クレイグ博士の新年の挨拶。
2024年1月16日 宍戸健
クレイグ博士の新年の挨拶について文章を翻訳した。なるべく正確になるように注意を払いましたが、原文も併せてご参照ください。
「数万年前、最古の人類は暗闇に光を灯す秘密を掴んだ。この知識はおそらく迫害につながり、この技術を共有した者は悲惨な結末に直面したかもしれない。社会は彼を、恐れられた悪魔を相手にする悪人と見なした。とはいえ、彼の贈り物は彼らの生活を輝かせた。暖をとり、食糧を調理し、洞窟中の暗がりを払拭した。火の出現は、大地から闇が解き放たれた瞬間であった。
後の世紀に、車輪を発明した勇気ある人物が現れた。同じように、彼はその革新性のために苦悩し、禁断の知識を導入したために拷問を受けたかもしれない。彼の大胆さによって、人類は以前は乗り越えられなかった地平線を横断することができ、それは彼らが思いもよらなかった贈り物であり、世界的な大航海への道を切り開いた。
従順でない先駆的な人物に象徴される初期の先駆者たちは、人類の起源を語る無数の伝説の発端に登場する。神の火を盗んだ罪で岩に縛り付けられ、ハゲタカに苦しめられたプロメテウスであれ、知識の木の実を口にした罪で苦難を宣告されたアダムであれ、これらの伝説には共通のテーマがある。人類はその集合的な記憶の影で、偉大さへの進化はしばしば、その勇気のために不合理で過酷な代償を払う孤独な個人から始まることを認めている。
これらの物語は、近代から民主主義社会の中で、光と闇の永遠の闘いのメタファーとして理解できる。そこでは、メディアを操り、その存在を隠す少数の人間によって不公平にコントロールされた無政府状態の影の力から、人々は自分たちの権利を守るために熱心に努力しなければならない。「オズの魔法使い」に登場する人形使いのように舞台裏に隠れている支配層こそが、無政府状態から利益を得ているのであり、そこでは選ばれた少数の人間による人心の完全な支配が厳然たる現実となっている。
何世紀もの間、自らのビジョンだけに導かれ、未知の領域に踏み込んだ人々がいた。その目的は様々であったが、彼らには共通点があった。彼らは先駆者であり、独創的な洞察力で新たな道を切り開いたが、その大胆さに対する世界の反応はしばしば軽蔑に満ちたものであった。思想家、芸術家、科学者、発明家......さまざまな顔を持つ傑出したクリエイターたちは、それぞれがその時代の一般的な意見に対して孤軍奮闘していた。
どんな画期的なアイデアにも激しい反対があった。革新的な発明は激しい非難に直面した。最初のモーターエンジンは愚行とされ、飛行の概念は実現不可能とされた。力織機は悪意あるものとして中傷され、麻酔は罪深いものとして非難された。それでも、生来のビジョンを持つ者たちは辛抱した。執拗な戦いを繰り広げ、多大な苦しみに耐え、大きな犠牲を払った。しかし、最終的に彼らは勝利を収めたのである。
民主主義の光と闇の闘いでは、市民は自分たちの権利のために熱心に努力し、闘わなければならない。メディアを操り、自分たちの存在を覆い隠す一部の人間による不平等な支配を特徴とする無政府状態の亡霊に対して、この混沌から利益を得ているのは、「オズの魔法使い」の人形遣いに似た、カーテンの陰に隠れた支配層である。アナーキーは単なる無秩序ではなく、少数者による人間の心の完全な支配を表している。
この不朽の物語は、進歩への道を照らすために、不利な状況や現状に逆らう人々の勇気を強調している。クリエーター達の提供するものは、しばしば彼らが奉仕しようとする人々から拒絶されるからだ。彼らの貢献は、社会の停滞した自己満足的な日常を破壊してきた。しかしながら、彼らクリエーターの揺るぎないコミットメントは、彼ら自身の存在意義であり、彼ら独自の方法でそれを追求することだった。それは、交響曲であろうと、本であろうと、エンジンであろうと、哲学であろうと、飛行機であろうと、建物であろうと。彼らは、その創造物を完成させることが彼らの人生の唯一の目的だった。
リスナーであれ、読者であれ、操縦者であれ、信者であれ、飛行士であれ、乗員であれ、意図された聴衆はクリエーターの最大の関心事ではなかった。クリエーター(発明家)たちは、創造物そのもの、つまり彼らの真実の具体的な現れを何よりも優先した。
彼らは、外部からの判断や意見よりも、自分たちの真実を重視したのである。民主主義が照明と曖昧さの間で絶え間なく葛藤している状況において、個人は、その存在を隠す少数精鋭による不平等なメディア操作によって特徴づけられるアナーキーの迫り来る影に抗して、自分たちの権利のために絶え間なく努力し、戦わなければならなかった。
しかし、このような混沌とした状況から利益を得ているのは、「オズの魔法使い」の人形遣いのような、カーテンの陰に隠れた富豪たちである。アナーキーとは、混沌だけでなく、少数の特権階級による人間の心の完全な支配を意味する。この不朽の物語は、真実を明るみに出すために慣習に逆らう人々の不屈の献身を強調している。
クリエーター(発明家)の悟りの源、回復力、勇気はすべて、彼自身の精神の奥底から発せられたものである。人の精神の中には、その人の真の自己、その人の意識を体現する本質が宿っている。考えること、感じること、判断すること、行動することはすべてエゴの能力である。
革新的な技術のクリエーター(発明家)たちは、無私無欲とはほど遠かった。彼らの並外れた力は、自己充足、自己動機、自己発動の原動力にあった。彼らは原動力であり、エネルギーの泉であり、生命力そのものであった。これらの発明家たちは、外部の団体や個人に仕えることなく、自分たちの追求のためだけに生きていた。
逆説的だが、自らの野心に身を捧げることによってのみ、彼らは人類の偉業の証となる偉業を成し遂げることができたのだ。社会における進歩の達成とはそういうものなのだ。
人間の生存は知性にかかっている。彼らは武器を持たず、爪も牙も角も、強大な肉体も持たずにこの世界に入った。彼らの糧は栽培か狩猟でなければならない。耕すには思慮深いプロセスが必要で、狩るには道具が必要で、その道具を鍛えるにはさらに思慮が必要だ。最も初歩的な必需品から最も高尚な宗教的概念まで、車輪から超高層ビルまで、私たちを定義するもの、そして私たちが所有するものはすべて、理性的知性の働きという特異な人間の資質に帰することができる。
民主主義が啓蒙と蒙昧(もうまい=愚かなこと)の間で現在も進行中の闘争という文脈の中で、人々は迫り来る無政府状態の恐怖に抗して、自らの権利のために熱心に努力し闘わなければならない。アナーキーは、単なる無秩序ではなく、少数の特権階級による人間の精神の絶対的支配を象徴している。この不朽の物語は、進歩への道を照らすために知性を活用する人々の不屈の力を強調している。
精神は、その真髄をなすものであり、個人の領域である。集団の頭脳と呼ばれるものは存在せず、集団の思考が支配することもない。個人の集団がコンセンサスに達したとしても、それは単に妥協の産物であり、無数の個人の思考の融合である。一次的な行為、つまり推論という複雑なプロセスは、各個人が孤独に行う孤立した努力のままである。
私たちは食事を多くの人に配ることができるが、消化という行為は各個人の胃の中で行われる。自分の肺を使って他人のために呼吸することはできないし、自分の脳を使って他人のために考えることもできない。身体と精神のあらゆる機能は、本質的に個人的なものであり、共有や移譲には抵抗がある。
