アクアリウム20
「なのてくのろじぃ?先生、なんだいそれ?」
おでん鍋から立ち上る湯気をかき分けて、牧村は訝しげな声を上げた。
「そうそう、ナノテクノロジーなのよ私の専門は。」
聞き慣れない言葉に首をかしげていると
佐藤は歌うように、説明を始めた。
「例えばね、分子レベルで物体の配列を変えることができたら
凄い事ができるのよ。」
「凄いこと、かい。」
「そう。ナノ・ロボットを作るわけよ。ウィルスよりも小さいロボットをね。で、その子たちに一定のプログラムをするの
この物質をこんな風に並べ替えて頂戴って。」
「うーん。」さすがにイメージできない。
「そうするとね、例えば、このはんぺんを鉄板に変えることができたりね。」
「ほぅ~。その逆もできるのかい?」
「理論上はできるわよ。」
「そりゃ凄いな。でも、そんなことできたらさ、商売上がったりだな。」
「それもそうね。あはは。」
「医療などに応用すればね、悪くなった細胞を正常に並べ替えることができるから、難病もぐっと簡単に治すことができるの。
それに、老化した部分を、若返らせることも可能なわけなの。」
こういう話をしている時の佐藤は、眼がキラキラしている。
「先生ももっと若返るわけかぁ。そりゃあいい。」
「私はまだ若いの!あははははは。ちくわぶ頂戴。」
「あいよぅ。長坂先生追加はいいの?」ニコニコして佐藤の
隣に座る、眼鏡をかけた男性を見た。
「あ、じゃ僕は白滝とボール3つ」
「相変わらず、地味な注文ね、あなた。」
「いいじゃないですか、僕は好きなんですから。」眼鏡の曇りを
ハンカチで拭きながら、何気なく足元を見た。
「ニィニィニィ」いつの間にか、黒い子猫が三匹
長坂の足元に集まっていた。
「うわぁ~」最高級の感嘆符を放って
長坂の顔がくしゃくしゃに崩れた。
「可愛いなぁ。」すぐに抱き上げる。
「あぁ、すいません。お客さん所行っちゃダメ
だって言ってるんですが。」
「いえいえ、僕、猫大好きですから。これこれ。」
耳の裏を掻いてやる。
「牧さんが飼ってる猫なの?」佐藤がちくわぶを頬張りながら言った。
「いや、飼ってるわけじゃないんだけどねぇ。」
「野良なんですか?三匹兄弟っぽいですけど。」
「いやいや、野良じゃないよ。」
「ん?どういうこと?」二人とも首を傾げた。
「それは私が育てている猫だよ。飼っているわけじゃないんだな。」
「愛猫家は、言葉にもこだわるって訳ねぇ。」佐藤が納得したようだ。
「分かるなぁ、そういう気持ち。」猫を愛しく撫でながら
長坂が言った。
牧村の真意は、二人に到底分かりっこない。
「この子もおでん食べるんですか?」
「いやぁ。この子達におでんは食べさせないよ。」
「やっぱり人間の食べ物は良くないんだ。」
「そんなことないけどね。主食はパン。喜んで食べるんだ。」
「パン食べてんのかぁ。お前。グルメだなぁ。」
長坂の目じりは、ずっと垂れっぱなしだ。
「子供の猫は、おでん食べたって『美味しい』なんて言わないからねぇ。」