ウルトラライトの次に来るもの
ここ10年の登山文化を山道具の視点からのぞいてみると、トレイルランニングやウルトラライト(以下、UL)の流れによる道具の「軽量化」が進んだ10年、と考えることが出来ます。UL発祥のアメリカに限らず、日本国内にもULの文化や思想に触発された後発のブランドが増え、誰もが「軽量化」の恩恵を受けることが出来るようなった10年、ともいえるでしょう。アウトドア用品専門店 「ひだまり山荘 池袋店」店長の中村さんに今後の登山文化の展望を伺ってみました。
登山用品店で働くきっかけ
──僕は、中村さんが小さい頃から飯能の自然の中で遊んできたイメージを持っているのですが、山に目覚めたきっかけから聞いてもいいでしょうか?
中村 僕は生まれは新宿なんですが、1歳の頃には埼玉の飯能に移住していたようです。というのも、重度のぜんそくで入退院を繰り返していたからです。そのため飯能に家族で引っ越すことになりました。小学生の頃はぜんそくのこともあって運動は苦手。体育の授業でサッカーをやるとなれば必ずゴールキーパーでした。高学年になると治療の成果も出始めて、ようやく外で友達と遊べるようになった時は嬉しかったですね。休みの日は朝早く起きて、夕方日が暮れるまで外で遊んでいました。そのせいもあってか中学生になると釣りにハマります。柔道部に入っていたのですが、午前中は柔道の練習で家に帰ったら午後は釣りに没頭する。そんな3年間でした。料理が好きだったので、本当は高校は調理師の専門に通いたかったのですが、学費で断念しました。
大学では地学を学びたくて茨城大に進学します。
──いっこうに山に登りませんね 笑
中村 そう。実は大学のサークルで1年の時に八ヶ岳に登ったのが初めての登山なんだよね。飯能で興味あったのは川ばかりで天覧山という山のふもとに住んでいたけれど一切、山に登ったことはなかった。サークルに入ってからは、八ヶ岳の次は南アルプスや北アルプスにも登りに行くようになりました。
──それは意外でした。ここから登山用品店に勤める道へ進むのでしょうか?
中村 大学3年の時に、ゼミのフィールドワークの一環で北海道のアポイ岳に登りました。ここは地質学的にユニークな場所で、標高810mと決して高くない山なんですが、緯度が高いこともあって高山植物が咲いている凄く美しい景色だったんです。それまで登ってきた南アルプスや北アルプスとは違う、独自の植生と海の方へと抜けた景色、そんな異国情緒にあふれた山に惹かれました。そこから一気に地学に興味がなくなり、山に意識が移りました 笑 大学のキャンパスが水戸にあって、近所にナムチェバザールという登山用品があるのですが、そこでアルバイトを始めることになりました。ナムチェバザールという店は、登山用品だけでなくキャンプ用品も扱っていたので、とにかく広い。なので、覚える商品知識も膨大でした。当時はネットにアウトドア用品の情報が少なかったので、実際に触って、山で使ってみることで覚えるしか方法が無かったんです。自分は一つのことにしか集中出来ないタイプなので、この道に進むことを決めて大学は退学することにしました。
水戸から飯能へ
──水戸のナムチェバザールから、飯能のひだまり山荘に移った経緯を聞いても宜しいでしょうか?
中村 ナムチェバザールで働かせて貰って1年半くらい経った時でしょうか、ようやく仕事も覚えてきて仕事を任せて貰えるようになった時に、家庭の事情もあって実家の飯能に戻らなければいけなくなったんです。飯能に戻って翌日、山の道具の手入れをしたくなって靴磨きのワックスを買おうと思ったんですが、ナムチェバザールの社長が飯能にも山のお店があるよ、と言っていたのを思い出したんですね。僕が実家から大学の寮に移った時に飯能の駅前に出来たようなので、もちろん僕はそれまで知らなかったんですが「じゃあワックスを買いに行ってみるか」と、それが「ひだまり山荘」との出会いです。飯能に帰ってからもアウトドア用品店で働きたい気持ちはあったので、丁度求人募集をしていたひだまり山荘に応募することにしました。面接の時に知ったんですが、ひだまり山荘の母体である企画会社は、実はナムチェバザールの店を作る企画の段階で携わっていたようなんです。その経緯もあって、僕の採用がすんなり決まったのは有り難かったです。
ひだまり山荘 池袋店 (2021年8月撮影)
──中村さんから見て、茨城の山と飯能を含んだ奥武蔵の山の魅力の違いってなんでしょうか?
