「繋がる」ことと、「伝える」こと
163回目の芥川賞に輝いた「首里の馬」を読んだ。いつもは「文藝春秋」で読むけど、今回は沖縄モチーフなので、単行本で。
で、なぜ馬なのか、考えを巡らせて、「伝える」という言葉に辿り着いた。
主人公の未名子は中学の頃から、学校にも行かずに、郷土資料の整理に明け暮れた。来る日も来る日も、沖縄の伝承を記録し、整理し、保管する。
一方で、生活費を稼ぐために、週に何日か、オンラインでクイズを出題するオペレーターの仕事をこなす。
人との接触を避けていた未名子が、オンラインで人と繋がることを厭わないことに、時代を感じたが、まずは、ここで「繋がる」ことを考える。
そして、馬である。台風一過のある日、未名子は自宅の庭に宮古馬が横たわっているのを発見する。なんで、馬?
かつて、沖縄には「琉球競馬(ンマハラセー)」という、速さではなく美しさを競う馬のレースがあった。沖縄のことを伝承する未名子にとっては、かつての沖縄の文化ということで、馬を挙げたことは意味のあることと思ったが、古来の馬の使われ方を考えていたら、使者や物資を馬で運ぶ「伝馬」という言葉に思い至った。
情報伝達という点で重要な手段だった馬は、現在、インターネットという道具に変わった。
伝わること、伝えること、繋がること、今も昔も人は「伝えたり」「繋がる」ことで、自己を認識し、自己承認欲求を満たしてきた。
時代が変わっても、変わらないもの…
高山氏は「首里の馬」で、そんなことを伝えたかったのかな。
そして、舞台を沖縄にしてくれたことは、沖縄在住者には嬉しい限りだが、ここ沖縄は地上戦によって“記録”や“記憶”が燃やされて、過去と分断されてしまった場所。この物語が沖縄だからこそ、さらなる意味を持つという点も、高山氏の物語構成力を感じてしまった。
それにしても、高山氏、文章、うまいなぁ。
最後に、なるほどなぁと思わせてくれた文章をメモ。
「台風というのは低気圧の巨大な塊で、人間というのは水の詰まった袋とほとんど同じだ。だから気圧によって人は体調も精神もすこしばかりおかしくなる。」
で、この一文にやられた。
「この島の、できる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように。」
2020年8月9日、沖縄が台風の日に。
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