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執筆の楽しさと一度も推敲しなかった理由とは?

執筆活動。

僕はこれを生き甲斐にしている。

しかし、僕は書いた記事を推敲しないスタイルを貫いていた。

その理由を今回お伝えしたい。

そして、僕自身、執筆を楽しんでいるので、執筆の楽しさについても語っていきたいと思う。

まずは執筆の楽しさから。

では行ってみよう。



執筆は楽しい

正直執筆はめちゃくちゃ楽しい。

僕自身、言語を操るのが得意で得意なことをするのは気分が爽快になるものである。

なぜ僕は言語を操ることが得意なのか?

それを言える根拠が僕にはある。

僕はある理由で医療機関で知能テストを受けた。

その際の言語性知能が120だったからである。

120の数値の意味とは?

数字は単体で述べても意味がない、基準を作り比較することが必要だ。

まず、知能指数が130を超える人をギフテッド、つまり天才と呼ばれる。

そして、その少し下が僕の120台と言うわけだ。

130が天才なら120がはどれくらいなのか?

それは全人類の上位20%だ。

それくらい僕の言語性IQは高い。

その代わり、動作性IQは低く、70だ。

70と言えば、チンパンジーレベルだそうだ。

全人類の上位20%の言語性IQ、チンパンジーレベルの動作性IQ、この両方を備える僕はその差の大きさゆえに、発達障害と呼ばれる。

このように、僕は言語を操るのが得意なので執筆することが快感でたまらない。

だから、一般的に執筆が楽しいと言うより今回述べているのは僕が執筆するのが楽しいと言う意味だ。

時間があるから執筆できる

次に、僕がこれだけ執筆に時間を割けるのは環境という理由がある。

僕は今、フリーランスでカウンセラーをやっていてクライアント様への対応はまだ開業したばかりなので少ない。

来年2月からカウンセリング資格取得のための資金を貯めるためにアルバイトをするが、今は仕事をしている時間が圧倒的に少ない。

だから時間があるのだ。

時間があるから、記事も好きなだけ書ける。

普段はX(Twitter)をやっているのだが、僕はあまりにもポスト(投稿)が多すぎ、他のユーザーのタイムラインをめちゃくちゃにしてしまう。

そこで、noteに移ってきて執筆を始めたわけである。

執筆を始めたのはそれだけが理由ではない。

執筆そのものが好きだからである。

その理由は先に述べた言語を操ることが得意なのと、読書が好きだからというところがある。

読書をしていると、自分も自然と文章を書きたくなる。

しかも、X(Twitter)のように140文字以内でなく、好きなだけ書ける記事を書きたい。

僕自身はX(Twitter)をコミュニケーションのツールとして使っていて、発信もいいがコミュニケーションに重きを置いている。

noteは純粋に発信を楽しんでいる。

さらに、他のユーザーのnoteを読むために、今、非公開のマガジンを作ろうとしているところだ。

推敲しなかった理由とは

最後に、この記事のもう一つの本題である、推敲しない理由である。

僕は記事を書いたら一度も推敲しない。

それを貫いてきた。

「貫いてきた」それが過去形なのはなぜか?

それは今は軽く推敲するからだ。

だが数年間推敲しないスタイルを貫いてきた。

それには理由がある。

それは「推敲すると文章全体が壊れる」という怖さがあったからだ。

だから、僕は推敲しなかった。

しかし、何百記事と書いてきて、僕は昨日悟った。

「推敲は必要だ、読者様のために」。

そう、僕は丁寧な仕事を心がけて推敲をするようになった。

それがうまくいくかはわからない、推敲しないスタイルを僕はやめた。

では、話がまとまらなくなってきたのでここまで。

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