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アクアリウム8

いたずらっぽい笑顔を急におさめて
厚揚げの声を拾う。

おでん種の中で 厚揚げは特別な存在。なぜなら
彼女はどういうわけか、お客の過去や未来が見えてしまう。
女性客の姿を、朧げに見つめた厚揚げは
そっと息を吸うと、牧村に告げる。

その声を拾って、牧村は客である「佐藤先生」に
反応を楽しむかのようにゆっくりと話し始める。

「佐藤先生は、難しい研究をされているそうですが
まぁ、私のような素人はよく分からないですけど。
その研究成果をまとめた論文が、研究者の間で購読されている
学術書に掲載されるんですね?」

「そうそう。そうなのよ。やっぱり牧さんすごいわ。
あれかな?私の表情読んで、当てちゃうわけ?読心術?」

「いやぁ、そんなんじゃないですけど。」とバンダナを巻いた頭を掻く。

「うーむ。凄いなあ。」長坂も感心している。

「それで」

「それで何?」身を乗り出す佐藤

「そのう、論文のタイトルなんですけど・・・」

「えっ?えっ?」何が起こるのか、期待と少しの恐ろしさを先に察知した
長坂が落ち着きをなくしてゆく。

「有機的・・・アル、アルコールじゃなくて 何だ難しいな。」

「アルゴリズム」と佐藤が語気を強くした後に
やはり戸惑いを見せる。

「そうだ、それ。『有機的アルゴリズム応用による量子力学的数式の展開』
かな。私にはさっぱり何のことだか分かりませんけどね。あはははははは」
と笑って、肩をすくめてみせた。

先生と呼び合っている二人は固まっていた。
パチャン

長坂がお皿の上に白滝を落とした音が聞こえた。
佐藤は二度瞬きをして、アングリと口を空けている。

「えっと、何かまずいこと言いました?私。」牧村は申し訳なく
ヒラヒラと左手の手のひらを振った。手首の金のブレスレットが揺れる。

その光でようやく我に帰った佐藤が言った。
「牧さん、そのタイトル。あってる事はあってるんだけどね。
掲載された、論文のタイトルとは違うのよ。」

長坂は、上司である佐藤と、牧村を交互に見ている
テニスの観客のようだ。

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