逃げから始まった8カ月間
8月に入学したPOOLOを通して感じた行動・心の変化について、振り返りながら卒業制作をまとめていきたいと思います。
1,POOLO入学までの私
①人の価値はdoing
いつから自信がなくなり、自己嫌悪に浸り始めたのか振り返ってみる。
学部生時代までの私は、小中高サッカーを続けて、大学では学生団体や海外一人旅を行い活発的な方だったと思う。
転機が訪れたのは大学4年生後半から。
私はまちづくりを専攻しており、その地域特性や文化に触れ合う機会も多く、その地域の場作りに携わることができた。純粋に楽しかった。
ただ、研究室へ配属とともに、他人から評価されることが多くなった。
私は圧倒的に周りと比べるとスキルが足りなかった。
それなりにもがいたが、結局私はスキルを磨いたところで何を目指しているのかわからなくなる時も多々あった。
他人に評価されることが自分に自信を持てなくなってしまったんだと思う。
このころから、私自身も人の価値は何ができるか(doing)で他人を判断していた。
ここから悪循環の始まりだった。
旅で出会った人、友人にも連絡を返さなくなっていた。
院生を卒業して、社会人になった。
社会人になったら、一層doingで人の価値を図られているような気がした。
上京しても、doingで判断していたし、自己嫌悪で溢れていた。
②旅を使って逃げるということ
私は上述した考えになってからは、旅をすることをやめた。
コロナの関係もあったが、5年間、海外旅はおろか国内旅でさえも行くことがなかった。
人の価値は何ができるかで図っていた私にとって、新しい場所に行くことで得られる感性や出会う人が怖かった。
新しい人に出会えば、勝手に比較して落ち込み、自信を無くすことが目に見えていたからだ。
社会人二年目のある日、ようやく仕事にも慣れたころ、学生時代に旅を通して出会った同じ年の人に言われたことをふと思い出した。
「嫌なことがあれば、旅に逃げろ」
当時つまずくことを知らなかった21歳の私にとって無関係の言葉で、すっかり忘れていたのだが、この孤独から抜けたいという感情とともに、5年の月日を経て急に思い出した。
この言葉の裏には
「旅で出会う人は、あなたの過去なんて知らないし、あなたが何をできるかなんて興味がない、だからこそ旅を使って逃げろ」
といった意味だったと思う。
ただ、旅を辞めた年月がどうしても重い腰を上げる抵抗となった。
そんなときにインスタの広告で出てきたのがPOOLO6期生の募集だった。
入学金は高いと感じたものの、また旅に行けるきっかけになればなという想いで入学を決めた。
旅に行けるようになれば、ありのままの自分を受け入れてくれるような人に出会えると思っていたからだ。
2,POOLOでの出会いと変化
①何もできなかった第1ターム
POOLOに入ってから最初に思ったことは「入るコミュニティ間違えた」だった。
POOLOに入る人は何かしらの背景や目的があると思うが、それを達成するために主体的に動いている人が眩しかった。
やりたいことや自信がない私にとっては、より劣等感を感じた瞬間だった。
私が第1タームで実施したことといえば、グループメンバーにカフェで1回だけ会ったくらいだ。
3人ともエネルギーで満ち溢れていた。
その日の帰り道、楽しかった気持ち半分と3人と比べて何も持ってないなぁという気持ちが半分だった。
何もできていない自分が歯がゆくて、第1ターム全く参加してないくせに、第2タームチーム決めアンケートには参加可能率「高」を希望して提出した。
②キッカケの旅
ある日のPOOLO交流会にて、島旅に誘われた。
5年も放置していたノースフェイスのバックパックを使うことに少しワクワクしていた。
10月の島旅では、出会ったばかりということもあり、特に多く語りつくしたわけではないが、「地元の居酒屋で交流したおばあちゃんとの交流」「閑散とする島でお酒を片手にただただ海を見ていた時間」「唐突に船に乗せてくれて島の自然を感じた出来事」といった素敵な瞬間をPOOLO生とたくさん共有した。
久々の感覚だった。
旅から遠ざかっていた私にとって、心がほくほくする感覚や人のぬくもりがとても沁みた。
一緒にいたPOOLO生の「けんすけ楽しそうだね!」といった何気ない一つ一つの言葉が嬉しかった。
純粋に楽しんでいると実感できた。
孤独感であふれていた私にとって、誰かと心が動く瞬間を共有することは、幸福感を感じさせてくれた。
この島旅をきっかけにして、自己嫌悪が少しずつ薄れてきたのは感じた。
だれかと行く旅が楽しいことも思い出したとともに、自信につながったと思う。
1on1でこんなことを言っている人がいた。
「楽しさを優先することで、仕事もプライベートもポジティブになれる」
この意見には激しく同意。
「楽しみ」を優先しただけなのに、何かあったとしても前向きにとらえられるようになっていた。
これには私もびっくりした。
島旅に誘ってくれたあらしには感謝しか出ない。
忖度しない彼にとっては何気ない一言かもしれないけど、一歩を踏み出せない私に「一緒にくる?」と誘ってくれたのはとても嬉しかった。
この島旅を境に私のPOOLO生活は一変した。
10月から福島に引越した関わらず、毎週末は東京または旅行先へと出かけてた。
とにかくPOOLO生と一緒に旅をしたくて、平日はオンライン、毎週末はPOOLOの予定でほぼ埋まっていった。
POOLO後半はどこにでもいすぎて「ふっかるだね」とまで言われたりした(ひでさんには負けるけどw)。
ここで思い出に残るPOOLO旅を2つほどご紹介。
■台湾年越し旅
海外も5年ぶりだった。何気ない会話から始まったこの計画、企画してくれたあつかんに感謝だ。
■第二タームIチームの豊かな旅
デトックス旅。チームで考えた豊かな旅を実践した。豊かさで溢れた旅であったとともに、4人の関係性もより深まった旅だった。(次は5人で!)
