8月は働かないと決めた僕の夏休み〜完結〜静岡サウナしきじ&さわやか編
その日の晩、男たちは東京駅八重洲ブックセンターの裏手にあるレンタカー屋に集合した。
手続きをすませ、無言で車に乗り込む。
「西へ」。助手席に座った男がボソリとつぶやくと、運転席に座った男はコクリと頷いて車を発進させた。
車内には静かな緊張感がみなぎっていた。さながら死地へと赴くがごとき雰囲気である。
静寂を破ったのはYであった。スマホを取り出した彼はスマホに向かってこう話しかけた。
「もしもーし、A子ちゃーん。今から4人で静岡行くよー♡」
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静岡の「サウナしきじ」。
サウナ―の間で「日本一」と評されるサウナの聖地である。
かねてから彼の地を訪れたいと思っていたアラサーサウナ―4人が集まり、0泊2日の弾丸静岡旅行が始まった。
お互いの恋愛事情について語り合ったり、iPhoneの文字入力機能が壊れたため、彼女への愛の言葉を音声入力し続けるYに爆笑したり、ワイワイやっているうちに静岡にたどり着いた。
「ここがしきじかあ...」。感慨深く建物を眺めるものの、外観はなんというか普通である。
だが、深夜0時すぎにもかかわらず、駐車場はいっぱいで、車のナンバーも全国各地バラバラだ。
やはり、ここはただのサウナではない。気を引き締めて私達は「天国の門」をくぐった。
入り口の壁は芸能人のサインで埋め尽くされている。壇蜜と門脇麦とキングカズのサインにテンションが上がる私。
壇蜜とサウナ...。いい!字面だけでいい!
テンションが上った状態でいよいよサウナに突入である。
深夜1時近いというのに驚くほどたくさんの人がいることに気圧されたが、とにかく体を洗い、温泉で凝り固まった体をほぐす。
体がほぐれたところで私は心の中で呟いた。
「さあ、今夜のメインディッシュを頂くとしよう」。
まずは120度の高温サウナに入る。熱い!汗が滝のように流れる。体の中の毒素が汗とともに出ていく気がする。
10分間サウナに入った後、しきじ名物「天然水の水風呂」に浸かる。
こ、これは!目を閉じた私の脳内に戦士たちの楽園「ヴァルハラ」の光景が広がる。
実際に体験しないと伝わらないだろうが、しきじの水は確かに「やはらかい」のである(「やわらか」でなく「やはらか」である)。
サウナの後に水風呂に入った時に体を覆う通称「天使の羽衣」がしきじの水風呂では長く続く。水風呂は1分が限界の私が3~4分浸かっていたから、その違いは確かである。
また、しきじの水は「飲める」ことで有名だ。天井から滝のように降り注ぐ水を口をあんぐり開けて飲む。
美味い!
そのへんのミネラルウォーターとは比べ物にならないまろやかさである。
実際、浴場内の水道の水をペットボトルにくんでいる客もちらほらおり、私も水をくめるものを持ってくればよかったと後悔した。
水風呂に3分ほど浸かった後、椅子で休憩し、今度は薬草サウナに入る。
薬草サウナは漢方の匂いが充満しており、いかにも体に良さそうである。しかし熱い!明らかに通常のサウナより熱い!足元からも高温の蒸気が出てきて足を床につけていられない。
5分も耐えきれず退散する。
だが、高温のサウナの後の水風呂は格別である。天然水をごくごくと飲みながら水風呂に浸かる。
そんなことを4回ほど繰り返して、私は溶けた。
賢者状態で眠りにつくが、4時間ほどしてすぐに起きる。
朝サウナの始まりである。サウナで終わり、サウナで始まる1日。What a lovely day!
