漱石の夢-第一夜-3

 昭和の知の巨人の一人吉本隆明は、「漱石の「夢十夜」は宿命の物語である。人間の宿命はどこで決まるか、第一に母の胎内か、1歳未満の時の母との関係の中、つまり無意識の基底のところで決まる。それでも宿命は生涯決定要因ではなく、人間の場合自分の人生を超越的変化できうる、そのことが人間にとって生きることになりましょう。また夢の話が彼の乳幼児期にかかわる宿命としてだけでなく人間の歴史の乳幼児期、つまり民話、神話などとどこか糸でつながっているものです。」
  吉本の宿命論は、相反する2つの基底を一緒くたにしている。分かりやすくたとえば、さけ魚の習性(宿命)を考えると、①誕生から幼魚,晩魚の時はふるさとでの小川生活、②青魚、成魚の時は大洋で生活する。①は個体生命を手段に種を目的にして魚生命を生き、②は反対に種生命を手段にして、個体を目的に生きる。これら相反する2つの生命は同時に活動することはできない。
吉本は無意識の基底を、母の胎内と1歳未満時の母との関係にしているが、この2つは分けて考えなくてはならない。吉本の言うようにいずれも無意識の基底と言えるでしょうが、母の胎内生活は、上記①に属し、その主語になり、1歳未満時のは、上記②に属するものでしょう。
人間(人類)の歴史,先史、宿命を考えると、上記⓵は生涯変えることのできない種を目的とした人生であり、その主体は母の胎内にいる時期のこと-人類史700万年-ではないかと思われる。②は個体保存を目的にしており-人類史約73万年ー吉本の言うように、自分の人生が間違った方向に進んでいることに気ずいたとき、その方向性を自分で変えることができるということのようです。
  さて夢ー第一夜-に戻ろう。女は、「100年待っていてくださいーもう死んでいた。、、自分(漱石)は真珠貝で穴を掘った。、、女を抱き上げその中に入れ土を盛った。、、自分はこうして100年の間待っているんだなあ、、すると石の下から斜に自分のほうに向いて、青い茎が伸びてきた。真っ白なユリが鼻の先で骨にこたえるほど匂った。遠い空を見たら暁の星がたった一つ瞬いていた。100年はもう来ていたんだなあ、とこの時初めて気が付いた。」


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