人生の満足度という意味では、Peak Endの法則で考えれば、正直今の中間期の幸福度合いなんてどうでもいいっちゃいいのかもしれん。 人生のPeakは既に味わったと思えるくらいには、いい想い出がたくさんある。 小学校毎日友達と遊んでいた想い出、家に帰ったら温かい家族があった想い出、東京大学に彼女と一緒に受かった想い出、最愛の人に出逢い一緒に過ごした日々(今はもう別れているけれど、最愛であったことに変わりがない)、愛されることと愛することを教えてもらったこと、26歳のこの辺りま
もし君がこの世に実態あるものとして存在するというのならば、必ず翳りがあるはずだ。 翳りがないということは、君と言う実態は存在していないということに同義である。 実態していないということは、この世で誰も君のことをよく知らないということだ。君自身も含めて。
自分の思考が介入してくる前に動く、情動、それが僕には少し足りていない気がする。 自分があと1年で死ぬとした時に、好きなことしていいと言われたら、何かやることあるか。 医学教育とか誰かを救いたいとか、そういうことはこの時点では出てこない。 しかしあと50年後に死ぬとすれば、それらの望みは入ってくる。 即ち、自分が根源的に求めていることというのは、元来とても即時的なものであるということが逆説的に言える。 あと何年後に死ぬか、その何年のスパンが長ければ長いほど、他人のことについての