も少なく、関係構築に悩んでいる。
そんな人々に、今度は自分がなにができないか。
クソみたいな、でもどうしようもなく自分自身であるこの体験を、何かに役立ててもらえないか。
そんな思いで、この場所を、少しずつつくってみることにします。
さいごに
私のスタンスとしてこのnoteは、特定の宗教団体を一方的に批判したり、信者の方々を非難したりするものではありません。
罪を憎んで人を憎まず。
この界隈で最近よく訴えられている “信じない自由” はもちろんのこと、十分な情報が与えられたうえで選択された “信じる自由” も、同じく尊重されるべきものであると信じます。
起こった事実、体験した出来事をベースに、できるかぎりフラットな記事を作成していきたいと考えています。
目標2,000文字だったところ、3,000文字を超えてしまいました。
すこし気持ちが入りすぎて、長くなってしまいましたね。
いま、ひとりで悩んでいるあなたに届いていることを願って。
また次のnoteでお会いしましょう。
それではまた。
次のnote↓
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