永井荷風「にくまれぐち」の快さ
永井荷風「にくまれぐち」(『花火・来訪者 他十一篇』岩波文庫)は評論なのか。いずれにせよ見事な憎まれ口である。
森鷗外逝去の際、翌月の「新潮」が掲げた無署名原稿が凄い。荷風の引用するところから一部を抜粋する。
「原敬だの山県有朋だの出羽の海だのは、生前イヤであったが、死んでから割合に好感を持てた。ところが生前もイヤな奴で死後もなおイヤな奴がある。大隈だの森鷗外だのがそれだ。彼等の死後業々しく報道される彼等の人となりを知れば知るほど、一層親しみが持てない。‥‥結局鷗外はお上の月給取りというだけのもので、彼が死んだことの為に文壇は少しも騒ぐに当らないと思う。」
まったく品のない「暴言」というほかないが、「当時新潮社の内部に在って同誌の編輯をなしつつあった者の手に為された事は明(あきらか)」であり、雀百まで踊りを忘れずというか、今もDNAは受け継がれているのか。荷風が「雑誌新潮誌上の該記事は文学書肆新潮社全体の是認しているものと見做した。」のも宜なるかなである。ところが、その暴言の舌の根もまだ乾かないうちに、与謝野寛の鷗外全集刊行の企てを聞きつけて、新潮社は「氏に請うて遂に全集出版書肆の中に加った。」のである。「新潮社は言行の相一致せざる破廉耻の書肆である。」と荷風は容赦ない。
というわけで、新潮社から現代小説選集に荷風の作品を編入したいと言って来ても、荷風は「森先生が物故の際聞くに堪えざる毒言を放った書肆に、わたくしの著述を出版せしめることは徳義上許される事ではないので、断然これを拒絶」したばかりではない。「新潮社に関係する文士とその社から著述を公にしている文士輩とは、‥‥たとえ席を同じくする折があっても言語は交えないつもりでいる。」と言う、荷風の「狷介固陋」はむしろ快い。