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プロスポーツチームを地元の旭川でつくった理由と妻への感謝(プロバレーボールチーム「ヴォレアス北海道」)

2014年。東京・羽田を出発し、3年ぶりに帰ってきた旭川空港。
空港から実家に帰る途中のバスで感じたのは、「あれ、こんなに寂れていたんだっけ?」ということでした。

「このままではいけない。自分が生まれ育った旭川に恩返しをしていきたい。」と、そう考えました。

2014年。子どもを授かりました。
このとき、気づいたのが「教育の選択肢が少ない」ことです。

学校以外の「学びの場」を作っていきたいと考えました。

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新型コロナウィルスの影響で入れ替え戦が行われなくなるという、歯がゆい思いをした2020年。
https://note.com/kenshiroikeda/n/n999e9a325373

さらに解決していくべき課題は山積みです。

2021年、これまで以上に頑張っていくためにも、このタイミングで改めて文章という形で、何故ヴォレアスというチームを旭川で始めたのかについて残しておこうと思います。
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2014年。旭川に戻ってきて、父の会社に勤めることになりました。
もちろん平社員からです。

旭川が「寂れていく町」になっていたのと同様に、会社にも高齢化の波が押し寄せていました。

30人ほどの社員。そのうち、ほとんどが50歳以上。
30代、40代の社員は数人でした。

人材の募集をしても20代の若者は応募してくれません。
そもそも、町に若者自体がいません。

「これではまずい。会社が立ち行かなくなる」
終業後の事務室で、悩む間にぬるくなったジョージアの缶コーヒーを飲みながら危機感を感じたことをよく覚えています。

そこで閃いたのが、スポーツ採用でした。

ヴォレアスの前身は「若手採用の手段」としてのスポーツチーム

当時から、会社にはバレーボールのクラブチームがありました。
そして、「本当は北海道でバレーボールを続けたいのに、環境が無くて北海道を出て行ってしまった人たち」を何人も知っています。

「彼らが戻って来たくなるような会社にしよう。そして出迎えよう。」
そう考え、待遇とイメージの改善を行いました。

まず声をかけたのが、一緒に学生時代をでも戦い抜いた、かつてのバレーボール仲間です。
フェイスブックなどのSNSで近況を確認し、採用したい&来てくれそうな人をヘッドハンティングしました。

待遇の改善やイメージアップ、そして直接のヘッドハンティングが功を奏し、10代、20代の若い子がフルタイムでの正社員として10人も入社してくれました。
若い人が更に別の若い人を連れてきてくれることで、会社の若返りに成功します。

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若手を含めた社員の頑張りのおかげで、会社の業績なども余裕がでてきました。
すると、「自社だけでいいのか?」「旭川への恩返しはいつするんだ?」という思いがふつふつと湧いてきます。

東京からしばらくぶりに帰ってきた日の「この町は、こんなに寂れていたっけ?」という思いが頭にこびりついていたんです。

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そしてこのころ、子どもを授かりました。

子どもの選択肢を増やしたい

子どもを授かって思ったのが「教育の選択肢の少なさ」です。

このままでいくと、自分の子どもは「人に決められた公立小学校」に行くしかありません。
別に学校教育を否定したいわけではありませんが、選択肢がないこと自体には強い違和感を感じます。

それならば、学校以外の学びの場を自分で作ればいいと、そう考えました。

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学校の価値を考えてみると「学習」と「コミュニティ」が大きな要素を占めていると思います。そして、この2つはスポーツで十分関わることができるのではないか?

学校では基本的に同学年の子どもたちと生活を共にすることになる。
一方で、スポーツでは「様々な年齢層、バックグラウンドを持つ人とのコミュニティ」ができます。社会においては、同い年の人ばかりの状況というのはあまり多くない。

その意味では、学校よりも社会に近いコミュニティとして、むしろ良いものではないか、と考えました。

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また、「学校学習」は、別にいわゆる「お勉強」だけではないはずです。

正直、あまり学校教育に良いイメージを持っていない私は「学校以外の学びの場」にこだわりたいと思っていました。(実は、教育大学に通っていたのに、画一的な教育カリキュラムや学生のふるまいへの違和感から、すぐに大学をやめたいと思い、2年で辞めています。この話はまたいずれ。)

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子どもを授かったこと。教育における選択肢の少なさに危機感を抱いたこと。今思えば、これがプロのスポーツチームを作ることにした大きな大きなきっかけです。

プロスポーツチームを作る。
そうなったときに「札幌ではなく旭川で作る理由」を何度も聞かれました。
私の中では明確な答えがあります。それが「札幌一極集中への違和感」です。

