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南総里見八犬伝を歩く
ここ3年余りの巣ごもりで、著しく筋力が衰えているばかりか、紛れもなく頽齢である。どこまで歩けるのか、標高の低い山で試してみようと、これまで馴染みのうすい南房総へ出かけた。
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富山は南総里見八犬伝の舞台である。岩井駅傍には「伏姫と八房」像が設置されていて、その説明板には「伏姫は安房の国の城主里見義実の娘であり、その飼犬である八房と、ここ富山町(とみやままち)中央にそびえる富山(とみさん)の中腹にある籠穴で暮らしていたとされます。」とある。そういえば、「私が最後に茗荷谷のほとりなる曲亭馬琴の墓を尋ねてから、もう十四、五年の月日は早くも去っている……。」という、永井荷風「伝通院」の回想に誘われて、馬琴の墓をたずねたのは三月ほど前のこと。
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富山遊歩道に入ると、一合目、二合目、三合目、四合目、五合目、六合目、七合目の標識を励みに登るのだが、階段状の急勾配が多く、標高349.5mの低山とはいえ思いのほかしんどい。やっと南峰にたどり着いて急階段を上がってみると、廃屋があるだけで眺望はない。さらに進んで伏姫籠穴ルートとの分岐点には、やはり「登山道崩落この先通行止め」とある。無念。さらに北峰に向かう途中に休憩所があり、ここが「里見八犬士終焉の地」。馬琴は大長編を、富山に庵を結んで住む「八個の翁は、忽焉とあらずなりて、室中に馥郁たる、異香しきりに薫るのみ」と結んだ。北峰の広場には展望台があり、太平洋はもとより新島、神津島、式根島、大島などの眺望も素晴らしい。すぐ傍が「富山山頂」である。
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やはり「伏姫籠穴」も見ておきたい。そこで改めて伏姫籠穴ルート側から上ることにした。道傍のスイセンが強風に揺れながらも、鮮やかにきらめいていた。門まで辿り着くのはさほど苦ではなかったが、そこから籠穴までの長い階段にはほとほと難渋した。誰が何時ごろ造ったのか、今も謎と言う。扉の奥へ上ってみると石柱には「伏姫籠窟」と表記されている。伏姫の籠窟があたかも実在したかのようだ。「目で楽しむ南総里見八犬伝」展を開催中の館山城まで足をのばす余力はなかった。
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