無機質な鉄の扉には、警察が強制捜査のためにつけた、生々しい電動カッターの跡が残っていた。 数ヶ月前、仕事の一環で過激派と言われる左翼組織で活動している、とある若者にインタビューをした。右翼や左翼で活動する若者を一部のメディアが取り上げているのと同じように、彼らを取材して何か企画にならないかという先輩に同行し、彼らが活動拠点とする建物を訪れたのだ。私はそこで二人の青年から話を聞いた。 トタン板のようなもので囲われ、入り口には仰々しい鉄扉を設け、異様な雰囲気を放つ建物とは似つ
最近、あらゆるものをレビューという物差しで判断しているような気がして、それに疑問を持たずに染まってしまっている自分に嫌気が差した。この映画観たいと初心で思ったのに、レビューで星が少ないと、観るモチベーションを失うのは、おかしいんじゃないかと、ふと思う。自分の目で、耳で、口で感じることなく、物事の良し悪しをつけてしまうのは、それはある意味でフェイクな世の中に自分自身が染まりつつあることと同義ではないかと思った。意志を喪失するな。 自転車で5分も行けば、かつてこの地域が農村地帯
「夕方の番組だから」 若手のディレクターになったばかりの男が言う。 こいつはこんなに若いのに、なんでこんなにつまらない“規範”を内面化しちまってるんだと思った。 “規範”とは、無論、政治的に議論があり、批判を呼びそうなテーマをできるだけ正面から扱わないという、今のテレビ業界におけるそれである。 飼い慣らされているな、と思った。 教育の過程でなのか、あるいは、業界に入ってからなのか、恐らく前者であると思うが、彼は知らず知らずのうちに、その“規範”を内面化し、自らの中に
初めて来た場所なのにどこか安心感を覚える、尾道はそんな場所だった。瀬戸内海の穏やかな流れと情緒的な民家が並ぶ山に囲まれて、心はいつしか安寧に浸っていた。 山へと続く石畳の階段を登る。古めかしい家屋の合間を縫うように、階段の途中には、新たな場所へと誘う小道がいくつも伸びている。そこに惹きつけられるように、狭い小道へと足を踏み入れた。 それは、お寺の境内の裏手へとつながっていた。表に廻ると、荘厳な仏堂と三重塔が静かな威厳を放っていた。 尾道はお寺が多い。その多くは、かつて寄
「なぜ人を殺してはいけないか」ということが、大学のゼミで問われたことがあった。いつも真面目にゼミ発表をしていた女の先輩は、「それが法や道徳の規範で定められているから」と、自信なさげに答えた。静かに聴いていた先生は、「世俗的ですね」と、その答えが正しいのか間違っているのかを示すことなく、ただ一言そう述べた。他の人は、と問われても、恐らくその場にいた人は、私も含めて、「規範で定められているから」ということ以外の“答え”を持ち合わせていかなった。 そんなことを思い出したのは、最近
道は暗かった。 周りを見渡すと、田園が広がっている。ポツンポツンとあるコンビニやスーパーマーケットの光が、より一層、その街の物寂しさを強調していた。 助手席から風景を眺めながら、僕は、遠くまで来たなと思った。 ◇ 「近くで水難事故が起きたから、その現場をおさえてくれ」 そうデスクから電話がかかって来たのは、つい1時間半ほど前のことだった。 コロナ禍であることなど関係なく、照りつける太陽の下で取材を終え、一服している最中だった僕らは、もう一仕事かと、いやでも吹き出る
次の本を読もうにも、どうにも前に読んだ本が消化しきれずに、なにか体全体に溜まったもやもやした読後感を、形にして吐き出さないと気が済まない、そんな読書を経験したことがあるだろうか。かく言う私自身がいま、そんな読書をしてしまった当事者であり、この文章を書いている。 読んだ本は、井田真木子 著「ルポ14歳」。この著者の名前を知っている人は、あまり多くないように思う。私自身も、彼女の名前を知ったのはごく最近のことで、それまでは名前すら聞いたことはなかった。 彼女は、2001年に4
どんどん色々なことが簡単になっている。 スマホ1つあれば、なんでもできる。知りたい情報も、食べたいものも、着たい服も、なんでも手に入る。そんな時代だ。 ひと昔前、ネットが急速に伸び始めた頃、知りたいことをネットで調べる若者に対して、苦労して本を探し情報を調べていた大人たちは、簡単に手に入れた情報は知識として定着しない、すぐ忘れてしまうと批判していた。その頃からすると、今は、そのレベルをはるかに凌駕して、あらゆる物事が簡略化されて、簡単であることが1つの市場価値として存在感
