『八咫烏様は願わない』 三話目
「……ハッ!」
目が覚めた時、俺は自宅のベッドの上だった。両親の遺影が飾られた仏壇。誰もいないリビング。でも広すぎる4LDKの家。養育者ということになっている叔父からの定期的な送金が入っている通帳。いつも通り……いつも通りの寂しい家だ。
「ぜんぶ……夢だった?」
そう思って体を起こす。壱野と一緒に京都に行ったのも、壱野が死んだのも全部……。
だが、聞こえてきた声に、俺は耳を疑った。
「残念ながら、すべて真実だ」
「……弐佳さん?」
大きすぎる胸を揺らしながら、苦悩に満ちた表情で弐佳さんは告げる。こじんまりとしていた胸板の壱野とは対照的だ。
「壱野は死んだ。あいつが油断することなんて滅多にないのだが、初めての遊園地で気が緩んでいたのだろう」
「……ぜんぶ、現実ってこと?」
そう言われてから、俺は思わず跳ね起きる。
壱野のところに行かなくては、その死体にすがりつきたい。
「黒鴉様! どこに行かれます!」
「壱野が死んだなんて嘘だ! 本当は生きている! ねえ、そうだろう!?」
「……残念ながら」
「そんな……」
「……でも、真実、とも言えない」
「……え?」
弐佳はそう言って、テレビをつける。そこには、どこかのアイドルが映っていた。バラエティ番組らしいが、俺は目を見張る。
「九月十八日……? 嘘だろう。だって、俺はあの月曜日から一週間たって壱野と遊園地に行って……」
「私も、半信半疑です。壱野の首が斬られる瞬間をみたら、この場所に飛ばされていた」
「弐佳さんも……?」
「黒鴉様が目覚めるまでに時間があったので調べましたが……。今日は、本当に九月壱八日で間違いないようです」
「時間が、巻き戻っているという事?」
「おそらくは……」
「じゃあ……じゃあ、壱野は生きているんだ!」
俺は玄関に走っていく。今すぐ壱野の安否を確認しなくてはいけないと思った。
「お待ちください!」
「止めるなよ! 早く会いに行かなくちゃ!」
「今の壱野は、おそらくあなたとの日々を覚えていません!」
その言葉に、息をのんだ。俺と壱野が過ごした一週間を、覚えていない?
「今の壱野にコンタクトを取りましたが……。自分が死ぬ運命にあることも知らない。今日、天狗たちの襲撃が来ることも知らない。あなたが、自分のために祈ってくれたことも知らない様子でした」
ということは、壱野はいま、笑っていないのだろうか。あの冷たい目で、冷たい風を受けながら寂しそうにしているのだろうか。
「じゃあ、どうして弐佳と俺は覚えているんだ? おかしいじゃないか」
「これは推測ですが……。時を曲げると言うのは、自然の摂理に反しています。つまり、可能なのは、黒鴉様方の『願い』だけ。歴代のご当主の誰かが、子孫が本当に困った時、絶望したときには、時間の摂理を曲げられるように願ったのではないでしょうか」
「そんなの……仮定の話でしかない」
「その通りです。なんの確証もありません。でも、他にどうこの現象を説明します?」
弐佳の声は悲痛だった。
「壱野が死んだとき、一番そばにいたのは黒鴉様。そして弐番目が、駆けつけていた私です。他のエージェントたちも数人は補助のために過去の時空に飛ばされているようですが、記憶には混濁も見られます」
「……そう……か」
「黒鴉様。どうされます?」
「え……?」
「一週間、遡れたのです。もう一度、やり直すこともできますよ」
「!!!」
当たり前のことだが、言われるまで気づかなかった。俺のなかでは、壱野の首が切られたのはわずか数分前のことなのだ。混乱していても仕方ない。
「もう一度、京都に行き、願いを変えることもできるってこと?」
「やってみなければ分かりませんが……おそらくは」
そういって、弐佳はため息をつく。
「私としては、『壱野が笑顔でいられる世界を』なんて願いよりは、もっと高尚なものをお願いしてほしいと切に願っておりますが」
「……そうだね。僕もそう思う」
「え……?」
「そう願っただけでは、壱野は死んでしまった。だからもっと、違うことを願わなきゃ」
九月十八日の朝、俺は制服を整えて、玄関を出る。
今思い出してみれば、壱野とは通学路が同じ方向だった。きっと、壱野は俺を見張るために同じ方向に居を構えていたのだろう。早く壱野に会わなくては。
「あら。黒鴉さま」
深刻な顔をしていた俺に、そんな声が響く。
顔を上げた先には、クラスメイトの宮姫ユキ。典型的なお嬢様系美少女だ。
「ほんとに時間さかのぼっちゃったんだね。まじ、びっくり」
「え……え?」
次に声をかけてきたのは、クラスのカースト上位であり、髪を明るく染めた鬼頭クルミ。
すでに滅んでいるからそう呼べるかは疑問だが、若干のギャル属性である。
「……彼女たちも、エージェントです。あの日、遊園地にいて『時間遡行』に巻き込まれたようです」
「ま、前はクラスで話したこともなかったのに」
「こうなったら全員で共闘するほかありませんから。他にもエージェントたちはこちらの世界に来ていますからね。のちのち、紹介していきましょう」
そんなにいても困るんだけど、と思った時、一陣の風が強く吹く。
風の先をみると、そこには、壱野がいた。
「壱野……!」
風に驚き、俺の泣きそうな声に驚き、目を見張っている。ただ、その目は、たしかに俺と壱週間を過ごした壱野のものではなかった。九月十八日の何も接点のなかった壱野だ。
「どうしました、黒鴉……君」
俺はこぶしを握り締める。この命を守るために。二度と死なせないために。新しい一週間をやり直す。今度こそ、壱野が笑って、そして、生き延びられる未来のために。
(続)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?