小島政二郎『妻が娘になる時』の懐かしさ
小島政二郎『妻が娘になる時』(中央公論社)読了。著者の言によれば、何十年ぶりかに出版された「芸術小説の短篇集」である。表題作「妻が娘になる時」と「美籠と共に私はあるの」は、何しろ「七十年の過去を背負っている」小説家の私と、「四十年の、それこそ私なんかよりももっと複雑な愛欲の生活を経て来ている」妻・視英子との再婚生活にもとづく作品だが、小説を読むというよりも、ともかく懐かしさいっぱいだった。
再婚はしたものの、「ハッキリ二人は同時代の人間ではなかった」と思い知らされる日々だった。「彼女は私の娘にもなれず、私の妻にもなれず、自分の居場所を捜して右往左往している」のである。一方、老小説家の「私にも、自分の時代があった。流行作家として、華々しい存在であった時代があった。その時代には、何の無理もなく時代と共に呼吸していることが出来た」。だが、もはや「今の時代とは異質なものになったしまった」と再確認させられる出来事に出会い、「その時私は目から何かが落ちたと思った」。言うなれば、「一人娘を亡くした父親が、偶然同い年の娘をもらったと思えば――」と悟ったのである。
それからというもの、亡くなった娘の美籠に代わる「娘だと思えば、どんなわがままを言われても楽しかった。‥‥娘に死なれて心に出来たうつろが、少しずつ満たされて行く喜びを私は味った」だけではない。私は「老いたりといえども、小説家であった。家の中で新時代を呼吸するだけでも楽しかった。自分を置きざりにして遠くへ行ってしまった新しい時代が、感覚的にも、感情的にも、彼女を通して私の皮膚にピチピチ打って来た」ではないか。
彼女もさまざまなプロセスを経た末に、「私、パパの娘になったような気になったら、今まで我慢ならなかったパパのいやなところや、嫌いなところが、あんまり気にならなくなったわ」と言い、「私は奥さんとしては落第かも知れないけど、小説家の相手としては、いい道連れだよ。私が傍にいる限り、パパを老朽させることないもの。私の刺激だけで、パパは蘇生すること間違いないよ」と思い定めるに至った。「そこで彼女は私を激励して、古い殻を破って新しい小説の繭を作らせよう」とさまざまに目論むのである。
小説の雑誌連載を依頼しに、駆け出しの編集者が鎌倉の二階堂を訪ねたのは、それから二、三年後のことだから、視英子夫人の刺激によって老小説家は蘇生し、意欲満々の絶妙のタイミングだったのか。その後、前立腺肥大の治療で東京の病院に来られたときに打ち合わせをしたこともあったと記憶するが、若かった私は前立腺肥大の治療に少しの関心も見せず、その頃「伊吹山の艾(もぐさ)でするお灸」の療法に取り組んでいたことはまったく知らなかった。
というわけで、「妻が娘になる時」「美籠と共に私はあるの」は、懐かしく遥かな往時へ私をいざなってくれる“懐旧導入剤”であった。