札幌一極集中への違和感

旭川は北海道の二番手といわれています。
ただ、あくまで人口が二番手なだけで、娯楽であるエンターテインメントなどは、ほぼ札幌一極集中の状態なんです。

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(出典:北海道庁
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/csr/zinkou/02_genan_vision_2.pdf

例えばスポーツチームだけ見ても、サッカー、フットサル、野球、バスケットボールなどすべてのチームが札幌を拠点としています。旭川ではいわゆる「プロのスポーツ選手」に触れる機会がほとんどありません。

これは子どもたちへの教育の観点で、よくないのではないか。

札幌以外での選択肢が、このままどんどんなくなってまうのではないか。

長期的には、北海道全体の衰退を招くのではないか。

感じたのは、強烈な危機感でした。
やはり、旭川にプロスポーツチームを作ろう。子どもたちがあこがれるような、かっこいいチームにしよう。

これがプロのスポーツチームをあくまでも旭川で作ることにした理由です。ただもちろん、プロとして活動していく以上、旭川を選んだのはそういった"心根の白い部分"だけではありません。

人口の少ない、旭川の方が有利

札幌の人口は約200万。
旭川の人口は約30万。

人口を単純に比べると、旭川が圧倒的に不利です。しかし、いまは札幌一極集中状態。いくら札幌には200万人近くの人がいたとしても、200万人を何十ものエンターテインメントで奪い合っている状況でした。

一方で、旭川であれば、その30万人を奪い合うエンターテインメントが少なく、さらには、プロスポーツチームはひとつもありません。ここでチームを作れば、一気に30万人に応援してもらえる可能性すらある。


むしろ有利ではないか。

そう考えました。
「勝ちやすいところで戦う」ということです。

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では、勝ちやすいところで戦うはずの私が、なぜプロスポーツチームの中でもバレーボールを選んだのか。

ここにはもちろん「自分が選手としてこれまでバレーボールをやってきた」以外の理由もあります。

「バレーボール」のプロチームを作ろうと思った理由

私が「バレーボール」のプロチームを作ろうと思った理由は3つあります。

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理由1:北海道内で、プロのバレーボールチームがない

すでに北海道全体で見れば、主要競技のプロスポーツチームは存在していました。(上述の通り、ほとんど札幌ですが...)

では、もしここで「既存の競技と同じ競技のスポーツチームを作る」と、サポーターの奪い合いになりかねません。例えば、すでに札幌にサッカーのプロチームがあるのに、旭川でサッカーのプロチームを作ると、北海道内のサッカーファンが激増しない限りは、限られたサッカーファンの奪い合いになります。

それよりも、まだ存在しない競技のプロスポーツチームで新しい「サポーター」と出会いたいと思いました。

前述した「プロスポーツチームがない旭川でプロスポーツチームを作った」という話と、
今回の「同じ種目のライバルがいないバレーボールでプロスポーツチームを作った」という話は実は同じ構造です。

もちろん自分の気持ちを大事にしつつ、「ライバルがいない、市場として勝ちやすいところで戦う」を信条としています。

理由2:北海道はバレーボールの競技人口が多い

そもそも応援してくれる人、興味を持ってくれる人が全くいなければ、いくらチームを作ったところでファンは増えません。「ほかのスポーツチームがないから」だけではバレーボールを選べません。

この点、バレーボールは完璧でした。

北海道の冬は厳しい天候になるので屋外のスポーツは困難です。そのため、屋内スポーツであるバレーボール人口はとても多いんです。また、選手同士の接触を前提としたスポーツでもないことから、特にママさんバレーやミニバレーがすごく盛んです。

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初めから、ファンになってくれそうな、そのスポーツに興味がある人が沢山いる。
これが私が北海道で「バレーボールチーム」を作った理由の2つめです。


理由3:「バレーボール業界をもっと良いものに変えてやるんだ」という思いがある

バレーボール自体、国内のトップリーグでもほとんどの選手が実業団所属です。
つまり、会社からの給料でチームが維持されているということ。チケット代などの興行売上だけではチームを維持できていません。所属企業に、経済的に依存している状態です。


これでは、もし企業の業績が傾いたときには真っ先に削減の対象になりかねません。

とはいえ、バレーボール自体の魅力が、他のスポーツに引けを取っているとは到底思えない。ある意味では「ポテンシャルはあるのに活かしきれていない市場」だと思いました。

これまで自分を育ててくれたバレーボール業界に恩返しをしたい。
こんなに魅力的なスポーツなのだから、ビジネスとしても価値がある存在だということをもっと知ってほしい。
そんな気持ちが3つめの理由です。

