芥川龍之介「MENSURA ZOILI」の機知とユーモア

どこかへGo toというわけにいかない都民の一人としては、もっぱら Stay Home,Read である。芥川竜之介『蜜柑・尾生の信 他十八篇』そのⅤ。「MENSURA ZOILI」はまるで見当のつかない題名の小品である。辞書を引くと、mensuraはラテン語で「測る」という意味とある。

ゾイリア共和国へ寄港する船のサロンで、「僕」は角顎の男と出逢い、ゾイリア大学の教授連が考案した「価値測定器」の優れものである由縁を聞かされるのだが、その測定器の名称が「MENSURA ZOILI(メンスラ ゾイリ)」である。しかも、「ゾイリア」と言えば「ホメロスに猛烈な悪口をあびせかけたのも、やっぱりこの国の学者」であるばかりか、その学者ゾイラス(Zoilus)に因んだ「ゾイリア」という国名は、芥川がさりげなく仕込んだ暗喩である。

じつは少し前の『新小説』(1916年11月)に発表した芥川の「煙管」は不評だった。広津和郎が「十一月文壇」(大正五・一一・八ー一六『時事新報』)で、久米正雄の「銀貨」をこき下ろし、あわせて芥川の「煙管」にも「甚だしく失望した。氏の他の作を読んで見ないからはっきりした事は云えないが、この作では私の期待したようなものは何もなかった。唯何か或る興味を人生から発見して、それを話上手に語っているに過ぎない、常識と常識から来る利口と器用な手との持主だと云うに過ぎない」と辛辣であった。『萬朝報』の匿名批評も「平々坦々たる物」「作者早くも濫作をやるか」と評した。

だが、芥川は喧嘩を仕掛けるような真っ向からの反駁は避けて、このお伽話のごとき作品を構想したのである。

その「価値測定器」は、小説や絵の芸術的価値をはかるのに使用される、非常に便利な「所謂文明の利器」である。ゾイリア共和国が「早速これを税関に据えつけた」のは、「外国から輸入される書物や絵を、一々これにかけて見て、無価値な物は、絶対に輸入を禁止する」ためである。角顎の男は「ゾイリア日報」なる新聞を広げながら、「先月日本で発表された小説の価値が、表になって出ていますぜ」と言うので、友だちの久米が書いた「銀貨」の評価を訊くと、「駄目ですな」とにべもない。「あなたの『煙管』もありますぜ。」と言うのだが、「常識以外に何もないそうですよ。」「ーーこの作者早くも濫作をなすか……。」などと評価されている。言うまでもなく、これは広津和郎の「十一月文壇」や『萬朝報』の批評をもじった評言である。

そこで、「僕」は「その測定器の評価が、確かだという事は、どうして、きめるのです。」と問い返す。「ホメロスに猛烈な悪口をあびせかけた」類いの学者の頌徳表が今も首府に立っているような国であれば、その評価が確かだとはとうてい思えないのだが、「それは、傑作をのせて見れば、わかります。モオパッサンの『女の一生』でも載せて見れば、すぐ針が最高価値を指しますからな。」と、角顎の男は答えるのである。広津が生活費を稼ぐために『女の一生』を翻訳出版したことを皮肉った台詞である。

さて、これは書斎のロッキング・チェアで昼寝して見た夢であるーーと言うのだが、芥川の巧みな構成、その機知とユーモアがなかなかである。

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