富士川英郎『菅茶山と頼山陽』摘録
ゲーム感覚というか、膜を剥ぐように僅かずつイメージが浮かんでくる爽快感を感じながら、富士川英郎『江戸後期の詩人たち』『日本詩人選30菅茶山』につづいて、『菅茶山と頼山陽』の漢詩文に取り組んだ。
頻出する難漢字を前にして、まず手もとの漢和辞典を引き、そこに見つからなければ、デジタルの辞典数種類を検索、それでも分からなければデジタル日中辞典を開いてみた。というわけで、1時間に2、3ページほどしか進まないのだが、脳内がいささか活性化されて、ほとんど飽きることはなかったのは、思いがけない歓びであった。
数年前に森鷗外の史伝『伊沢蘭軒』を読み、そこに登場する菅茶山に惹かれながらも、それがいかなる人物かいまいちよく知らないままになっていた。しかも、そこに絡む頼山陽との繋がり具合いがどうにも腑に落ちなかったので、コロナ自粛の時間をその解消のために費やすことにして、ようやく読了したのである。
茶山が山陽を廉塾の講頭に呼んだ経緯、それから一年ほどで山陽が廉塾を飛び出して京へ奔った際の茶山の対応、二人の関係はどのようなプロセスを経て修復されたのかなどなど、茶山と山陽、その関係者の詩文と日記と書簡をつぶさに渉猟し、事細かに追跡されていて、ナットクであった。
なかでも書簡には情意が尽くされていて心を打たれた。「茶山の書簡が明快であるとともに曲折に富み、しばしばその間に諧謔をまじえていて、それを読むときはさながら老茶山の謦咳に接するような思いがした」のは、一人山陽だけではなかったようである。
山陽も茶山に示した長い五言古詩のうちでまず、「朝来(ちょうらい)、君が書を獲(え)たり。題を覩(み)て、已に心怡(よろこ)ぶ」と、「茶山からの便りを得た喜びを述べたのち、ついで茶山の書簡そのものに説き及んで」いる。
書中雑詼咲 書中 詼咲(かいしょう)を雑(まじ)え
恍見掀厖眉 恍として見る 厖眉(ぼうび)を掀(あ)ぐるを
前日往陋製 前日 陋製(ろうせい)を往(おく)りしに
仔細著黄雌 仔細は黄雌(おうし)を著(つ)く
行間字如蠅 行間の字 蠅の如く
批圏珠纍纍 批圏の珠(しゅ) 纍纍(るいるい)たり
「厖眉(ぼうび)は白髪まじりの眉、つまり老人の眉のことであり、陋製(ろうせい)はここでは山陽自身の詩をさして」いるが、「詼」の訓読みは「おどける、たわむれる」、「咲」は「わらう」の意である。「雌黄(しおう)」は「詩文を添削する」こと。すなわち、茶山からの書簡には、蠅の頭ような小さな細字で、びっしり「批圏の珠」が記されていて、それを得た歓びをうたっているのである。
さらには、五古の最後に「茶山の愛顧を謝して、次のように歌っている」のである。
僻性罕所偶 僻性(へきせい) 所偶罕(ま)れに
眇軀萃詆訾 眇軀(びょうく) 詆訾(ていし)を萃(あつ)む
寸心託文字 寸心 文字を託するに
非君問向誰 君に非ずんば問うて誰にか向わん
夜闌酒又醒 夜闌(たけなわ)にして 酒又た醒む
呼燭重更披 燭を呼んで 重ねて更に披(ひら)く
著者の解説によると、「『僻性(へきせい)』とはひがんだ性格のことで、ここでは山陽自身をさしている。『所偶(しょぐう)』は気の合った友、『詆訾(ていし)』はそしることである。『君に非ずんば‥‥』という『君』は茶山であることは言うまでもないが、『夜闌(たけなわ)にして』酒も醒めたとき、山陽が『燭を呼んで、重ねて更に披(ひら)く』ものが、茶山の手紙であることも、別に注記を要しないだろう」という。
さらに、「茶山は山陽からこの五古を贈られたとき、さすがに喜びを禁じ得なかったらしく、この詩の欄外に、『此の篇、願わくば一通を大書せよ。当に装して、横披(おうひ)と為すべし』という言葉を書きつけている。山陽にこの詩を揮毫させて、それを巻物にしようというのである」から、晩年の茶山と山陽の仲がいかなるものであったか、言うまでもないところである。本書は、そこに至るプロセスを見事に明かしている。