そんな思いからヴォレアスを設立することを決めたのが2015年の冬でした。

ヴォレアスの設立

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(出典:バレーボールマガジン http://vbm.link/12212/2/)

やるぞと決めてからの時の流れは早く、約1年後には設立記者会見を開いていました。
10月21日のことです。
「どんなチームを目指しますか?」という質問対して「かっこいいチーム」と「最短での日本一を目指します」と宣言しました。

バレーボール業界でもめちゃくちゃに叩かれます。「北海道の田舎者がうるせえ」なんて言われましたね。笑

でもそれがかっこいいし「子ども達が憧れるスター」はそういうものだと本気で思っていました。
そのためには「いつか強くなればいい」ではダメだったんです。

実際、そのあとすぐの2017年スタートの3部リーグで優勝を果たしました。
そこからも勝利を重ねつづけています。

コロナの影響で入れ替え戦はなくなりましたが、それが無ければもしかしたらトップリーグ昇格も手の届くところにあったと思います。

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ヴォレアス設立後は、リーグへの参戦のほかに、エンターテインメントとして面白いものにするべく「Vシアター」を行いました。
あくまで「観客が楽しめる、エンターテインメントとしてのバレーボール」です。

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Vリーグは、自社開催ではないので当然ルールがあります。でもそこではできないことがしたい。完全に自由な場でやりたいと考えました。

「挑戦、発表する場」をつくること「様々なプロ」に触れる機会を作ること。その結果、子供たちに選択肢を増やすこと。

それがヴォレアスとしてやるべきことだと思っています。

そこで例えば、
・海外(香港)から対戦相手を呼ぶ
・地元の自衛隊の音楽隊に演奏してもらう
・ダブルダッチや和太鼓を披露してもらう
などなど、エンタメとして面白い、プロの技術に触れる機会を増やすための、イベントを行いました。

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そして、すべて音響照明などの設備にこだわり、異世界を作りあげました。

特に力を入れているのが「VOREAS DREAM project」というダンスチームです。

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(電子ドラムのワークショップ)

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子供たちが挑戦と発表をする場を作りたい。
そしてたくさんのプロに触れてほしい。

まさに私が実現したいことでした。

ただ、お客さんが入らないと、それも続けられません。プロスポーツチームとして活動していく以上、自分たちで収益をきちんとあげていかないと、この興行も続けることができません。

そのためにも、最初は地域の人々に理解してもらうために毎日町で直接説明をして回ったり、チケットを1500枚手売りしたりと、かなり泥臭いこともやってきました。そして、来てくれた方に圧倒的に満足をしていただくための最高の舞台の準備も行う。
一か月で6キロ以上痩せ、革靴も2足すり減ってダメにしました。(あまりに大変で、あの時の記憶はほとんどありません、、。)

そして思い返してみると、それをやり遂げることができたのは妻のおかげだと言いきれます。

結局、妻

自分が全力投球しているとき、妻が家のことを全部やってくれています。

育児も家事も全部押し付けて申し訳ない、と、そう伝えたときに返ってきたのは「あなたは世の中のためにがんばって。うちのことはいいから」という言葉でした。

こんなに心強い言葉、ないです。

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実際、忙しくて仕事にかまけている僕の悪口を子どもたちに絶対言いません。毎日かけてくれるのは応援の言葉ばかり。
なので、子供たちも応援してくれる。
それだけでも感謝に堪えないのに、僕にとって唯一弱音をはける相手としても支えてくれている。

学生時代に出会ってから、恋人となり、結婚し、今にいたるまでずっと一緒でしたが、感謝しかありません。

妻がいなかったら僕は崩壊すると思うので、ヴォレアスの屋台骨は妻です。大好きな家族のためにもこれまで以上に頑張っていきたいと、常に思っています。

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そして、教育事業としてのヴォレアスを頑張るほどに、不思議なことに「地域の子どもたちがみんな自分の子ども」のように感じるようになりました。その範囲が増えてきている実感もあります。

できれば、世界で活躍する人材育成の一端を担いたい。
将来、北海道から世界で活躍する人材が出て、そこにヴォレアスが貢献できていたらという夢を持っています。

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“Children of The Revolution.“
「革命の子ら」のために、そして私たち自身が新しい事への挑戦する(子どものような)存在でありたい。

「未だ見ぬ熱狂と誇りの共創」

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