ノート論① 〜ノートはギフト〜
中学生の時に社会とか理科だとかの授業まとめノートを作り始めてからというもの、僕はノートの書き方にはこだわりをもって生きてきた。自分でもこだわっているなぁと感じる数少ない部分ではある笑。
例えば先生の板書は書いてある通りそのまま写す人が多いと思うけど僕はその構成が気に入らなかったら、それに従わず自分にとってしっくりくる分かり易い書き方でノートをとる。ここで大切だと思うのは「自分にとって分かり易い」ということ。なぜならノートは自分のためにとるものだから。
大学の先生が言っていた。
「ノートは未来の自分へのギフトです」
本当にその通りだと思った。未来、近いところだとテスト勉強しなくちゃいけない時。遠い先なら仕事に就いて授業で学んだ知識を再び勉強しなおす必要性が生じた時。今の自分がとった「分かり易い」ノートは間違いなく未来の自分にとってかけがえのないギフトになる。例えば高校化学のノート。このノートは先ず定期試験のときに読み返されて、授業で習った内容を思い出させてくれる。それからしばらくの間、開かれることはないけれど受験期に入ると再び日の目を見る日がやってくる。更に大学生になり塾講師のアルバイトを始めれば今度は教える側に立つときにこのノートはまた高校化学の内容を思い出させてくれる。
ただし忘れちゃいけないなと思うのが、ノートは授業や講義の内容を理解するための一つのツールに過ぎないということ。つまり目的(=授業の内容を深く理解すること)があっての手段(=ノート)だということ。決して「ノート至上主義者」ではないです笑。だからみんなそれぞれ自分にあった方法で勉強すればいい。例えば、授業の板書をとらずにスマホで写真をとるというのも一つの方法だと思う。こうすることでノートをとることに傾けていた集中力を先生の話を聞くことに注ぐことが出来る。実際に僕の友だちはこのやり方で結果を出している。またインプットの速度を高めてひたすら反復しようとおもったら「書く」のではなく「読む」という方法を採用すればいい。「七回読み」勉強法はまさにこういうことなんじゃないかと思います。
でもやっぱり「ノートならではの良さ」があると思う。
僕が考えるノートの良さは次の3点です。
①脳への残り方がダントツ
②テキストとして残る
③構成を考える上で自分の理解が深まる
①については多くの人に理解してもらえるんじゃないかなって思う。手を動かしてノートを書くっていうのは時間のかかる作業だけれど、その分より深く理解できる。僕の感覚で言うと理解度を100にするために3回「読む」ことが必要だとするなら「書く」1回で済む位なイメージ笑
②も書いてある通りかな。テキストとして残るからこそ後々見返すことができる。だからノート=未来の自分へのギフトって言える。
③が1番強調したいところ!
構成を考えるっていうのは具体と抽象のレベルを考えること。これを考えることが理解度を高めるのに効果バツグンだと感じる。これについては別の記事でもまとめていきたい。
「ノート」に対する考えが結構出てきそうなので連載形式で書いてくことにしました笑。どうか皆さんお付き合いくださいm(_ _)m
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