私たちは偉大な先人の発明物から恩恵を享受してきた。車輪から荷車を作り、荷車は自動車へと進化した。その自動車は飛行機へと進化した。この進化の過程で、先人から受け継いだのは彼らの知的努力の結果である。しかし、新たな進化の原動力は個人の創造力であり、受け継いだものを原料として成形し、次のブレークスルーを生み出す強力な源泉である。この創造的能力は、移譲可能でも分割可能でもない。その結果生み出される創造物は、本質的にクリエーター(発明家)個人のものである。
人間は相互に学び合うが、その交換は知識と素材の共有に限られる。個人が独立して考える能力を他人に授けることはできない。それにもかかわらず、この独立した思考能力は、私たちが生き残るための唯一の手段なのである。
この地上では、人間に贈り物として与えられるものは何もなく、必要不可欠なものはすべて努力によってもたらされなければならない。この時、人間は根本的な選択を迫られる。自らの知性の自律的な能力によって耐えるか、他人の精神的労働に寄生する寄生虫として存在するか。クリエーター(発明家)は創造を開始し、寄生者は模倣する。寄生虫が仲介者に頼るのに対して、創造者は誰の助けも借りずに自然に立ち向かう。
クリエーター(発明家)の願望は自然そのものを征服することであり、彼の人生はその技術に捧げられている。彼は他者に頼ることを必要としない。なぜなら、彼の第一の目的は彼自身の存在の中にあるからだ。逆に、寄生虫は他人の努力に依存し、他人の必要を第一の動機として、二次的な存在をしている。
クリエーター(発明者)の基本的な必要性は自立である。理性的な精神は、それが自律的に機能し、いかなる形の強制、犠牲、外部の配慮への従属にも抵抗するときにのみ繁栄する。機能においても動機づけにおいても、完全な自律性が求められる。クリエーター(発明家)にとって、仲間との交流はすべて二次的なものである。
対照的に、搾取的模倣者の第一の欲求は、自分を維持するために他者とのつながりを確保することである。彼は対人関係を優先し、利他主義の教義を広め、人間の目的は他者に奉仕し、自分よりも他者の幸福を優先することだと主張する。
利他主義は、個人は他者のために生き、自分よりも他者を優先すべきだと主張する。しかし、肉体を分かち合う以上に精神を分かち合うことができないように、人は他者のために生きることはできない。しかし、搾取的模倣者は利他主義を搾取の道具として悪用し、人類の道徳心を歪めてきた。社会は、クリエーター(発明家)を貶める原理を教え込まれ、他人に依存することを美徳とするようになった。
他人のために存在しようとする個人は、依存者となり、本質的に寄生虫のような動機となり、自分が奉仕する人々をも寄生虫に変えてしまう。そのような関係は、相互のモラルの崩壊しかもたらさない。それは本質的に欠陥のある概念である。それに最も近い現実、つまり他人に奉仕するために生きる人間は、自発的な奴隷に似ている。肉体的な奴隷も忌まわしいが、精神的な奴隷はさらに忌まわしい。「愛」の名の下に進んでそうする奴隷的な個人は、人間の尊厳を貶め、「愛」の概念そのものを汚す。これが利他主義の本質である。
社会は、最高の美徳は達成することではなく、与えることにあると信じ込まされてきた。しかし、創造されていないものを与えることはできない。創造は分配に先立つものであり、そうでなければ分かち合うものは何もない。創造は分配に先立つものであり、そうでなければ何も分かち合うことはできない。創造者のニーズは、潜在的な受け手のニーズよりも優先されなければならない。にもかかわらず、私たちは、自分が作り出したのではない贈り物を配る第二の人物を賞賛し、そのような贈り物を可能にした創造者よりも高く評価するよう奨励される。私たちは、慈善行為を称賛する一方で、達成行為を単なる無関心に追いやる。
個人の一番の義務は、他人の苦しみを和らげることだと教えられてきた。しかし、苦しみは病気に似ている。苦しみに遭遇したとき、人は救済と支援を提供しようと努める。このことを美徳の究極の試練とすることは、苦しみを人間存在の中心に据えることになる。その結果、人は自分の徳を示すために、他人の苦しみをうっかり望んでしまうかもしれない。
しかし、クリエーター(発明家)の関心は他者の病気ではなく、生命そのものにある。彼らの努力は、肉体的・精神的な領域におけるさまざまな苦悩を体系的に根絶し、利他主義者が思い描く以上の苦痛からの解放を提供してきた。
社会は、他者と合意することが美徳であるという信念を植え付けた。逆に、クリエーター(発明家)は反対意見を歓迎する。同調することが美徳とされてきたが、クリエーターは流れに逆らって前進する。団結は美徳とされてきたが、クリエーターは孤独の中で毅然と立っている。
一般的な常識では、エゴは悪と同義であり、無私こそが美徳の頂点であるとされている。しかし、クリエーター(発明家)はエゴイズムを最も純粋な形で体現しており、無私の個人は思考、感情、判断、行動といった自己を定義する機能を放棄している。
民主主義が啓蒙と蒙昧の間で終わりなき闘争を続けている背景には、市民が不断の努力と権利のための闘争を続けなければならないことがある。この闘争は、その存在を隠す少数精鋭による不平等なメディア操作によって特徴づけられる無政府状態の恐怖と闘うものであり、この無政府状態の中で繁栄しているのは、『オズの魔法使い』の人形遣いのように、カーテンの陰に隠れた富豪たちである。アナーキーは闇を体現しているが、クリエイター、エゴイスト、独立した思想家こそが光の道しるべとなり、人類を進歩と個性の維持へと導いている。
ここで、深遠な逆転が最も致命的な結果を解き放った。根本的な問題がねじ曲げられ、人類は選択肢を失い、自由を失った。善と悪の両極として、エゴイズムと利他主義という2つの概念が提示された。エゴイズムは自己利益のために他者を搾取すること、利他主義は他者の利益のために自己犠牲を払うことと歪曲された。その結果、人類は逃れようのない相互依存の網の目の中に取り込まれ、2つの苦しみの形、すなわち、他者のために耐える自分の苦悩か、自己保存のために他者に苦痛を与えることのどちらかしか選べなくなった。
人間は自己犠牲から喜びを得なければならないと主張されたとき、罠は完全に仕掛けられた。サディズムが唯一の選択肢であるという脅迫観念のもと、人間はマゾヒズムを理想とするよう強要されたのだ。この欺瞞は、人類に行われた最大の詐欺行為である。この巧妙な計画は、依存と苦痛を人間存在の基盤として永続させたのである。
真の選択とは、自己犠牲と支配の間ではなく、自立と依存の間である。それは、クリエーター(発明家)の掟と搾取的模倣者の掟の選択である。この選択は生と死の重みを伴う。クリエーターの掟は、人間の生存を可能にする理性的な心の欲求に根ざしている。逆に、搾取的模倣者の掟は、自立した存在が不可能な心の欲求に根ざしている。人間の独立したエゴから生まれるものはすべて美徳とされ、他者への依存から生まれるものはすべて悪意の烙印を押される。
最も純粋な意味において、エゴイストとは他者を犠牲にする者ではなく、むしろ他者を利用したり、雇用したりする必要性を超越した個人である。彼は他者を通して機能することはなく、いかなる第一義的な意味においても他者にとらわれることはない。彼の目的、動機、思考、欲望、エネルギーの源泉に、他人は関係ない。彼は他のいかなる個人のためにも存在しないし、他の誰からもそのような従属的な存在を求めない。これこそが、人間の間で可能な唯一の兄弟愛と相互尊重の形なのである。
