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黙阿弥と「モナ・リザ」―永井荷風『紅茶の後』を読むⅠ

「雑誌『三田文学』誌上にその折々の感想を書きすてゝ行つた」(『紅茶の後』序)――とする『紅茶の後』は、永井荷風が1910(明治43)年5月に「三田文学」を創刊してから、慶應義塾大学部文学科教授として務めるかたわら、雑誌の主宰者として連載した随筆がほとんどである。荷風は「売ん哉、売ん哉、これが飢た狼を闇夜に活動させる根本の力である。」(「三田文学」の発刊)と宣言するほどの力の入れようであった。「時にまた、時事に激して議論めいた事を書いたにしても、それは初めから無法無責任の空論たることを承知して貰はねばならぬ。」(序)と、わざわざことわるほどであれば、何が飛び出してくるのか、わくわく楽しみに頁をめくった。

明治座で公演された河竹黙阿弥の白浪物「いかけ松」を観た荷風は、グランド・オペラの中心人物としてフランス劇壇に名をはせたウジェーヌ・スクリーブ 、メロドラマ様式の史劇をパリ劇壇に流行させたヴィクトリアン・サルドゥを引き合いに出して、黙阿弥はそれ以上であると、随筆「鋳掛松」において激賞する。「少くとも藝術に対してPrétentieuxでない、誠に懐しい謙遜の態度を伺はしめる。」と言うのだが、そもそも黙阿弥の「鋳掛松」を観たこともなく、フランスの劇作家もつまびらかにしないうえに、フランス語まで飛び出すと、仏和辞典を引かなければ、それが「もったいぶった、気取った」とは分からない。さすがフランス文学を講ずる慶應義塾大学部文学科教授であると、いささか塾員としては誇らしい。折があれば、黙阿弥の「鋳掛松」を鑑賞したいとも思った。

「黙阿弥の白浪物などは時代に後れた古いものだ面白くないものだ」という批評を新聞に見た荷風は、「凡て純化洗練された技巧に対して快感を催す事の甚だ少い神経の遅鈍を自白するに等しいものだ。」と痛烈である。だが一方、「鋳掛松が橋下の絃歌を聞いて、これも一生彼れも一生と云ふ、其れをば直ちに人生哲学だなぞと意味をつけて喜ぶ輩(てあい)にも同意しない。」と容赦ない。

また、そのわけの譬えが凄い。「彼等は丁度Jocondeの肖像画に見られる有名な微笑にいろいろ勝手な意味をつけて殊更にLéonarde de Vinciを賞讃しようとするものと同様で、藝術其物の何たるかを解しない点に於ては前の神経遅鈍の先生と変る処はない。」と言うのである。ちなみに、「Jocondeの肖像画」とは、百科事典マイペディアをみると、ダヴィンチの「モナ・リザ」は「フィレンツェ貴族フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザLisaをモデルとしたというバザーリの説があり、《ラ・ジョコンダ》とも呼ばれる」というのだが、荷風はなぜ「ジョコンダ」を用いたのだろうか。気になりだすと止まらないが、荷風の文章の魅力は、あれこれ想像を掻き立てる材料に事欠かないところにあるのかもしれない。

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