5年間、旅から遠ざかっていた私にとって、こんなに積極的に旅に行くとは思わなかった。みんなのおかげだ。ありがとう。
③認め合える関係性
POOLO第三タームではチーム活動として、スナックともしびを実施。
普段言いにくいことをカミングアウトしてくれたり、今まで感じたモヤモヤをお互いが話した。
その場にいた人がそのことに対し、どういった感情なのか、どんな人なのかを受け入れ、お互いを認め合う瞬間がとても素敵だった。
心理的安全性が高まる過程を目のあたりにした。
ここで初めて、行動ではなく存在で認められることが、人との関係性をより強固なものへとつないでくれると学んだ。
この8カ月で、「けんすけはこういう人だよね~」といわれることが、存在を見てくれている気がして、とても嬉しかった。
もちろん何ができるか(doing)はとても大事なことだと思う。
ただ、自分らしく生きていくためには、その人自身を見ることが豊かな世界へ繋がると思う。
この第三タームから、対話を通してお互いを認めあうことが、自分らしく生きれることに繋がっていくのかなぁと感じた。
3,ストリングスファインダーの変化
ストリングスファインダーを受けた。
第一タームの強みは下記の通り。
上述しているとおり、何ができるかを大事にしている時の素質だった。
仕事柄理論立てて考えなければいけないことや論理的思考に憧れをもっていたのが影響したのかもしれない。
もちろん、私自身はこんな素質はないことは自覚していた。
当時は結果を見て、受け入れることができなかった。
本来の素質を知りたくて、第4タームの深堀会前にもう一度ストファイを受けた。
第四タームの強みは下記の通り。
二回目のストリングスファインダーの結果は人間関係構築力と影響力が上位5位に入っていた。
1位がポジティブだった。素直に嬉しかった。
この結果を見せたPOOLOの人も「けんすけらしい強みだね」と言ってくれた。
あの頃から比べると、明るくなって、活発的になれた。
本来の強みもこれに似ていたんだと思う。次はこの強みを逃さないようにしたい。
4,自己ビジョンについて
私の第一ターム自己ビジョンは、
「愛を持つこと、そして仲間と心を動かす瞬間を作ること」とした。
この背景として、自分を好きになりたかった。
そして自信を持てば、周りにも愛(=思いやり)をもって接することができると考えたからだ。
POOLOでの8カ月を通して自己ビジョンは、
「自分らしく、そして仲間と心を動かす瞬間を作ること」とした。
POOLOの入ってから、私のいいところをみんなに教えてもらった。
今は自分のことが大好きだし、幸せを実感できてる。
海外にいるときは自分らしくいられるといった人は少なくないはず。
それは、言語も通じない土地で、成功体験のハードルが下がり(英語で道を尋ねた等)、自信に繋がるからだろう。
日本にいながら自分らしくいるためには、自分の強みや弱みを理解して、言語化を通して相手に伝えることで、お互いが認め合えば、自信につながるのではないかと思う。
お互いが調和することができれば、自分らしく生きていける。
今後も自分がどういった存在なのかアップデートさせていきたい。
そして、そんな中で、心が動く瞬間をたくさん経験して幸せを感じたい。
今後の私(最後だけ手抜きでごめんなさい)
・モンゴルに行きたい
・英語を学ぶ
・福島をもっとしる
・POOLOの人とたくさん旅をしつつ、新しいコミュニティにも入りたい
さいごに
POOLO6期の皆さん
出会ってくれてありがとう。
私の大好きなコミュマネに教えてもらって、再認識したんだけど、一期一会の出会いを大切にしたい。
なので、これらもよろしく!
おわり
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