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父から逃げた自分が唯一逃げなかったもの「野球」
父との会話がないまま、僕は中学3年を迎えていた。
お互いに会話を避けていたわけではない。
父はふとしたときに数回、話しかけてくることがあった。
だが僕は一方的に無視をした。
問いかけであっても、全く反応しない。すぐに自室へ。
「お前とは会話しない」「俺はひとりで生きていくんだ」
思い上がりも甚だしいが、当時の心境はだいたいこんなものだ。
途中からもう後に引けなくなって、
何年もこの状態が続いた。家族全員がそのことに慣れていた。
僕は逃げたのだ。自分の過ちからも、父からも。
では父はどうだったか?おそらく逃げていなかったと思う。
「聞いているのか?」「なんだその態度は?」
そんな風に怒られた記憶がない。
無視されてもなにもなかったかのようにふるまう。
教師として数々の思春期の中学生と接してきた経験からか、
息子の反抗などノーダメージだったのかもしれない。
親との関係性は複雑だったが、当時の僕を支えていたのは、
9歳から始めた野球だった。
これまで何一つ継続してこれなかった僕の人生で、
「野球」からは逃げたことがない。
運動神経が人より少し良くて、
巨人ファンだった父親がテレビで見ていた影響で始めた野球。
僕は高橋由伸、松井秀喜が大好きだった。
当たり前のようにプロ野球選手を志し、野球チームに入った。
選手として得意・不得意な分野はあったが、それなりに自信はあった。
「俺は他の奴とは違う」
寒い日も暑い日も早朝も、週6の練習も、
怠けたい気持ちはあっても、逃げ出すことは一度もなかった。
本当に人生のすべてだった。
結果も出た。
中学の全国大会には2回出たし、代表にも選ばれた。
野球によって、田舎者の少年の未来が切り開かれていく。
何回かいろんな人から「ひとつのことをやり続けられるのは偉い」と
褒めてもらうことがあったが、僕は不思議だった。
目標に向かってひとつのことをやり続ける方が絶対に悩まないし楽だ。
目標に向かう途中の問題や悩みなんて、大抵答えが出ている。
そう思って野球人生を歩んできた。(※この考えが引退後僕を悩ませる笑)
グラブのにおい、バットの芯でボールをとらえた感覚、
歓声や声援、イメージが現実化したときの快感、
何よりも「非日常」を味わえる「緊張感」
これが得られるのならば、
仮にどんな体罰があっても、
「野球」から逃げる理由などどこにもなかった。
そして迎えた中学3年の夏、父と過去の自分から逃げていた
自分は、自分の野球の実力のみを信じて、
15歳で実家を出る決断をした。
そのに至る詳細などは、また次回。