神戸に住んでいた頃、お金を貯めようとバイトをした時期があった。 選んだのはライン作業と言われる、工場で製品の箱詰めをしたり、弁当の具材入れをするバイトだった。一つには短期間で稼げるからという理由があったが、一番のきっかけは、好きな子が「工場で働いてお金が貰えればいい」と言っていたことが、直接的には関係している。その時に僕は、志が低いなーということと、工場でライン作業をするような仕事に対して無自覚に卑下する気持ちがあって、「そんなのやめなよ」というようなことを言ったことを
「大正ロマン」とか「昭和レトロ」とか、いつの時代でも過去を懐古するようなときがある。じゃあ令和になったいま、平成は?、と思うが、僕らは昭和を懐古する。元号で時代感覚が区切られる特殊な日本という国で、平成は、失われた20年や就職氷河期、あるいは格差といった、負の言葉と共に想起されることが多いのではないかと思う。 ここ数年の間で、時代というものを自分のなかで特に意識するようになった。歴史の授業で近現代という区分があって、テストのために平面的に勉強していたのとは違う感覚ーーそこに
「2019年12月28日08時28分 人身事故のため、不通区間が生じております 」 一昨日、小田急線の向ヶ丘遊園駅で朝の8時頃に人身事故が起きたことを、朝起きた寝床のなかで見ていたツイッターで知った。 「朝からやめて頂きたいですな」「勘弁してくれ」「予定に間に合わない」。人身事故の詳細はわからなかったが、いつものことながら、ツイッター上にはそんな呟きがあふれていた。そしていつものように、僕の心の中ではもやもやが広がっていた。 ある人がこんなようなツイートをしていた 「
政府が桜を見る会において、いわゆる“反社会的勢力”を招待し問題になっていた件で、「反社会的勢力の定義は困難」と閣議決定したらしい。 答弁書において、「その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難だ」とされた。 * そもそも「社会」とは何を指すものなのか。おそらく、この言葉を定義することもまた難しい。ただ、社会という場合にはっきりしていることは、複数の個人によって成立している共同体ということだ。それはすなわち、社会の大小に関わらず、その構成員
“ロバート・デ・ニーロ”という、あまりにも有名な名前を認知するようになったのはいつからだろう。その記憶の吊り糸を辿っていくと、あるお笑い芸人がデニーロのモノマネをしていた記憶にたどり着く。確か小学生くらいの頃だった。恐らくそのあたりに、デニーロという俳優がいることを知った。しかし、そこから長らく、僕の中でデニーロは名前を知っているだけの人だった。 転機が訪れたのは、大学生の時。「ディア・ハンター」という映画を観たことがきっかけだった。1960年代のアメリカ郊外の若者たちが、
学生の頃、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読むことが課題に出され、それをもとに講義をする授業があった。プロテスタンティズムが経済活動に及ぼした背景は何か、という大きな問いに、担当教授は僕たちにこう問いかけた。「人が動く一番の原動力はなんだと思う?」。欲、恐怖、、色々な答えがあった。そのどれもが間違っていないように思われた。「不安です」。教授はただ一言、そう言った。カルヴァン派が唱えた「予定説」では、人が死後に救済されるか否かは神によってあらかじめ決まっていると
昔から、テレビで殺人事件が起きたというニュースを見るたびに、被害者の心情や、犯人に対する怒りということ以上に、なぜ犯人はいかなる動機や背景を持ってその事件を起こしたのか、ということが気になる人間だった。そうした興味関心は、小学生の頃に読んだ石ノ森章太郎の歴史漫画に描かれた、フィリピンに送られた日本兵が極限状態のなかで人肉を食べたという話を、未だに強い記憶として留めていることと関係しているのかもしれない。 大学3年生の頃に、宮本輝の「青が散る」という小説がたまたま家の本棚にあ
小学生の頃、祖父が亡くなり、古いアルバムや写真の整理を手伝わされたことがあった。優しく微笑んでいるというくらいの印象しかない祖父の、知らない一面を垣間見るようで、どきどきしたことを覚えている。その無数の写真群のなかに、むかし祖父が戦争でパプアニューギニアのラバウルに送られていた頃のモノクロ写真があった。若かりし頃の祖父は、昭和の映画俳優を思わせるような美男子で、部隊の仲間とともに写る写真のなかで、その整った顔立ちはひときわ目立っているように思えた。そのなかに、現地人と思われる