新説‐ナイチンゲールは神経症だった‐4
「苦しんで、あえいでいる人たちを助けなさい」=「神の声」を聴いて以来、強い宗教的使命感にとらわれたナイチンゲールは、1853年~1856年(ナイチン33才―36才)のクリミヤ戦争(英、仏,土対露)で 38人の看護婦たちとともに不衛生、過酷でハードなしかし献身的な看護を必死に行った。その結果自軍の負傷兵達約8000人の命が救われたのである。
ところがあまりのハードで慣れない労働の故か、看護婦たちに過労死が続出、またナイチンもコンゴ熱病、心臓発作も引き起こすなど、宗教的使命感の代償を払うことになった。
その後彼女は、統計学の発展、看護婦学校創設など歴史的偉業を成し遂げ、時の女王から勲章も授けられたものの、しかし彼女個人は、戦争終結帰国後、上記病気も持ち帰り、40歳ごろから歩行困難、車いす生活になり、81歳で失明、1910年、90才で亡くなった。
さてそこで問題となるのは、なぜ彼女が殆どの人が避けて通るようないばらの道を選んだのかではなく、なぜ彼女は神経症人だったのか、ということである。それは彼女が過酷な看護の末引き起こした「心悸亢進発作」の症状にある。
彼女のこの症状とは、本物の身体の病気(心臓病)ではなく、架空幻想の心の症状といえるだろう。もし彼女が本物の心臓病なら、当時50代寿命に90才まで生きれるわけがないから。
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