少しだけ 秋が近づいているような気配を感じている。 最近酒を飲むと、 「ああ、いつまでこんなことができるんだろう」 とか悲哀に満ちた気持ちになる機会が増えた。 酒を飲んだ翌日は二日酔いでグダグダになった体とアルデヒドを代謝出来ない気持ち悪さで最悪な気分になるのだが、それでも誰かと酒を酌み交わすという最高のエクスタシーを言い訳に美味くもない酒を体内に入れる。 人はつくづく馬鹿な生き物だとも思う。 ふらりと新宿に行ってみた。 歌舞伎町という街は何度来ても様々な人がいて、ど
優しさは時に人を傷つける 眠れない闇の中で 一つ呼吸を整えてみる 厄介な性格を携えたものだ 寂しさは時に暴走して選択を見誤る時だってある 悔いなんて何度しただろう それでも繰り返してしまうのがまた人間であって性懲りのない自分なのだから反吐が出る この世の中には自分の代弁者は自分しかいないし、あなたの代弁者もあなたしかいない だけど言葉にできない思いもきっとあって、言葉にしても伝わらない思いもきっとある 暗中模索でもいいけど、歳を重ねるとそれすら億劫になる 別に憐
埠頭で燃え尽きる夕焼け 悠然と煌めく真夏のオリオン 僕らはあと何度見れるだろう。 病は突然に訪れる。誰も予言なんてしてくれない。突然体にガタが来て動けなくなったりする。 人はそれを不運というかもしれない。でもその人の人生の終焉を不運で終わらせていいのだろうか。 そのために医者はいて、その人の最期に何ができるかを一緒に考えられる唯一の職業だと思う。 最近医者人生を少し齧って慣れてきたところでふと思うことがある。 病院に運ばれてくる患者さんは我々からしたら初対面でありその人
僕が寝静まる頃に 誰かがどこかで愛を呟き 君が寝静まる頃に 誰かがウイスキーを流し込む 静と動が犇めくこの世界で 満足を探して彷徨う僕らは まるで終わりなんて来ないかのように 毎日を目まぐるしく生きている 大人になれば何か変わると思っていたけれど 愛はいつまでも謎であり 幸せの答えはいつも宙ぶらりん きっと一本道なら迷うこともないけれど 大人になればなるほどに 分かれ道は増えていくばかりで どの道を選んでも後悔は離れず また立ち直るスキルを洗練しながら 毎日を歩いて
7月の体をチクチク刺すような暑さは体中の水分を奪っていくようで 体の渇きと同時に心の渇きも促進していく。 でも季節もそれを理解しているようで、定期的にイベントを提供してくれる。 宵の空に打ち上げられた花火はまるで黒のキャンバスに色とりどりの絵の具をまぶしたように綺麗で心は踊るし 空と同じ海の色は透き通っていて、汚れてしまった自分を綺麗に洗い流してしまうような無垢さがある。 水を得た魚のように一滴ずつ疲弊した心に幸せの雫を与えてくれるそんな夏が好きだ。 でも同時に永遠
いつもと変わらない日常が好きで ちょっとした変化があったら少し心躍る。 ルーティンワークを続けている日常。 でも裏を返せば一生に一度の時間をルーティンワークに捧げている訳で。 だからこそ、ちっちゃな些細な変化がたまらなく愛おしい。 そんな誤差に何気なく気付けるようになりたいなと願う今日この頃です。 誰かの存在は当たり前ではなく、それは仕事でも恋愛でも何でも当て嵌る。 いろんな人との関わりがあって社会が成り立って、いろんな人の営みで、ある事柄は幸せにも不幸にもなる。
久方ぶりです。 人波で溢れた東京の渦に盲目的に巻き込まれながら、だらだらとそしてゆるゆると日々を紡いでいます。 最近様々な人間関係の摩擦を目の当たりにして、久々に文字に起こしたいなと思った次第です。 殊に最近思うのは、ある事象が起きた時、怒りの感情を表出できる人は、その人への興味や愛がある場合もあれば、真の理不尽に憤怒していて理性的に見えて感情的になっている場合もあり、怒りという事象1つとってみても人それぞれのベクトルがあるということです。 人が怒っている場合の対応策
ジブリの音楽を聴いていて。 いつもは心打つメロディーに静謐を感じながら拝聴しているのですが、今夜はいつも無意識に口ずさんでいる歌詞に耳が傾きました。 千と千尋の神隠しでお馴染みの「いつも何度でも」という曲の歌詞 繰り返す あやまちの そのたび ひとは ただ青い空の 青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける 作詞は覚和歌子さん。 この飾り気のない耳慣れた日本語なのに胸を打つ文章。 決して真似できるものではありません。 純粋に感嘆しました。
夜更かしが板についてきたようで。 何故か運動不足解消と思いジムに通い始めてから数日身体は火照り、夜更かしが当然のようになってしまっている訳です。 結局睡眠不足となりこれは最適解なのかと甚だ疑問に思いながら今日も布団でごろ寝しております。 最近ルーティンワークをこなしていると、ふと抜け殻のような自分に出会うことがあって、戦慄と虫唾が走ります。 生まれ落ちたその時から自己というものを探していて、夢は表現者だったような気が今はしています。でも別に自分の表現を求めているものはおら
あけましておめでとうございます。 久々の投稿になりますが、無事研修医1年目を全うしております。研修医ちいかわです。 久々にゆったり出来る年末年始という名のお休みをいただきまして、少し休養出来ました。 近況報告を。 年末はとある内科をまわったのですが、そこで3人ほどお看取りいたしまして、少し人の死というものに慣れてきてしまっている自分がいます。 病院に来られた患者さんはもうその時点で病魔に蝕まれている訳で、良くも悪くも我々はその時点の患者さんしか目の当たりに出来ません。 そ
医師として臨床現場に立ち始めてから早2ヶ月が経過している。 机上の勉強だけでは理解出来なかったいろいろな経験を積めているそんな気がしている。 その中でも1番驚いているのは患者さんの背景だ。 どうしても医師は病気を専門としているため、患者さんの病気に目が行きがちだ。 体液管理、日々の血液データの評価、身体所見… データ過多になったこの現代、病気をみると言っても様々な角度からのアプローチの仕方があり、何を選ぶかは担当医の力量によるところが大きい。 それでも国家試験を通過して、ある
はじめまして。研修医ちいかわと申します。 某病院で研修医として働いています。 28歳になり、医師人生の第一歩を踏み出し、世間的には素晴らしいことのように思えると思います。 でもこの世間的に輝かしいレッテルと鬱屈とした気持ちを抱えながら働く自分に辻褄を合わせながら生きるのはとても難しく、日々様々なことに難渋しながら過ごしています。 仕事内容、人間関係、家族問題、金銭問題… 頭を悩ませる事象は限がありません。 そういった苦しみはきっと皆様にもあると思います。 学歴やレッテル、立