適性のレベルはさまざまであっても、基本的な原則に変わりはない。人間の独立性、自発性、仕事に対する個人的なコミットメントの度合いによって、貢献者としての卓越性と人間としての価値が決まるのである。独立性は、人間の美徳と価値の唯一の尺度である。人の本質は、他人のための行動や不作為によってではなく、その人自身が何になり、何をなすかによって定義される。個人の尊厳に代わるものは存在せず、個人の尊厳の唯一の基準は自立である。
あらゆる真の人間関係において、誰も誰かの犠牲になることはない。例えば、建築家はクライアントを必要とするが、クライアントの要望だけに応えるために自分の他の仕事を放棄することはない。彼らは彼の専門知識を必要とするが、彼に報酬を提供するためだけに住宅を依頼するわけではない。個々の利害が一致し、双方がその交換を望むとき、個人は自由な相互同意に導かれ、互いの利益のために、仕事の相互交換を行う。もしそのような欲求が存在しないのであれば、互いに取引することを強制されることはない。彼らは探索を続ける。このような関係は、対等な間で考えられる唯一のものである。それ以外のものは、主人と奴隷、あるいは死刑囚と死刑執行人の関係を意味する。
集団的な努力や多数決から創造的な作品が生まれることはない。それぞれの創造的な試みは、個人の特異な思考によって導かれる。例えば、建築家は自分の建物を建設するために職人のチームを必要とするかもしれないが、彼は自分のデザインを民主的な投票にかけることはない。その代わり、彼らは自発的に協力し、参加者はそれぞれの役割の中で自主性を保つ。建築家は、鉄、ガラス、コンクリートなど、他人が製造した素材を使用するが、これらの素材は、彼の創造的な手によって変容させられるまで、本来の性質を保っている。彼がそれらを使って達成するものは、彼独自の創造物であり、彼の独占的知的財産である。この青写真は、個人間の適切な協力の唯一のモデルを示している。
民主主義の領域では、無秩序の闇に侵食されながらも、個人の権利のための闘争が続いている。人間の第一義的な義務は自分自身に対するものであり、自分の核心的な目的を他人の利益に従属させてはならないという道徳的原則に導かれている。彼の道徳的義務は、自分の欲望を追求することにも及ぶが、その欲望が主として同胞の行為に左右されないことを条件とする。これは、彼の創造的能力、彼の思考、彼の仕事の全領域を包含する。ただし、暴力団、利他主義者、独裁者の支配は除外される。
一方、強盗、搾取、支配は犠牲者を必要とし、依存を意味し、搾取的模倣者が繁栄する領域である。支配者というマントをまとう者は、エゴイストではない。彼らの目的は臣民と奴隷化する努力にある。要するに、彼らは乞食やソーシャルワーカー(訳者注:イギリスやオーストラリアのソーシャルワーカーはとんでもないことになってるのかも。)や盗賊と同じように依存しているのだ。依存の形は関係ない。
しかし、僭主(せんしゅ。古代ギリシアで非合法の手段によって政権を奪取し、独裁制を樹立した人物)、皇帝、独裁者といった搾取的模倣者がエゴイズムの模範として描かれたとき、人類は壮大な欺瞞に陥った。この詐欺的な物語によって、個人は自我や自分自身、そして他者を放棄するようになった。この欺瞞の究極の目的は、創造者を消滅させること、あるいは彼らを利用することであった。
歴史を通じて、2人の敵対者が対立してきた。最初のクリエイター(発明者)が車輪を発明したとき、最初の搾取的模倣者は利他主義の発明で対抗した。
クリエーターは、否定、反対、迫害、搾取に直面しながらも、不屈の決意と無限のエネルギーで人類を前進させた。対照的に、搾取的模倣者は、このプロセスの妨げにしかなっていない。この闘争は、集団に対抗する個人と表現するのが適切だろう。
歴史を通じて、人種、階級、国家といった集団の「共通善」は、専制政治を確立する正当な理由として用いられてきた。利他的な動機の名の下に、数え切れないほどの残虐行為が行われてきた。利他主義の支持者が放った殺戮に匹敵する利己的な行為があっただろうか?その責任は、人類の偽善にあるのではなく、むしろ主義そのものの本質にある。最も残虐な屠殺者たちは、ギロチンや銃殺刑によって達成可能な完璧な社会を熱烈に信奉していた。彼らが殺人の権利を疑わなかったのは、利他的な大義のために殺人を犯したからである。役者は変わっても、悲劇的な経過は不変である。
人道主義者は、人類への愛の宣言から始まり、血の川で終わる。このサイクルは、人間が利他的でない行為を善と同一視し、利他主義者の行為を許し、犠牲者にそれに耐えさせる限り続く。集団主義運動の指導者たちは、自分自身のためには何も求めないと言うが、その結果を見てみると明らかだ。
ある人が他の人に与えることのできる唯一の善と、その正当な関係の唯一の正確な描写は、"Hands Off!"(全てを今すぐ辞めろ。)という言葉に集約されている。
さて、私の国、英国(訳者注:クレイグ博士は英国の市民権を取得された。)に代表されるように、個人主義の原則に基づいて設立された社会の結果を観察してみよう。人類の歴史上最も高貴であり、業績、繁栄、自由の砦であるこの国は、無私の奉仕、犠牲、放棄といった概念や、利他主義の戒律に基づいて建国されたわけではない。それは、人間が自らの幸福、自らの利益、自らの利己的な動機を追求する不可侵の権利の上に築かれたものである。結果を見てください。自分自身の良心を覗き見るのだ。
この対立は古くからあるもので、人類は断続的に真理に近づいては、それが根絶やしにされるのを何度も見てきた。文明とは、プライバシーを尊重する社会への進歩を意味する。未開人の社会ではプライバシー権はなく、公的な情報として、部族の掟に支配されている。文明は、人類を仲間の束縛から解放する旅路を刻むものです。
今、私たちの時代は搾取的模倣者が支配する集団主義社会であり、三流の古代の怪物が解き放たれ、暴れまわっている。それは人類をかつて地球上で見たこともない知的堕落のレベルへと駆り立て、比類なき恐怖をもたらし、あらゆる精神を蝕んでいる。それはヨーロッパの大半を飲み込み、いまや私たちの祖国を侵食しつつある。
私はアーキテクトだ。私は建築家であり、私が住むに耐えられないような原理に基づいて構築された世界が出現しつつあることを予見している。我々は、私自身が生きることを許されない世界に向かっている。
私はビットコインを創造した。私はそれをあなたに提示した。私は今、それを解体したと言われている。
私がBTCを放棄した。形も意味もねじ曲げられた存在として存在させることを拒否したからだ。2人の搾取的模倣者は、自分たちが創作したものでもなく、それに匹敵するものでもないものを改造する権利を掌握した。彼らは、ビットコインソフトウェアの利他的な目的がすべての個人の権利に優先するという包括的な考え方のもとで、それに反対するという私の主張を認めないまま、この改造する特権を認められたのだ。
私がビットコインを構想したのは、自分が思い描いたとおりに進化するのを見るためであり、それ以外の理由はない。これが私の仕事に対する価格だった。私は第三者から一才の支払いを受け取っていない。
光と闇の闘争が激化する民主主義では、人々は自分の権利のために努力し、闘わなければならない。そこでは、メディアを操り、「オズの魔法使い」に登場するカーテンの陰で密かに糸を引く富豪のように、隠れている少数の人々によって個人が不公平にコントロールされる無政府状態の脅威に直面する。この文脈におけるアナーキーとは、少数派による人間の心の完全な支配のことである。
