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『普通』が誰かを苦しめる。

「普通はそうするよね〜」
「それが普通だから」

こんな声がどこからか聞こえてきた時、私は決まって考えます。

普通って何だろう。

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
というような事が辞書には記されています。

辞書の上では、マジョリティに目を向けた様な書き方になっています。しかし、私たちが使う中でのこの『普通』という言葉にはマイノリティを排他的な存在として捉えるという側面が多分にあるように思います。

そこで、考えて欲しいのが、誰かが使った『普通』という言葉の範囲外であるマイノリティの立場の人にとっては凄く生きづらい世界を『普通』という言葉が作ってしまっている可能性があるという事。

恐らく、肯定的な意味で『普通』という言葉を使う人はマジョリティ側にいて、『普通』という言葉を使う事で集団から孤立する恐れがない故、簡単に使ってしまっているのではないでしょうか。一方、マイノリティ側にいる人にとっては『普通』という言葉で範囲が限定されてしまった時に社会から孤立してしまうという恐怖性をはらんだ言葉になる事さえあると思います。

しかし、よく考えてみると、その『普通』というものは誰かによって明確に定められた基準ではなく、マジョリティという存在が作り出した概念に過ぎないのです。
だから、マジョリティが正解とかマイノリティが不正解とかそういうのは無いんです。普通であることがいいわけでも普通じゃなかったらダメなわけでも無いんです。

本来の『普通』という言葉の意味にはマジョリティを作り出し、マイノリティを孤立させてしまう様な意味合いは含まれていないはずです。しかし、その言葉を使う私たちがいつの間にかその意味合いを持たせてしまっている。これは由々しき事態だと思います。

この『普通』という概念が原因の一つになっているであろう問題があります。

いじめです。

いじめの被害者になる人はほぼ100%マイノリティ側にいる人と言っても過言ではないと思います。そして、いじめの加害者になる人はマジョリティ側にいる人というのも同じです。この構造を作り出しているのが『普通』という概念だと私は思っています。

このまま『普通』という言葉を否定的な意味合いも含めて使っていてはいじめを減らすことは難しいと思います。

そこで、『普通』という言葉を認識する時に大事にして欲しいのは、
普通=ありふれているもの、マジョリティ
普通じゃない=あまりないもの、マイノリティ

くらいの認識にしておくという事です。

普通か普通じゃないかだけで良いか悪いかなんて判断できません。マジョリティが良いとかマイノリティが悪いとかそんなのもありません。そんなものを根拠に排他的な態度を取るなんてことはあってはならないことです。

表面的には見えずに、問題にこそならないかもしれませんが、『普通』という言葉を使っている限り、私たちは誰もがいじめの様な排他的な態度を取りうる可能性を持っている事に自覚的でいる事もとても大切なことです。

そして、私たち一人ひとりの違いは素晴らしい個性であり、普通であろうが普通で無かろうが、マジョリティであろうがマイノリティであろうが知ったこっちゃないんです。

そもそも、誰一人として全く同じ環境で生きてきた人はいない訳ですから、個性の違いが出てくるものなんです。それなのに、何らかのテーマをもとに普通かどうかを判断してマジョリティとマイノリティに分けるのはナンセンスだと思いませんか?

一人ひとりを「その人」として見て、その人が持つ個性、自分が持つ個性をお互いに尊重し合える様になれたら素晴らしい社会になると思いませんか?もし、この考えがマイノリティであっても私はそう思っています。


ここまで長々と書いてきましたが、私は常識と言われていることや既成概念を疑ってみる事でこの様に思うきっかけが出来ました。皆さんが使っている言葉やしている行動も疑ってみると新しい発見があるかもしれません。私と一緒に色眼鏡を外して世界を見てみませんか?

・『普通』や『常識』を疑ってみること
・誰もが排他的な態度を取る可能性があること
・個性を尊重し合おうとする気持ち

この様な事を考えながら過ごしてみませんか?


ついでに、
http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/insoci/insoci09record/03-31AB-09.html

このページに書かれてあることも面白いなと思いましたので、興味がある方は見てみてください。


それでは、どろん。



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