中村 茨城の山はいわゆる標高のある山は少ないのですが、岩がちな山が多いのが特徴です。ナムチェバザールの社長を中心に切り拓いた、茨城県北ロングトレイルの一部に袋田の滝があります。袋田周辺は火山活動の活発な陸地だったようで、火山灰の集積で出来た地質が特徴です。対して奥武蔵の山は、武甲山が代表的ですが、石灰岩系の土っぽい性質があります。でも、どちらの山も似ている里山的な部分もあれば、やっぱり地質的に見れば違って、簡単に一言では言えないですね 笑
──ちょっと話はそれるのですが、中村さんによく相談するノルディックウォーキング(2本のポールを使って歩行運動を補助するエクササイズ。スキーやトレッキング用のストックメーカーが作っていることもあり、アウトドア用品店が主な販売店)の専用ポールを、ひだまり山荘で扱うようになった経緯を聞いてもいいでしょうか? というのも、僕は以前都内の某アウトドア用品店で働いていたのですが、繁忙期であればトレッキングポールは月に数十本販売するくらい売れていましたが、担当営業から「ノルディックウォーキングを置いてみませんか?」という話を貰ったことは、一度も無かったと思います。中村さんがひだまり山荘で働き始めた時には既に扱っていたのでしょうか?
中村 いや、僕が働き始めた時は置いてなかったなぁ。でも、ナムチェバザールでは既に店頭にあったんだよね。
──え? 相当早くないですか?
中村 今から15年くらい前だから相当早いよね。ナムチェバザールの社長は英語が話せて、よくアメリカのアウトドア展示会に直接足を運んでいたから、新しいものに敏感だったと思うよ。まだアークテリクスの販売店が少なかった時だけど、既に置いてあったから感度が高かったと思う。でもノルディックポールには、スタッフもお客さんも「なんだこれ?」みたいな笑 案の定全く売れてなかった。
──そうですよね、なかなか地味な動きなので魅力が伝えにくいですよね。一体どういう経緯で扱うようになったのでしょうか?
中村 お店からというよりは、代理店からのアプローチでした。多分、飯能周辺がノルディックウォーキングに適した環境だったというのが大きいと思います。今はメッツァ(ムーミンテーマパークが並列したレジャー施設)が出来てちょっと歩きづらくなったけど、「奥武蔵の山に囲まれた宮沢湖を1周歩くことが、ヨーロッパの自然の森の中を歩くイメージと凄く近かった」日本代理店の担当者にはそう見えたんだと思います。これは日本の登山文化に根付いた「より高く」を望むアルピニズムに根ざした「垂直志向」とは別の、トレイルに代表される「水平志向」の文化です。宮沢湖の近くにあるウチのお店にノルディックポールを置きたいと思ったんでしょうね、「これは本当にスゴイから!」と猛アピールされました 笑 試しにやってみたら、30分くらいで腕が筋肉痛になって「これはスゴイ!」と。僕以外のスタッフはあまり興味を示さなかったようですが 笑
宮沢湖(Wikipediaより 2012年10月撮影のため メッツァ開園前)
ウルトラライトの次に来るもの
──今回、一番中村さんに聞いてみたかったのは、日本の登山文化の次のビジョンについてです。15年程前、トレイルランニングやULの道具やスタイルが国内に入ってきました。これらのスタイルの違いは、道具を組み合わせて機能させる「システム」の違いといえます。例えばULハイキングでは、行動中に消費する水、食料、燃料、トイレタリー用品など、いわば行動を維持し続けるためのランニングコスト。これらを省いたザックの総重量をベースウェイトと呼び、4.5kg以下にすることが、ULハイキングの定義だと言われています。