ディア・ハンター
大学生のある時期に、ベトナム戦争をテーマにした映画を集中的に観ていた時期があった。
「プラトーン」「フルメタルジャケット」「7月4日に生まれて」「ワンスアンドフォーエバー」「ハンバーガー・ヒル」「グッドモーニング,ベトナム」「カジュアリティーズ」「天と地」「地獄の黙示録」
およそ見ていたのはこんなところだった。
その中で、強烈に印象に残ったのが、「ディア・ハンター」だった。1978年に公開されたこの一本の映画は、本編3時間越えの大作で、この年のアカデミー賞5部門に輝いている。
去年の末に、4Kデジタルリマスター版が映画館で再上映していて、懐かしいなと思っていた。
映画の舞台は、ペンシルバニア州ピッツバーグの工業都市クレアトン。ロシア系移民の多く暮らす街で生まれ育った5人の若者は、製鉄所で働きながら、仕事が終わると酒場に繰り出して馬鹿騒ぎをする気の置けない仲間たちだった。寡黙だが皆から一目置かれるリーダー、マイケル。スマートで優等生だが、どこか儚げな雰囲気を持つニック。心優しく気弱な一面を持つスティーブン。強がりで護身用のナイフや銃を持ち歩くスタン。そして大男のアクセル。彼らの関係が物語の起点となる。
この映画は、大きく前半と後半に分けることができる。二つを隔てることになるのがベトナム戦争だ。マイケルとニック、スティーブの3人が徴兵でベトナム戦争に向かうことになるまでの仲間との関係や、街での日常を描いた前半部。そして、戦争を経て帰還してからの仲間との関係を描いた後半部。この二つが対比されることによって、彼らの間で決定的に変わってしまった、取り戻すことのできない何かが、物語が進むにつれて心の奥底にじわじわと物悲しく広がっていく。そんな哀愁を優しく包み込んだような映画なのだ。メインテーマのcavatinaは、まさにこの映画の代名詞と言えるくらい、抒情的なメロディを奏でる。
この映画のタイトルにもなっている、鹿(ディア)は、物語の象徴的な存在として登場する。
5人は、休日に山に出かけて鹿狩りをして遊ぶのが趣味だった。その中でもマイケルはディア・ハンターとして鹿を一発で仕留めることに美学を見出していた。大きな角を持った鹿を追い詰めたマイケルが、容赦なく鹿を一発で仕留める姿が、前半に描かれている。
しかし、マイケルはベトナム戦争である壮絶な経験をする。捕虜として偶然同じ場所に捕らえられたマイケル・ニック・スティーブンは、ベトコンが捕虜を使い、ある賭け事をしている場に強制的に参加させられる。それは、実弾を一発だけ込めた銃を捕虜同士で交互に撃たせ、どちらが先に死ぬかを賭ける、ロシアンルーレットだった。最悪なことに、マイケルはニックと対決させられることになる。最終的には隙をついて敵を撃ち殺し逃げることに成功したが、隙を作るために、お互いに運を天に任せて、数発ロシアンルーレットをしなければならなかった。
ベトナムから帰還後、久しぶりに仲間と鹿狩りに行くことになったマイケル。そこで、再び立派な角を持った鹿と出会う。しかし、今度は弾を当てることができず、鹿を逃してしまう。そして、狩りから帰った山小屋で、護身用の銃を持ち歩くスタンが、そのことをおちょくったアクセルに銃を向けているところを目撃する。マイケルは即座にスタンの腕を押さえつけて銃を奪い取る。
「何だよ 弾は入ってない 返せ」
マイケルが天に向けて撃つと、弾は入っていた。
「ゲームか よしやってやる」
マイケルは弾を1つだけ込めてリボルバーを回転させ、アクセルの眉間に銃を当て、引き金を引く。
「どうだ」「強がりめ」
マイケルは周りを睨みつけて外に出て行き、そのまま銃を投げ捨てる。
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これは映画の一部に過ぎない。この映画のストーリーを説明するのはあまりに難しい。それほど、細かい心情や人間関係の微妙な揺れが舞台背景とともに描かれていると思うのだ。
ベトナム戦争を扱っていることから、ベトナム戦争の映画と分類されるかもしれない。しかし、この映画で描かれていることは、もっと普遍的なことではないかと思う。
それは誰しもが経験しうる、時間の経過によって失われてしまうかけがえのない物事への、どうしようもないやるせなさとでも言うべきものだろうか。
私たちにとってそれは、必ずしも人の死のように大きな出来事だけではなく、もっと日常にありふれているのだと思う。
それは、私たち自身が常にいまを生き、変化している以上、避けることのできない道程なのかもしれない。
あの時、「ディア・ハンター」を観て心が揺さぶられたのは、マイケルや仲間たちのやるせなさを自分自身に投影していたからだろうか。
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これを書いていて思い出した作品があった。
藤子・F・不二雄が書いた、「ノスタル爺」という短編漫画。
これも、過去を戦争で喪失した男性がモチーフになった作品だった。
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