見出し画像

ドライブで私が運転したがる理由

皆さんこんばんは。

今回は私がドライブで運転したがる理由についてのお話です。


まず、ドライブが私にとってはどんなものなのかという話から始めようと思います。

ドライブは私にとって人との距離を縮めるためのツールのようなものです。

もちろん、疲れた時に気分転換として一人車に乗ってドライブすることはありますが、一番は助手席に人がいて色々とお話をすることに価値を感じます。

なんせ、2人だけ(複数名の場合もあるが)でいられる空間なのですから楽しくお話をしてお互いを知る機会とするには持ってこいですよね。


私の中でそんな位置づけであるドライブで、なぜ私が運転したがるのか。

その理由は、私の右耳にあります。

私の右耳は先天性の感音性難聴でもともと聴力がありません。

想像してみてください。右耳が聴こえない状態で助手席に乗ることを。後部座席に乗ることを。あのただでさえうるさい車の中で。(右ハンドルの車という前提です)

なんて言われても想像するのは難しいと思います。

特に身体障害のこととなればなおさらでしょう。

なので、別にこの不自由さを分かれよということ言うつもりは1mmもありません。


ただ、私の場合、運転席以外の座席に座ると、同乗している人が私の右側もしくは正面に座ることになるので、右耳が聴こえない私はみんなの声がかなり聴こえづらい環境になってしまいます。だから、みんなの声が一番聴こえる運転席に居たいのです。事実としてそうなんだという事はとりあえず知ってて欲しいんです。

これが私がドライブで運転したがるという事実の根本にある想いなんです。


私が右耳が聴こえないから運転をしたがるなんて皆さんは全く予想できなかったのではないでしょうか。聴覚が不自由な人の方が健常者よりは少ない分、そのことに気付くことは難しいでしょう。仕方がないことです。


しかし、私が皆さんの心に留めておいて欲しい事は、

行動の裏には考えもしない想いが隠れているのかもしれない

ということです。気付くことが難しいで終わらせてほしくはないです。何かあるかもしれないと思ってみて欲しいんです。

この記事のタイトルを見るだけだと、この人は車が好きで、運転するのが好きな人なのかな。車に何かこだわりがあるのかな。くらいにしか思わないのではないかと思います。

ただ、私は運転が好きというよりも、私が運転をしなければ私が求めるドライブの価値を感じることが難しくなるという想いがあるので、大げさに言えば運転せざるを得ないのです。


このような私の経験を具体例として挙げたことで、目に見える行動だけで判断してしまうと隠れた想いを無視してしまう可能性があるのだということが伝わっていると嬉しいです。


私がドライブで運転したがる理由が、運転が好きだからだけではなく右耳が聴こえないからというように、一つの行動にもその行動を起こす動機が隠れた想いとしていくつもあるということを忘れないで欲しいです。


ある行動を表面的な情報だけで良い行いなのか悪い行いなのかを判断すると、もしそれが悪い行いである場合、指摘して注意したところで根本的な解決にならないことがほとんどだと思います。

本当の想いを理解してくれない人に対して心を開くことはおろか、その人の指摘を受け入れたいと思うはずがありませんから、解決出来ないのは当然のことです。


行動に対して目に見える情報だけで判断せずにその行動の裏にある想いまで理解しようと寄り添うことで、人を傷つけるのを避けることが出来るとともに、お互いにとってベターな選択をすることが出来るようになると思っています。


なので、ぜひ相手が抱えている想いは何なのかを想像して欲しいなと思います。それで傷つく人が一人でも減ってくれると私は嬉しいですし、この記事を書いてよかったなと思えます。


ほんの少しだけでも心に余裕をもって相手を見てみませんか?行動の理由を想像してみませんか?

きっとその人の心の叫びが聞こえてくるはずです。

その叫びに積極的に耳を傾けてみませんか?


いいなと思ったら応援しよう!