これは「4.5kg」という数字に拘ることで、全体の装備を見直し、一つの道具に複数の役目を担わせることで、全体で機能する「システム」を自分で構築する面白さを、ULという文化や思想が広めたといえます。トレイルランニングやファストパッキングのような「より早く、より遠く」を目指すスタイルもこの影響下にあり、文化の発展に大きく寄与したと思います。この「システム」を自分で構築することで、さらに別の視点が開けてくる。それが自然に「より深く接する」ことに繋がる、というのがULの思想だと僕は理解しています。これはこれで面白いと思うのですが、そろそろ新しい話を聞きたいなと思って。まさに自然体で山や川に接している中村さんに、今後の登山文化の展望を聞いてみたいと思ったんです。
中村 これは僕の考えですが、一時期のULやファストパッキングは、テントの外殻を薄くすることで自然に近くなることを魅力として語ってきたと思いますが、それは危ないと思うんですね。自然と近くなれば人間は弱いのでリスクが伴います。道具の軽量化の前に必要なのは、山の整備だと考えています。
──山の整備ですか? 確かに、近年日本の各地で有志を募ってトレイル整備を行う動きが盛んになっていますが、まさか、、道具の軽量化と繋がるとは思いませんでした。
中村 何故かというと、ULってアメリカのロングトレイルから入ってきた文化です。ロングトレイルには長大で危ない区間もあると思いますが、基本的には整備がゆき届いていて、何かあったら救助がいける道なんです。対して、日本は補給地点やエスケープルートが全然足りていないと思うんです。日本で実現しているのは北アルプスくらいじゃないでしょうか。例えば、飯能では市とウチのようなアウトドア用品店が協力して、奥武蔵ロングトレイルという総距離105 キロのルートを設定しました。このルートは奥武蔵の歴史にふれるだけでなく、エスケープがしっかり出来るルートになっています。ここならULの装備で歩いたとしてもバランスの取れた山行が出来ると思います。アメリカのULが成立した背景を考慮せずに、道具だけを持ってきてもリスクが大きい。ULの影響が他のカテゴリーの山道具にも広がっていることを考えると、今後の新しい山のお客さんはULの影響下にある道具を買い足していくのは避けられない。だから、山の環境も時代と共に歩く人と一緒に変わっていかなければいけないと考えています。「もちろん山の知識や体力が必要なのは言わずもがなですが(笑)」
奥武蔵ロングトレイルの指導票
奥武蔵ロングトレイルをパトロール中の有志。
一番右 ひだまり山荘 社長荻原安廣氏。ほぼ毎朝、
多峰主山山頂の様子を発信している。
──なるほど。中村さんのお話を僕なりに整理しますと、「垂直志向」の登山技術が求められるアルパイン系ルート、「水平志向」の距離や長さに応じた装備や計画性が求められるトレイル系ルート。どちらがより「日本らしい」山行なのか、両者が攻めぎあってきた歴史があると思います。中村さんの意見は、当人のスキルや装備だけでなく、ルート整備とセットで考えないと齟齬が生じるという考えです。この活動に、地域に根ざしたローカルの登山用品店が積極的に関わっていくというのは、山とハイカーとを繋ぐ「お店」の在り方として非常に誠実だと思います。
最後に、中村さんご自身の今後の山との関わり方で考えていることがあれば、お伺いしたいです。
中村 既にエスケープルートが出来ている飯能の山の中に休憩出来る山小屋を作りたいですね! 実は、いくつか場所の検討をつけています。
──楽しみです! こういう話を自由に出来る場所を是非作って下さい!
今日はありがとうございました。
竹寺の名物 お団子。
中村さんの山小屋では、これに負けないお菓子が出てくると思う。