カルチェラタンの歓楽
ひきつづき永井荷風『ふらんす物語』を捲りながら、あれこれリサーチは尽きない。図書館へ出かけて、さまざまの資料を探し出し、あちこちページを捲りながら、該当する箇所を突き止めるには膨大な手間隙を要する。だが、ネット検索であれば、パソコンを前にする時間もさほど長くはない。しかも、ときにめぐり合う偶然も面白い。
「除夜」のエピグラフに引かれた「アキユ、ミイヤン」が誰なのか。あたふた調べてみると、詩人で民俗学者のアラル・ミリエンらしい。1938年、フランスのボーモン・ラ・フェリエール生まれ、とまでは知れても、それ以上はフランス語の文献に当たるしか手がないようだ。
不案内はこれだけにとどまらない。下宿屋で晩飯をすませた「自分」は、「何処へ行こう」かと思案する。オペラ座は「もう幾度となく聞きあきたトーマの『ミニオン』であったと思う」と言われても、エッ!、誰の何? チンプンカンプンである。慌ててググると、アンブロワーズ・トマのオペラ作品「ミニョン(Mignon)」らしい。「劇場はスクリーブか誰れかの古めかしいボードビルだ」というが、これはフランスの劇作家オギュスタン・ウジェーヌ・スクリーブの流行歌入り軽喜劇ということであろうか。
ありがたいことに、本書の「附録」には「オペラ雑感〔『ふらんす物語』附録 余篇〕」を含めて六篇の西洋音楽・オペラ論が添えられているではないか。渡りに船と、とりいそぎ通読した。荷風は「遠く独り、欧米の空の下に彷徨(さまよ)うとき、自分が思想生活の唯一の指導、唯一の慰謝(いしゃ)となったものは、宗教よりも、文学よりも、美術よりも、むしろ音楽であった。」(「西洋音楽最近の傾向」)と回顧するほどに、音楽会やオペラ劇場に足を運んでいる。
「しばしば伊太利もしくは仏蘭西のオペラ中で極く情的な艶麗なものを聴いていると丁度日本で義太夫の心中物でも聴いていると同様の感を抱くことがある」(「オペラ雑観」)として、荷風はその実例の一つにトマの「ミニオン」(Mignon)をあげ、「我娘の行衛を探らんために音楽者となって旅する親爺は何やら朝顔日記の悲しみにも比すべく」(前同)と述べている。なお、「モーパッサンの石像を拝す」に、モーパッサンの石像が立つモンソー公園に、「ゲーテの物語からミニヨンの一曲を作って名を上げたアンブロウズ、トーマの石像」もあると教えられた。
カルチェラタンの裏面を覗き見る作品「羅典街(カルチエーラタン)の一夜」は、書き出しから文学と歌にあふれたパリ案内である。
「イプセンが『亡魂』の劇を見た時は、オスワルドが牧師に向って巴里に於ける美術家の、放縦な生活の楽しさを論ずる一語一句に、自分はただならぬ胸の轟きを覚えた。プッチニが歌劇La Vie de Bohèmeに於いては、路地裏の料理屋で酔うて騒ぐ書生の歌、雪の朝に恋人と別れる詩人ロドルフが恨の歌を聞き、わが身もいつか一度はかかる歓楽、かかる悲愁を味いたいと思った。モーパッサンの小話、リッシュパンの詩、ブールヂェーの短篇、殊にゾラが青春の作『クロードの懺悔』は書生町の裏面に関するこの上もない案内記であった。」
やはり『ふらんす物語』は文学や音楽、観光はもとより、日常の街とその裏面にも及ぶ、荷風ならではのフランス案内記である。『あめりか物語』とともに、爆発的とも言える評判を集めたというのも故なしとしない。