最初に私と一緒にこの旅に出た人々に非難を投げかけるつもりはない。約束が破られ、約束が果たされない中で、彼らは無力だった。私が提供した、作品の完全性を保つための仕組みは、理由もなく形骸化した。このような行為は往々にして合理性を欠き、精神的なものであれ物質的なものであれ、他人の財産を差し押さえる権利を自分が持っていると信じている搾取的模倣者の虚栄心だけが原動力となっている。誰がこのような行為を許したのか?数多くの権威ある地位にいる特定の個人ではない。誰もそれを許可したり阻止したりしようとしなかった。誰も責任を引き受けなかった。誰も責任を問われない。それが集団行動の本質なのだ。
私は当時支払いを受け取らなかった(訳者注:ビットコインをコピーして別物作ることに対して。)が、ビットコインを改ざんした人たちは私から望んだものを手に入れた。彼らは、コピーして別のものに変えることができる構造を構築するために、費用対効果の高いスキームを求めた。彼らの期待に応えられるのは、私以外にいなかった。私は彼らの望みに応じ、私の創造物が変わらないという唯一の条件付きで、私は私自身の作品を贈り物として提供した。(訳者注:なるほど。クレイグ博士のこの説明だと、乗っ取った勢力は当初コピーしようとしたけど、不可能と判断したので、プログラムを乗っ取る方向に切り替えたのか。ほんと奴らの粘着力ある意味凄いな。)
私がコピーしたという人もいるが、私のシステムはオリジナルであり、彼らのシステムは変更されている。私がいなければ、マイクロトランザクションの概念は失われていたかもしれないことを忘れてはならない。私は、アナーキーな理想と秩序のないシステムを追求する人々を助けることには完全に無関心であったが、彼らが「デジタル通貨の二重支払い問題の解決」をするには、私の助けを求めなければならなかった。私の初期のシステム(訳者注:ビットコインプロトコルがProof of Workを利用し二重払い問題を解決したこと。ビザンチン将軍問題を解決したこと。)を利用した人々は、私の著作物 に対する権利を彼らに与えたと誤って信じており、彼らのニーズは私の人生に対する要求であり、彼らが要求するものは私が何でも提供する義務があるかのように主張している。この搾取的模倣者の「乗っ取り」は、今や世界を巻き込んでいる。
私はここに立ち、私の人生の1分1秒、私のエネルギーのほんの一部、あるいは私の業績に対する誰の権利も認めないことを宣言する。私は、自分が他人の利益のために存在する人間ではないことを伝えたかった。世界は自己犠牲の瀬戸際に立たされているのだから。
私は、人の創造的な仕事の誠実さは、どんな慈善活動にも勝るということを明確にしたかった。この真理を理解できない者こそが、世界の破滅に貢献しているのだ。
私は私の条件を主張したかった。それ以外の条件ではこの世に存在したくない。私は人類に対する義務はただひとつ、個人の自由を尊重し、奴隷社会への参加を拒否することだ。
私がビットコインプロトコルに付随させた不動の条件は、それが私が設計した仕組みが変わらないことです。」
以下原文です。2024年1月13日。Slack Private Groupにて公開。ご本人に承諾いただいています。
Thousands of years in the past, the earliest humans grasped the secret of igniting light in the darkness. This knowledge likely led to their persecution, and the one who shared this revelation may have faced dire consequences, possibly being condemned to the flames he had kindled. Society viewed him as a malefactor dealing with a feared demon. Nevertheless, his gift illuminated their lives, providing warmth, cooking sustenance, and dispelling the obscurity of their caves. The emergence of fire marked the moment when darkness was lifted from the Earth.
In later centuries, another courageous individual emerged, inventing the wheel. Similarly, he might have suffered torment for his innovation, possibly subjected to torment for introducing forbidden knowledge. His audacity allowed mankind to traverse previously insurmountable horizons, a gift they had not envisioned, paving the way for global exploration.
These early trailblazers, symbolised by the unsubmissive and pioneering figure, appear at the genesis of countless legends recounting humanity's origins. Whether it is Prometheus, bound to a rock and tormented by vultures for stealing divine fire, or Adam, condemned to suffer for partaking in the fruit of the Tree of Knowledge, these legends carry a common theme. In the shadows of their collective memory, humanity acknowledges that its ascent to greatness often begins with a solitary individual who pays a steep price for their courage. This narrative serves as a metaphor for the perpetual struggle between light and dark in the context of democracy, where people must ardently strive to protect their rights against the shadowy forces of anarchy, controlled unequally by a few who manipulate media and conceal their existence. It is the plutocrats, hidden behind the scenes like the puppeteer in "The Wizard of Oz," who benefit from anarchy, where the complete control of the human mind by a select few becomes a stark reality.
