「大人の余裕」

「大人の余裕」って言う言葉の意味を、私はこう記憶している。

「大人は色々な経験を積んでいるおかげで、子どもの時以上に心にゆとりができて、寛大になったり正しい行動が取れるようになる」

けれど、この世にはそんなものが本当にあるんだろうか。

多くの「大人」と呼ばれる人たちは、しょーもないことで怒鳴ったり、意味もなくイライラしたり、いろんな不安を抱えたり、死を意識したりと、子どもたち以上に心の余裕が無くて、間違った行動をとることも多いように感じる。街角やテレビで見る「ヤバい人」は決まって「大人」である。

思うに、「大人の余裕」って言葉は意味があるように見えて全く意味のないものだ。「頭痛が痛い」という言葉と似ている。二つの単語のうちの一方がもう片方の単語の意味を孕んでいるために、意味が重複してしまっている。
単に歳をとるだけでは心に余裕は生まれない。それだけでは「大人」になんてなれない。むしろ圧迫されて、子どもが持つ余裕すら失ってしまう。だから「大人」という存在自体に、「余裕」という性質が含まれているんだ。

なんでこんな話をしたかと言うと、スーパーでのある出来事がきっかけだ。
アイスを買おうとレジの長い列を並び、アイスが柔らかくなり始めた頃にやっと自分の番が来たと思った矢先、おじさんが列に割り込み店員さんに袋を要求した。店員さんが袋を渡すと「もっと小さいの!」と怒鳴り、「これが1番小さいです」と答えると、「もうええわ!」と袋を店員さんに投げつけた。
私はその横暴な態度に腹が立ったが、何も言わずにそれを見ていた。自分の会計が終わり少し歩くと、さっきのおじさんが前から歩いてきて、私の前で手を振り上げ「どけ!」と怒鳴った。
私は考えるよりも先に「なんじゃ貴様!」と口に出してしまった。不幸中の幸いか、そこから喧嘩になることはなかったが、私は自分がそんなことを言ってしまうなんてと悲しくなった。
そしてその時思った。

「あぁ、大人の余裕ってなんなんだろう」

私は大人になんてなってなかった。自称「大人」の肩書きを与えられただけ。
ただ子どもよりも歳を取っただけだ。

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