将来の夢への疑問
『夢』
素晴らしい言葉です。
今まで幾度となく耳にしてきました。
そして、疑問すら持たず使ってきました。
しかし、大学生になって本格的に将来と向き合うようになってから気付きました。今まで大人達が私達に対して使っていた『夢』という言葉は私達の将来を本当の意味でいいものにしてあげたいと思って使っていなかったのだと。いや、使えていなかったの方が正しいのかもしれない。
小学校の頃、
「将来の夢は何ですか?」
という質問を何度もされた記憶がある。
その時に、私は
「プロ野球選手になりたい」
と迷わず答えていた。
同級生達もお笑い芸人やケーキ屋さん、漫画家やイラストレーターなど自分がなりたいものを答えていた。
今の私はここに疑問を抱いている。
何で皆、将来の夢を職業で答えているのか。
将来の夢は職業で答えなければいけないのか。
小学生の頃はもちろん、高校生の頃までは将来の夢を職業で答える事に何一つ疑問を持っていなかった。しかし、大学生になって、どんな職業に就こうかを考えた時に悩みが止まらなかった。その時に分かった。。その先の事を考えてないから職業を決められないのだ。
こうして私の中で出た「夢」に対する答えはこうだ。
将来の夢とは、自分の人生を通して成し遂げたいことや自分がどういう存在になりたいのかである。そして、それを達成する為の手段になるものが職業である。
この考えにたどり着いた時に、今まで学校で将来の夢を考えて、発表してきた時間がどれほど本質的ではなかったのかと残念な気持ちになった。
幼ければ幼いほど、大きな夢(なるのが難しいと言われる職業)を持つと周りの大人達は「大きな夢を持ってて偉いね」と言って褒める。しかし、それは大人の自己満足の場合が多い。発表した夢(職業)のことについて向き合って考えてくれた先生がどれほどいただろうか?
結局は褒めて終わりというのがオチだ。
しかも、高校生や大学生になると幼い頃に持っていた様な大きな夢(なるのが難しいと言われる職業)を持つと、あの褒めてくれていた大人達は「いつまで夢を見てるんだ。そろそろ現実を見ろ」と正反対の態度を取る。
何故こんな事が起こるのかというと、幼い頃から子どもの夢に対して本気で向き合っていないからだと思う。
本気で向き合っていれば、幼い頃に持っていた大きな夢に対して、いつまで夢を見てるんだなんて事は言えないはずだ。
この事から分かるように、大人は実は子どもの将来に対して無責任なところがある。
幼い時は夢だけ見させて放置。夢を叶える為にどうすればいいかなんて一緒に考えてくれない。夢を叶えるために大切な事なんて教えてくれない。でも、それを一緒に考える機会を作るのが大人の役目だ。そりゃそうだ。その時点で1番将来を意識出来ないのは子どもなのだから。子ども自ら一緒に将来を考えたいなんて言う方が稀だ。
しかしながら、幼いうちに、何を成し遂げたいかが将来の夢ですよなんて言っても理解できないと思う。
そこで、私が大事だと思うのは、将来の夢についての本質的な部分を大人が理解して教えるべきだという事だ。
幼いうちに将来の夢=職業という等式が無意識のうちにインプットされてしまえば、大人になっても人生のゴールを意識したキャリアプランを立てることが出来ずに将来について壁にぶち当たる時が来る。
今の私が実際にそうだ。今まで、将来を意識して過ごす時間が少なすぎて悩みに悩んでいる。
しかし、幼い頃の教育の時点で
将来の夢=成し遂げたい事・なりたい姿
職業=将来の夢に近づく為の手段
というこの2つの等式をインプットすることが出来れば、自分の人生軸で職業を選ぶ事がより簡単になり、ライフプランやキャリアプランについても考えやすくなると思う。
学校教育では特に、教員自身がその児童生徒を担当するのは1年だけかもしれないし、6年かもしれない。しかし、その児童生徒にとっては連続した人生の中の大事な時間なのだ。その時間を使って教育をするなら本当の意味で将来に繋がるようなそんなキャリア教育をする事が大切だと思う。
もちろん、1番身近な大人である親も例外ではない。
1番近くにいる大人である親は自分の子どもの夢を反対する前に、どうにか支援できないかと全力で向き合って欲しい。親の応援ほど力になるものは無いから。
義務教育、高校教育でのキャリア教育がもっと本質的で盛んになれば、大学のミスマッチも防ぎ、1人でも多くの人が思い描いた将来に近づけると思う。
誰もが目をキラキラさせて人生のゴールである将来の夢に向かって走っている姿を見れるような未来に向けて私は走る。