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神峰山の「ある町の高い煙突」に巡り合う

長淵丘陵の赤ぼっこをはじめ関東の低山をめぐり、まだ足を運んでいないのは茨城と気づいたので、老羸を励まして日立の神峰山へ出かけた。日立駅のバス停へ行くと、平日の鞍掛山行きは「全便運休」の不意打ちをくらった。やむなくタクシーでかみね公園口まで行って、そこから歩くことにした。

大煙突記念碑と新田次郎文学碑

かみね公園のはずれになるのだろうか、新田次郎文学碑と大煙突記念碑を発見、嬉しい不意打ちである。文学碑には《或る町の高い煙突 新田次郎 第二十八回 誕生と死と》の題字と、それに続く出だしの《三郎は祈るような気持ちで大煙突を見上げていた。高い、高い煙突の上には青空があった。いつまでも煙突を見上げていると、目舞いがしそうだった。》が刻まれていた。

新田次郎文学碑

駆け出しの編集者の頃、ダメもとでアタックした新田次郎さんに『ある町の高い煙突』を連載していただき、天にも昇るような嬉しさだった。だが、忙しさにかまけてというか、若さゆえの至らなさというか、連載に際して小説の舞台を訪ねてみることはなかった。その「ある町の高い煙突」の文学碑と記念碑に、半世紀余りを隔ててひょっこり巡りあうとは思いもよらないことだった。

神峰山へ向かう尾根の上を這うように延びる「百足煙突」や、きわめて太くて短い煙突の空洞の中で、煙を空気と混合稀薄して排出するという、政府の諮問機関の試案にもとづく「命令煙突」(のちに「阿呆煙突」と呼ばれた)は、いずれも煙害を解決するものではなかった。最後の望みを託したのが、高さ156メートルの世界一「高い煙突」であった。『ある町の高い煙突』は、その煙害と闘った人々の「勇気(カリッジ)と忍耐(ペイシャンス)」の物語である。

ハイキングコース入口
入口からの急階段
木影を歩くと爽やかで気持ちいい

やっと神峰山ハイキングコース入口に辿り着くと、長い急階段が待っていた。その後はなだらかな登り坂が続くのだが、猛暑のためなのか、足が重くてシンドイ。熱中症がこわい。それでも休み休み頑張っていると、大煙突展望台の道標があるではないか。早速、急勾配を上がってみると、大煙突が山の彼方にどっしりと立っていた。

大煙突展望台の道標
大煙突を遠望する

道標によると、ここから神峰山まで4.2キロ、かみね公園まで3.8キロとある。上りの4.2キロ、下りの3.8キロでは大違いである。今日は「高い煙突」の遠望をもってヨシとして、神峰山の山頂は断念。涼しくなってから出直したい。

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