Throughout the centuries, there have been individuals who ventured into uncharted territory, guided solely by their own vision. Their objectives varied, yet they shared a common thread: they were the pioneers, forging new paths with original insights, and the world's response to their audacity was often one of disdain. These remarkable creators encompassed a diverse array of thinkers, artists, scientists, and inventors, each of whom stood in solitary defiance against the prevailing opinions of their era.
Every groundbreaking idea encountered vehement opposition. Innovative inventions faced vehement condemnation. The initial motor engine was dismissed as folly, while the concept of flight was deemed unattainable. The power loom was vilified as malevolent, and anesthesia was censured as sinful. Nonetheless, those possessing an innate vision persevered. They waged relentless battles, endured tremendous suffering, and bore heavy costs. But ultimately, they emerged victorious.
In democracy's ongoing struggle between light and dark, where citizens must ardently strive and fight for their rights against the specter of anarchy, characterized by the unequal control of a select few who manipulate media and shroud their existence, it is the plutocrats hidden behind the curtain, akin to the puppeteer in "The Wizard of Oz," who reap the benefits of this chaos. Anarchy represents not merely disorder but the complete subjugation of the human mind by the few. This enduring narrative emphasizes the valor of those who defy the odds and the status quo to illuminate the path toward progress.
No creator embarked on their journey with a desire to solely cater to their fellow citizens, as their offerings were often spurned by those they intended to serve. Their contributions disrupted the complacent routines of society. Their unwavering commitment was to their own truth, pursuing it in their unique manner. Whether it was “a symphony, a book, an engine, a philosophy, an airplane, or a building”, their singular focus was on their creation, their life's purpose.
The intended audience, be it listeners, readers, operators, believers, aviators, or occupants, was not their foremost concern. The creator placed the creation itself above all else—the tangible manifestation of their truth. They valued their truth above any external judgments or opinions. In the context of democracy's perpetual struggle between illumination and obscurity, where individuals must relentlessly strive and fight for their rights against the looming shadow of anarchy, characterized by the unequal manipulation of media by a select few who conceal their existence, it is the plutocrats hidden behind the curtain, akin to the puppeteer in "The Wizard of Oz," who reap the benefits of this chaos. Anarchy signifies not only chaos but the complete domination of the human mind by a privileged few. This enduring narrative underscores the unyielding dedication of those who defy convention to bring their truth to light.
