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家にはコバエが三匹。
いや、もっといた。
コバエだけではない。大きなハエも、クモも、チョウチョも。
朝起きたら、枕元でスズメバチが亡くなっていたなんてこともあった。
それでも、ぼくはひとりぐらしだった。
大学を卒業してすぐ、知らない小さな町の、小さな中学校に英語教師として赴任した。家賃の安さから学校のすぐ隣の、あまり快適とは言えない教員住宅に入居し、地理的にも仕事内容的にも、文字通り右も左もわからない生活が幕を開けた。
「田舎、独り身、教師」、の三拍子である。同じような経験のある方は共感いただけると思うが、そんな当時のぼくには、プライベートは存在しなかった。
”赴任のお知らせ”が回覧板で回り、すぐに町中の人々に顔を覚えられた。スーパーでもコンビニでも、銭湯の中でも生徒や保護者に「ああ先生!」と声を掛けられた。
放課後は部活動の指導、生徒たちが下校すると授業の準備。土日祝日は部活動の試合、練習、遠征。携帯に来る連絡は保護者か同僚のみ(サラリーマンには社用携帯なんて便利なものがあるのを、ずっと後になって知った)。
もともと、他人と円滑にコミュニケートできるタイプではない。そういうタイプだったら、きっと充実した教師生活を続けていただろうし、もしそうなら今のように音楽をやっていないだろう。
さて、孤独、である。
もちろん恋人を作る暇なんてなかったし、その町で恋人を探すなんて、自ら腹を切るよりも自殺行為である。
休みの前日にはコンビニで数日分の弁当やお菓子を買い込み、夜通しで動画鑑賞。翌日爆睡しすぎたせいで食べられず、冷蔵庫の奥に押し込まれたコンビニ弁当。忙殺される平日、存在を忘れられた弁当は腐り、数日後にそっとゴミ袋の中へ。
迫りくる日々、翌日のことを考える余裕なんてなかった。体力・気力面でいえば、まさにその日暮らしの生活だった。
そんな暮らしの中、強くもない酒に酔い、はじめて書いたオリジナル曲が「ひとりぐらしの歌」だった。
'ひとりぐらしの歌'
家に帰っても何もない
冷蔵庫開けても何もない
Oh, baby, I'm so hungry
誰か助けて 今日もひとりぼっち
また友達が結婚
今度は同僚がおめでた
Oh, no, I'm so lonely
家にいるのは コバエが三匹
仕事でミスして お金もたまらず 手元に何も残らない
That's not alright
誰か助けて 今日もひとりぼっち
家に帰っても何もない
冷蔵庫開けたら腐った弁当
Baby, that's not alright
誰か助けて 今日もひとりぐらし
よくミュージシャンに「この曲はどんな心境で作ったのですか」とたずねる人がいるが、この場合はどうか。
何も考えてなどなかった。ヤケクソだった。音楽的技巧もなにもなく、詩的工夫もなく、ただ脳みその上澄みを漂う思いに任せて作った歌だった。斜に構えて笑われるのが生きる道と、自分の足先1メートルしか視界にない若者の切実な諦観だった。
でも、作ってから年月が経ったいま、こうして歌ってみると、まさにブルースであると思う。
ぼくは”アメリカーナ・ミュージシャン”と自称しているが、その理由の一つは、アメリカーナが過去の模倣ではない、現在進行形のミクスチャーだからだ。過去の偉大な音楽に敬意を表しつつ、そこから新しいものを編み上げていく。
そういう意味においても、「ひとりぐらしの歌」は、まさに日本人としてのぼくのアイデンティティにあふれた正真正銘の”アメリカーナであると思う。
別に他の誰かのようである必要はない。自分の感じるように、やりたいようにやればいい。当時の自分にそう伝えたいとも思う。
この曲を必要とする人に、届きますように。