山があるから走るのではない、走るから山があるのだ。
お気に入りのコースがある。
なんてことのない、河川敷
家からぴったり1キロ。
今の時期は芝の調子が丁度良い。
足にからみつく芝は、さくっ、と、乾いた音で包んでくれる。
スピードを上げて走るのに絶妙な硬さなのだ。
気温が上がる度に、あの、独特の匂いが増してくる。「緑の香り」というらしい。
一種の防衛反応のようだが、相手が悪い。
なんでも、芝を刈った時に発生する青葉アルコールは、リラックス効果と疲労回復に効果が見込めるとのこと。それだけでなく、作業への集中力まで上がるらしい。
蹂躙する人間への唯一の抵抗が、リラックス効果とは。なんと健気な。増した集中力が更にスピードを上げる。抵抗はむなしい。
起伏のある地面を強く踏みこむと、
まるで、ロイター板のように、ぽーん、と、宙へ押し返される。
それにしても川べりは風がうるさい。グルーミングの邪魔をしてくる。この箱庭を走って12年。
走力も想像力も足らない。
昨晩、川田十夢さんの『拡張現実的』を読んだ。
そのまま独りよがりなポエムを書いてしまった。
つい、身近なコトに妄想を抱くことを後押ししてしまう。そんな危うい本だ。
川田さんにとっての、拡張現実的(AR)とは、
単にテクノロジーの現実への介入を指すわけではないようだ。
例えば、世界的にヒットしたPokemon GOの元になったポケットモンスターは、昆虫採集における身体的な体験をベースに考えられている。
具体的には、昆虫採集の触覚を省略(−)することで、
「ボールにモンスターを封じ込める(ゲットする)」
コレクションする喜びを強調(+)させた点が、
拡張現実的だと捉えている。
この観点で考えると、
Pokemon GOがポケットモンスターの
省略(−)と強調(+)を現実空間に持ち込むことで、ベースとなった昆虫採集においての身体的な面白さである「歩く、探す」を強調(+)したと言える。
つまり、AR技術は
『ポケットモンスターの身体生と現実空間の身体性』
両者の幸福な結婚を手引きした、仲人に過ぎない。
重要なのは、
『何を省略することで、何を強調するか』なのだ。
さて、ここまでの話からすると、
拡張現実は、テクノロジストの専売特許のように聴こえるかもしれないが、
必ずしもそうではない、らしい。
『イエローさんの良さは何だろうと考えた。
有限から無限を導く、引き算だと思った。
テクノロジーの進化によって、誰もが発色のいいカラーを最初から出せるようになった。
ワンパターンにこそ連続性がある、拡張性がある、
夢があるのだ。』
『有限から無限を生む』
本書の中で、幾度か出て来た言葉だ。
川田さんにとって重要な概念なのだろう。
1996年に発売したポケットモンスター(赤/緑)
その更に11年前の1985年。
スーパーマリオブラザーズは誕生した。
スーパーマリオでもうひとつ発明だったのは、
Bボタンを押してダッシュ、
Aボタンを押してジャンプというルール設定だろう。
ダッシュして速くなった分、高く遠くまでジャンプできる。この飛躍がなければ、十字キーは数多在る
コントローラーのひとつでしかなかっただろう。
なるほど、
補助的なBボタンと直接的なAボタンの関係性が、
ファミコンの黎明期に多くのアクションを産むことに繋がったのだ。とても感覚的な操作が後の作品に多きな影響を与えたことは、ご存知のとおり。
ここで重要なのは、
『Bボタンを省略することで、Aボタンに優先すべき動作を委ねること』つまり、
『ボタンの主従が明確になることで、コントローラーの可能性を拡張した』ことにある。
やはり、有限から無限を導く、引き算なのだ。
さて、本マガジンは走ることに纏わる記事を書く媒体である。
ここまで読み進めて頂いた読者は、冒頭の目も当てられない散文に(も)懲りず辛抱強く、下へ下へ下へと、スクロールして頂いたことを嬉しく思う。
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おしまい。
(最後は貴方の想像力に委ねようと思う。
本稿が補助的なBボタンには、、ならないだろう)