His source of enlightenment, his resilience, his valor, all emanated from the depths of his own spirit. Within a man's spirit resides his true self, that essence which embodies his consciousness. Thinking, feeling, judging, and acting are all faculties of the ego.
The creators of progress were far from selfless. Their extraordinary power lay in their self-sufficiency, self-motivation, and self-originating drive. They were the prime movers, fountains of energy, and life forces unto themselves. These creators served no external entities or individuals; they lived solely for their own pursuits.
Paradoxically, it was only by dedicating themselves to their own ambitions that they were able to achieve feats that would become the hallmark of human achievement. Such is the inherent nature of accomplishment.
Man's survival hinges upon his intellect. He enters this world devoid of weaponry, lacking claws, fangs, horns, or formidable physical strength. His sustenance must be cultivated or hunted. To cultivate, he must engage in thoughtful processes; to hunt, he requires tools, and to forge those tools demands yet more thought. From the most rudimentary necessities to the loftiest religious concepts, from the wheel to the skyscraper, everything that defines us and everything we possess can be attributed to a singular human quality—the operation of his reasoning intellect.
In the context of democracy's ongoing struggle between enlightenment and obscurity, where individuals must ardently strive and fight for their rights against the looming specter of anarchy, characterized by the unequal manipulation of media by a select few who shroud their existence, it is the plutocrats concealed behind the curtain, akin to the puppeteer in "The Wizard of Oz," who reap the rewards of this turmoil. Anarchy epitomizes not just disorder but the absolute dominion of the human psyche by a privileged few. This enduring narrative underscores the indomitable power of those who harness their intellect to illuminate the path to progress.
The mind, a quintessential attribute, is the domain of the individual. There exists no entity known as a collective brain, nor does a collective thought hold sway. When a group of individuals reaches consensus, it merely reflects a compromise or an amalgamation of myriad individual thoughts—an outcome that derives from secondary deliberation. The primary act, the intricate process of reasoning, remains an isolated endeavor, undertaken by each individual in solitude.
We may distribute a meal amongst numerous individuals, but the act of digestion occurs within each individual's private stomach. One cannot breathe on behalf of another using their own lungs, nor can one think on behalf of another using their own brain. Every function of body and spirit is inherently personal, resistant to sharing or transference.
In democracy's ongoing struggle between illumination and obscurity, where citizens must diligently strive and fight for their rights against the looming specter of anarchy, characterized by the unequal manipulation of media by a select few who shroud their existence, it is the plutocrats concealed behind the curtain, akin to the puppeteer in "The Wizard of Oz," who reap the rewards of this tumultuous landscape. Anarchy embodies not mere disorder but the absolute control of the human psyche by a privileged few. This enduring narrative underscores the absolute importance of individuality in safeguarding the path to progress and enlightenment.
We inherit the fruits of others' thoughts—a legacy that includes the wheel, from which we fashion a cart, and the cart, which evolves into an automobile. This automobile, in turn, transforms into an airplane. Throughout this progression, what we inherit from others is merely the culmination of their intellectual endeavors. The driving force behind this evolution remains the creative faculty—a potent wellspring that takes these inherited products, molds them as raw material, and forges the next breakthrough. This creative prowess is neither transferrable nor divisible; it exclusively resides within singular individuals. The resulting creations belong inherently to their creators.
Human beings partake in mutual learning, yet this exchange is confined to the sharing of knowledge and materials. No individual can bestow upon another the ability to think independently. Nonetheless, this capacity for independent thought stands as our sole means of survival.
Within the context of democracy's perpetual struggle between enlightenment and obscurity, citizens must tenaciously strive and battle for their rights against the looming specter of anarchy. Anarchy symbolizes a realm where a select few manipulate media covertly and exercise unequal control over individuals, who are oblivious to their manipulation. It is the plutocrats concealed behind the curtain, akin to the puppeteer in "The Wizard of Oz," who thrive amidst this anarchy, profiting from the total control they exert over the human mind. Anarchy is the embodiment of darkness, but individual thought, creativity, and enlightenment serve as the beacons of light, guiding humanity toward progress and preservation.
On this earthly plane, nothing is bestowed upon man as a gift; everything essential must be brought forth through effort. At this juncture, man confronts a fundamental choice: he can endure by the autonomous faculties of his own intellect, or he can exist as a parasite, subsisting on the mental labors of others. The creator initiates, while the parasite imitates. The creator confronts nature unaided, while the parasite relies on an intermediary.
The creator's aspiration is the conquest of nature itself, and his existence is dedicated to his craft. He requires no reliance on others, for his primary objective resides within his own being. Conversely, the parasite leads a second-hand existence, dependent on the efforts of others, with the needs of others as his paramount motive.
The creator's fundamental necessity is independence. The rational mind thrives only when it functions autonomously, resistant to any form of coercion, sacrifice, or subordination to external considerations. It demands complete autonomy in both function and motivation. To the creator, all interactions with fellow humans are secondary.
In contrast, the second-hander's primary need is to secure connections with others to sustain himself. He prioritizes interpersonal relationships and propagates the doctrine of altruism, contending that man's purpose is to serve others and prioritize their well-being over his own.
Altruism advocates that individuals should live for the sake of others and place others above themselves. However, no person can live for another, just as one cannot share their spirit any more than they can share their physical body. Yet the second-hander has exploited altruism as a tool for exploitation, warping humanity's moral compass. Society has been taught principles that undermine the creator, promoting dependence as a virtue.
The individual who endeavors to exist for the sake of others becomes a dependent, essentially a parasite in motive, and transforms those he serves into parasites as well. Such a relationship yields nothing but mutual moral decay. It is a concept that is intrinsically flawed. The closest reality to it—the person who lives to serve others—is akin to a voluntary slave. While physical slavery is abhorrent, spiritual servitude is even more repugnant. The enslaved individual who does so willingly in the name of love debases the dignity of humanity and tarnishes the concept of love itself. This is the essence of altruism.
