災害時と平時の「図」と「地」
東日本大震災の復興のまちづくりをほんの僅かばかりお手伝いしていたこともあり、地元・日光のまちづくりの際のインプットには、防災がつきまとっている。
特に、日光の災害史を紐解く作業を続けている。
自然災害に対して、日光も実は盤石ではなく、むしろ繰り返し悩まされてきた。
よく「日光の地盤は地震に強い」などと言われる。確かに、そういう側面はあるかもしれない。
しかし、地理的に別の大きなリスクがあった。
それは、河川の氾濫による水害と土砂災害、崩落だ。
中には、男体山の崩落によって中禅寺湖で山津波が発生し、その影響が下流域である日光門前地区にも及んだこともある。
明治35年のこと。この時に、神橋も流されている。
特に、日光門前地区は山間の小さな「谷の町」であり、それらは河川によるもので、水のリスクも恩恵も同時に受けることが宿命と言えよう。
過去の史料やそれらを紐解いた近年の資料から、水害、地震、気象災害、飢饉、火災を抜き出して、一覧を作成してみている。
一覧を作成する、というよりも、空白の年表をつくって、それに書き入れていくスタイルだ。
そうすると、「空白」が残っていることによって見えてくることがある。
例えば、
・地震は周期的であるし、気象災害と水害も同じように周期的に見える。
・火災それらと(ほぼ)関係なく、頻発。
・江戸後期には日光でも伝染病が関係し、全国的な都市化と相関関係がありそう。
という具合に。
年表を一覧で作成した場合は、その全体数しか捉えられない。
これは、所謂「図」の部分。図の抜き出し、ということになる。
しかし、余白(空白)を与えることで、時間の流れと、頻度が掴める。
あるいは、災害の連鎖やまちへの影響など相互関係が見えてくる。
頻発や複合的なものなどもだ。
▲日光門前地区の史上最大の災害である稲荷川の洪水(寛文6年)その前には地震や大雨もあった。そして、前年には飢饉も起きていた。
どうしても「図」の部分に目がいきがちなのは常なのだが、「地」がないと成立しないものだ。
「図」と「地」。
耳慣れないかもしれないので、大まかな説明を少々加える。
例えば、国旗の日の丸。
これの「図」は中央の赤い丸の部分であり、「地」は白だ。
赤い丸に目が行きがちだが、実は白い地があってこそ成り立つ。
そんな原理に、こういった災害のタイミング(頻度、回数)や流れをマクロで知るための資料づくりも当てはまるのではないかと思う。
「地」があることで、はじめて「図」の総体を捉えることができる。
「“図”のみ抜き出した一覧」よりも、「“地”も含めた俯瞰」が大切だと思う。
時間軸で何かを紐解く時には良い方法ではないだろうか。
さて、このようなマクロな視点での俯瞰も大切だと思うが、一方でミクロでも考えねばならない。
歴史記録としては一行であっても、その一行には当時の計り知れない事象が詰まっているのだ。
この東日本震災からの10年を経験した身としては忘れてはならないことだと思っている。
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