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1Q87–遍在する喜屋武とこの世界の行方

稀代の大人物かまるでだめなオッサンか…?

その男の器は我ら凡夫には見えないほど広く深いのかもしれない。あるいは底に穴が開いているため、いつまでたっても満たされることがないのかもしれぬ。しかし、その判断は今のところ誰にもつけられない。彼に対する評価はいったん保留とするのが良さそうである…。

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私が喜屋武悠生という男と初めて出会ったのはいつだったか。この文章を書くにあたって、記憶の隅々まで辿ってもどうしても思い出せない。

私のキャンパスライフにいつのまにか当たり前のように登場し、今日まで空気のように存在しているのである。

こんな個性的な男との第一次接近遭遇を覚えていないのは何故だろうか。むろん私の記憶力の問題かもしれない。しかし、ここで私はひとつの仮説を立てた。

それは私が早稲田大学に入る前から、いやこの世に誕生した瞬間から喜屋武を知っていたという驚愕の説である。

喜屋武がこの世に生を受けたのは1987年8月15日。バブル景気が始まり、俵万智の『サラダ記念日』が世を席巻した年である。

バブルとともに生まれた男。彼をそう呼んでも間違いではないだろう。

喜屋武の登場前と後では世界は決定的に変わった(後に歴史家によって、BC〈Before Can〉/AC〈After Can〉と区分されることになる)

喜屋武がこの世に登場した瞬間、世界は喜屋武のいない1987年と喜屋武の存在する"1Q87"年の世界に分岐した。1Q87の時間線では喜屋武は世界に蔓延し遍在する。喜屋武が多くの人から愛されている理由。それは全ての人々が"彼と既に一度会っている"からなのだ。

喜屋武と初めて会った人たちが覚える"懐かしさ"の正体がここにある。人々にとって喜屋武との遭遇は旧友との再会を意味する。

after Can、あるいはwith Canの時代を生きる我々はもはや喜屋武以前の世界には戻れない。彼と接触したことがある人なら分かるように、喜屋武を人間として望ましき状態に変えることは非常に困難だ。彼と付き合うにあたっては、我々の側が彼に対する抗体を自ら作り出すしかない。「しょうがないよねー、喜屋武だから...」という諦観の笑みである。

馬鹿につける薬はなく、喜屋武につける薬もまた存在しないのだ。

喜屋武はしばしば定職に就いていなかった期間のことを「ひまんちゅ」をしていたと公言して憚らない。だが、私に言わせればこれは間違いだ。彼の今の肩書きは一応「バーオーナー」である。しかし、これも仮初の姿にすぎない。

彼の本職は一貫して友達のプロ、すなわち「プロ友達」である。

一級の社会不適合者である喜屋武がいかにして32年間の人生を乗り切ってきたか。どのような環境でも生き延びられる彼の強靭な生命力ももちろんあるが、周囲の人々の有形無形の手助けによるところが大きいと私は思っている。

かつて我が国はあの大震災の際に「トモダチ作戦」と称された支援をアメリカから受けた。喜屋武の周囲では2011年以前から、そして今も「小さなトモダチ作戦」が継続中なのである。「東京に出てから一人暮らしをしたことがない」「家賃を3万円以上払ったことがない」という喜屋武。彼の周りには常に必ず彼を助ける誰かがいる(=彼女がいるということではない)。

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彼の類まれなる人と人を繋ぐ力=トモダチ力を活かすべき場所がある。

アメリカだ。

トランプによって分断されたアメリカは新型コロナウイルスの影響も加わって混乱の極みにあり、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)は危機に瀕している。

自由と民主主義による世界秩序の維持のために、アメリカにはまだ世界の警察でいてもらわなくてはならない。

そのためにはアメリカをもう一度統合する必要がある。

分断されたアメリカを繋ぎ直す――それが喜屋武悠生に課せられた使命である。

日本は喜屋武には狭すぎる。彼の破天荒さと雄大さを活かすべき広大な大陸が海の向こうに待っている。

覚醒せよ、喜屋武。

世界はまだ君のことを見つけていない。

さあ、伝説をその手で掴んでこい!

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【追補】

喜屋武=ジョーカー説。

ジョーカーは大富豪においては最強のカードであり、どんなカードとも組み合わせることのできる万能の札である。

一方、ババ抜きにおいては、最後にその札を引いたものが敗北を喫する、敬遠される存在でもある。

ワイルドポーカーではジョーカーのことを「ワイルドカード」と呼び、変幻自在の切り札となる。ポーカーの最強の役は一般的にはロイヤルストレートフラッシュだが、ワイルドポーカーにおいてはさらに強い役が存在する。同じ数字4枚プラスジョーカーの「ファイブカード」だ。ポーカーで最も強い数字はエース。クラブ、ダイヤ、ハート、スペード。そして、本来存在しないはずの5枚目のエース…。ワイルドカードはこの世の理を飛び越えたトリックスターなのだ。

喜屋武=ジョーカーを手に入れしものは無限の可能性を手にすると同時に破滅のリスクも負うのである。

喜屋武というカードをどう使うかは貴君次第だ。「なんくるないさ」を地で行く「うちなーんちゅ」である彼はその風来坊な気質によって、一度手を離せば風に吹かれてフワフワと何処ともしれぬ離島へ飛んでいく可能性大である。

今のところ、大久保君、たくみ君という2人の女房がその手綱を握っているように見える。しかし、彼らにも自分の生活がある。結婚したり、子供が生まれたり、家族との生活が忙しくなった時、三十路の髭面のオッサンの面倒にかまけている余裕はなくなるかもしれない。

そう、今この男は人生の岐路に立たされている。今こそ決断の時なのだ。

ワイルドの素養を持つ彼は繊細な大和撫子には扱いきれないのかもしれない。視点を変えて、グローバルなパートナーに目を向けるのはどうだろうか。

喜屋武から世界のCanへ。

そうなった時、世界は革命され、ニュー・ワールド・オーダー=新世界秩序が実現するのである。

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