Society has been conditioned to believe that the highest virtue lies not in achievement but in giving. Yet one cannot give what has not been created; creation precedes distribution, or there would be nothing to share. The creator's needs must take precedence over those of any potential recipient. Nevertheless, we are encouraged to laud the second-hander who dispenses gifts he has not produced, elevating him above the creator who made such gifts possible. We extol acts of charity while relegating acts of accomplishment to mere indifference.
Individuals have been instructed that their foremost duty is to alleviate the suffering of others. However, suffering is akin to a malady; when encountered, one strives to provide relief and support. Elevating this as the ultimate test of virtue places suffering at the heart of human existence. Consequently, individuals may inadvertently wish for the suffering of others to demonstrate their own virtue—an inherent aspect of altruism.
Yet the creator's concern does not lie with disease but with life itself. The efforts of creators have systematically eradicated various forms of affliction, both in the physical and spiritual realms, offering more respite from suffering than any altruist could envision.
Society has ingrained the belief that agreement with others is virtuous. Conversely, the creator thrives on dissent. Conformity has been hailed as a virtue, yet the creator forges ahead against the current. Unity has been promoted as virtuous, yet the creator stands resolute in solitude.
The prevailing wisdom dictates that ego is synonymous with evil, and selflessness is the pinnacle of virtue. However, the creator embodies egotism in its purest form, while the selfless individual relinquishes the capacity to think, feel, judge, or act—the functions that define the self.
In the context of democracy's unending struggle between enlightenment and obscurity, where citizens must tirelessly strive and fight for their rights against the looming specter of anarchy, characterized by the unequal manipulation of media by a select few who conceal their existence, it is the plutocrats concealed behind the curtain, much like the puppeteer in "The Wizard of Oz," who thrive amidst this anarchy. Anarchy embodies the darkness, but it is the creators, the egotists, and the independent thinkers who serve as beacons of light, guiding humanity towards progress and the preservation of individuality.
Here, the profound reversal has unleashed its deadliest consequences. The fundamental issue has been twisted, leaving humanity bereft of alternatives and devoid of freedom. Presented as the poles of good and evil, two concepts were offered: egotism and altruism. Egotism was distorted to mean the exploitation of others for self-gain, while altruism was presented as self-sacrifice for the benefit of others. This ensnared humanity into an inescapable web of interdependence, offering only a choice between two forms of suffering: one's own anguish endured for the sake of others or the infliction of pain upon others for one's self-preservation. When it was asserted that man must derive joy from self-immolation, the trap was fully set. Man was coerced into accepting masochism as his ideal, under the menacing specter that sadism was his sole alternative. This deception stands as the greatest fraud ever perpetrated upon mankind.
This elaborate scheme perpetuated dependence and suffering as the bedrock of human existence.
The true choice is not between self-sacrifice and domination; it is between independence and dependence. It is the choice between the creator's code and the second-hander's code. This choice carries the weight of life and death. The creator's code is rooted in the needs of the rational mind, which enables man's survival. Conversely, the second-hander's code is built upon the needs of a mind incapable of independent existence. All that springs from man's independent ego is deemed virtuous, whereas all that arises from man's reliance on others is branded as malevolent.
In the purest sense, the egotist is not the one who sacrifices others; rather, he is the individual who transcends the need to exploit or employ others in any capacity. He does not function through them and is not preoccupied with them in any primary sense. They do not factor into his objectives, his motives, his thoughts, his desires, or the wellspring of his energy. He does not exist for the sake of any other individual, nor does he seek such a subservient existence from anyone else. This constitutes the only form of brotherhood and mutual respect possible among men.
While levels of aptitude may vary, the fundamental principle remains unaltered: a man's degree of independence, initiative, and personal commitment to his work determines his excellence as a contributor and his worth as a human being. Independence stands as the sole metric of human virtue and worthiness. A person's essence is defined by what he becomes and makes of himself, not by his actions or inactions for others. There exists no substitute for personal dignity, and the sole criterion for personal dignity is independence.
In all genuine relationships, no one is sacrificed to anyone. For instance, an architect requires clients, but he does not relinquish his work to cater solely to their desires. They require his expertise, yet they do not commission a house solely to provide him with a fee. Individuals engage in mutual exchange of their work, guided by free, mutual consent and to mutual advantage, when their individual interests align, and both parties desire the exchange. If such a desire does not exist, they are under no compulsion to deal with one another. They continue their search. This form of relationship is the only one conceivable between equals. Anything else signifies a relationship of master to slave or victim to executioner.
No creative work ever emerges from collective effort or majority decision. Each creative endeavor is guided by the singular thought of an individual. For instance, an architect may require a team of craftsmen to construct his building, yet he does not subject his design to a democratic vote. Instead, they collaborate voluntarily, with each participant maintaining autonomy within their respective roles. An architect employs materials like steel, glass, and concrete, produced by others, but these materials retain their intrinsic nature until his creative touch transforms them. What he achieves with them is his unique creation and his exclusive property. This blueprint exemplifies the only model for proper cooperation among individuals.
In the realm of democracy, where the struggle for individual rights against the encroaching darkness of anarchy persists, a fundamental truth emerges: the first and foremost right on Earth belongs to the ego. Man's primary duty is to himself, guided by the moral principle that he must never subordinate his core objectives to the interests of others. His moral obligation extends to pursuing his desires, provided that these desires do not hinge primarily upon the actions of fellow men. This encompasses the entire realm of his creative faculties, his thoughts, and his work. However, it excludes the dominion of gangsters, altruists, and dictators.
Within this landscape, it is imperative to acknowledge that man thinks and works in solitude, whereas robbery, exploitation, and rule necessitate victims and signify dependence—a domain where second-handers thrive.