朝6時だが浴場は人でごったがえしている。「三密」という言葉はしきじに存在しない。
しかし、「三密」とはそもそも空海がひらいた真言宗をはじめとする密教の教えである。
三密すなわち
身密(しんみつ)=身体・行動
口密(くみつ)=言葉・発言
意密(いみつ)=こころ・考え
であり、生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っているという考えである。
仏教のありがたい教えを安っぽいスローガンに使われるのは憤懣やるかたない。政治家のどれだけが三密の語源をわかって使っているのだろうか。
独鈷杵(とっこしょ)で一人ひとりぶん殴ってやりたい。
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朝サウナでガンギマリした私達は朝食を求めて焼津港へと向かった。
ここまで来たら新鮮な魚介を食べねば気がすまない!
朝から開いている店をなんとか探し出し、マグロ丼と生シラスをかきこむ。オーチンハラショー!フクースナー!
ここでお土産を買ったのだが、Yがやらかした。
まぐろジャーキーを2袋買ったというので、車内で一つ開けて食べてみる。
不味い..。というか何か臭い...。
さきほど食べた美味しい朝食を帳消しにする不味さである。
何かおかしい。パッケージをよく確認すると、裏面に小さく「イヌ、ネコ用」と書いてある。
バカヤロー!Yバカヤロー!
ひとしきりアウトレイジごっこをして遊ぶ。
別の魚介市場に向かい、イカスミソフトクリーム(!)で口直しをする。ソフトクリームを食べながら、やたらとノリの良い陽気なおじさんから「さわやか」について教えてもらう。
「さわやか」とは静岡県内に展開するハンバーグチェーンである。静岡県外には絶対に店を出さない今どき珍しい気骨のある店だ。
「さわやか」の炭焼きハンバーグはその名前とは裏腹に、一度食べると、他のハンバーグが食べられなくなるほどの中毒性を秘めているという。
私達の旅の最後の目的地が「さわやか」であった。県内34店舗もある店の中からどこを狙うか、おじさんの情報をもとにXが決める。
車を走らせること30分。私達はついにそこにたどり着いた。
「炭焼きレストランさわやか」。うーん、「しきじ」の時も思ったけど、なんか看板がださい。静岡県民は外見より中身で勝負なのか。
店内は満席で列に並ぶ。さすが人気店だ。
15分ほど待った後席に案内される。
4人とも市場のおじさんに勧められた「げんこつハンバーグ」を注文した。
店内はジュージューと肉の焼ける音と食欲をそそる匂いが蔓延している。
そして、そのときは来た。
店員が持ってきたプレートを見た時、私は我が目を疑った。
「え?玉じゃん」。
ハンバーグと言うと、平べったい小判型のものをイメージするが、さわやかのハンバーグは完全な球体であった。
肉の球体...まさに肉球!いやいや紛らわしいので肉玉としておく。(ミートボールじゃねーか!)
なんか食べにくそうだと困惑していると、店員が慣れた手付きでナイフと細いコテのようなものを手にして、肉玉をギュッーと押しつぶした。
「ジュン、ジュワー」と威勢の良い音を立てながら、肉玉が私達のよく知るハンバーグへと変貌する。
これはもはや立派なエンターテインメントであろう。流石だ。食べる前からもう楽しい。
いや、しかし味が良くなければお話にならない。県外にも勇名を馳せる「さわやか」のハンバーグ、いかほどのものか。いざ実食!
肉を口に含んだ瞬間、私の脳裏に浮かんだのは日本一の名峰富士山であった。
溢れる肉汁が奏でるハーモニーが口内に響き渡る!その圧倒的存在感!まさにハンバーグ界の富士山!
至福の30分を過ごした私はまた溶けていた。
東京へ戻る車中、私は流れる車窓を見ながら2020年の夏を振り返っていた。
オリンピックは来なかったし、疫病で世界は大混乱したが、私の周囲にはそれでもたくさんの「楽しい」が溢れていた。
家でNetflixを観ているだけでは味わえないもの。確かな手触りを感じるものに触れることができた。
私を取り巻くさまざまな人の縁、時間、環境。
そういったものに感謝しながら、丁寧に生きることを忘れなければ、暗い時代の中にあっても光を見出すことは可能であろう。
私の大切な人たちが私の光であるように、私も誰かを照らす光でありたいと思った。
もうすぐ車が東京へ着く。私の夏が終わろうとしている。
【完】
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