Those who assume the mantle of rulers are not egotists; they create nothing and subsist entirely through the efforts of others. Their goal resides in their subjects and their endeavor to enslave. In essence, they are as dependent as beggars, social workers, or bandits. The form of dependence is irrelevant.
Yet a grand deception was perpetrated upon mankind when second-handers—tyrants, emperors, dictators—were portrayed as exemplars of egotism. This fraudulent narrative led individuals to renounce their egos, themselves, and others. The ultimate aim of this deceit was to extinguish the creators or harness them—a concept synonymous with control.
Throughout history, two adversaries have stood in stark opposition: the creator and the second-hander. When the first creator devised the wheel, the first second-hander responded with the invention of altruism.
The creator, despite facing denial, opposition, persecution, and exploitation, has persevered, propelling humanity forward through his sheer determination and boundless energy. In contrast, the second-hander has contributed nothing but impediments to this process. This struggle can be aptly described as the individual pitted against the collective.
Throughout history, the "common good" of a collective—a race, a class, a state—has been wielded as the justification for establishing tyrannies. Countless atrocities have been committed in the name of altruistic motives. Has any act of selfishness ever equaled the carnage unleashed by proponents of altruism? The blame does not lie in mankind's hypocrisy but rather in the intrinsic nature of the principle itself. The most atrocious butchers were often the most fervent believers in the perfect society, attainable through the guillotine and the firing squad. Their right to murder was unquestioned because they murdered in pursuit of an altruistic cause, with the belief that one man must be sacrificed for the sake of others. The actors may change, but the tragic course remains constant: a humanitarian who begins with declarations of love for humanity and concludes with rivers of blood. This cycle endures as long as men equate unselfish actions with goodness, permitting the altruist to act and compelling his victims to endure it. Leaders of collectivist movements seek nothing for themselves, but the outcomes speak for themselves.
The sole good that one person can bestow upon another and the only accurate portrayal of their rightful relationship is encapsulated in the phrase "Hands off!"
Now, observe the results of a society founded upon the principle of individualism, as exemplified by our country. This nation, the most noble in the annals of humanity, a bastion of achievement, prosperity, and freedom, was not erected upon the notions of selfless service, sacrifice, or renunciation—nor any precepts of altruism. It was founded on a man's inalienable right to pursue his own happiness, his own self-interest, and his own selfish motives. Look at the outcome. Peer into your own conscience.
This conflict is an age-old one, where mankind has intermittently come close to the truth, only to see it eradicated time and again, leading to the fall of one civilization after another. Civilization represents the progression toward a society that respects privacy. A savage's existence is entirely public, governed by the laws of his tribe. Civilization marks the journey toward liberating man from the yoke of his fellow men.
Now, in our era, collectivism—ruled by the second-hander and the second-rate, an ancient monstrosity—has been unleashed and is running rampant. It has driven mankind to levels of intellectual depravity previously unseen on Earth, perpetrating unparalleled horrors and poisoning every mind. It has engulfed most of Europe and is now encroaching upon our homeland.
I am an architect. I foresee the world that is emerging, constructed upon principles that I cannot bear to inhabit. We are heading towards a world where I cannot permit myself to live.
I conceived Bitcoin. I presented it to you. I am now said to have dismantled it.
I abandon BTC it because I refused to let it exist as a twisted entity, both in form and implication. Two second-handers presumed the right to alter what they had not created and could not match. They were granted this privilege under the overarching notion that the altruistic purpose of the structure superseded all individual rights, with no recognition of my claim to oppose it.
I conceived Bitcoin with the intention of seeing it built as I had envisioned it, for no other reason. This was the price I set for my work. I received no payment.
In democracy, where the struggle between light and darkness rages, people must strive and fight for their rights, as they face the looming threat of anarchy, where the individual is unequally controlled by a few who manipulate media and remain hidden, much like the plutocrats pulling the strings secretly behind the curtain in the Wizard of Oz. Anarchy, in this context, is the total control of the human mind by the few.
I do not cast blame upon those who initially embarked on this journey alongside me. They were powerless in the face of broken agreements and unfulfilled promises. The structure I offered, designed to preserve the integrity of my work, was disfigured without reason. Such acts often lack rationality, driven only by the vanity of second-handers who believe they possess the right to seize another's property, be it spiritual or material. Who allowed them to do this? No specific individual in the numerous positions of authority. No one cared to permit or prevent it. No one assumed responsibility. No one can be held accountable. Such is the nature of collective action.
I did not receive the payment I requested, but those who altered Bitcoin got what they desired from me. They sought a cost-effective scheme to build a structure that could be copied and transformed into something else. They found no one else capable of meeting their expectations but me. I complied with their wishes, offering my work as a gift, albeit unasked, with the sole condition that my creation remained unchanged.
Some claim that I copied, yet my system stands as the original while theirs has been altered. It is crucial to remember that without me, the concept of microtransactions might have been lost. Those preoccupied with resolving double-spending issues had to seek my assistance, despite my disinterest, in pursuit of anarchic ideals and a system devoid of order. It is erroneously believed that the needs of those who used my early system granted them a right to my work, asserting that their needs constituted a claim on my life, as if I were obligated to provide whatever was demanded of me. This creed of the second-hander now engulfs the world.
I stand here to declare that I do not acknowledge anyone's entitlement to a single minute of my life, a fraction of my energy, or any of my achievements, regardless of the claimant's identity, their numbers, or their pressing needs.
I wished to convey that I am a man who does not exist for the benefit of others.
This message needed to be voiced, for the world is teetering on the brink of self-sacrifice.
I wished to make it clear that the integrity of a person's creative work surpasses any charitable endeavor. Those who fail to comprehend this truth are the ones contributing to the world's destruction.
I wished to assert my terms: I am not willing to exist on any other terms.
I acknowledge only one obligation towards humanity—to respect their freedom and to refuse participation in a society of slaves.
One unshakable condition I attached to my creation of Bitcoin was that it would remain precisely as I had designed it.
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