五百扇 燦

IOGI AKIRA 18歳 役者志望 ゴミ溜め

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直線的な生命の途上で、剥がれかけた朱色塗装に差し込む白熱灯があった。 分散する赤光は、須く円環する我らを浮き彫るのではない。 蓋し青春の翳りを微かに濁すのみで、瀟洒な科白にすら及ばないだろう。 実存の叫びは、消魂しく地下一階で反響し、盲目な仔羊はその造形をメタフィジカルな表象へと転換する。 無機質な媒介に籠るアーティフィシャルな我らの燃ゆる“それ”に相関性があるらしい。波長と外的な鼓膜の振動はしばしばそのエントロピーに逆行する。 月の怪電波が静寂に溶け込む音がする。

    • 第1回 架空の映画レビュー

      高校3年生の2人が受験終わりに映画レビュー対決をした時の記録。 1人目 2人目 結論 勝利基準が『よりみたいと思わせるレビュー』にも関わらず、2人とも絶妙に観たくない映画のレビューを書いた。 よって、火鍋部の勝利。

      • 浦島太郎母

           海に語りかけてみる  そっちの暮らしはどうですか?  街並みはずいぶんかわったよ  ちゃんとご飯は食べいる?  今日はカレーだったのよ  君の好きだった甘口の  帰りはいつになるのかな  ここに私はいないけど  いつまでも波を待ってるの  あなたが寂しくないように  箱を残しておこうかな  君の見ている幸せな  夢を私も見たかった  それでも恋しくなったなら  いつでも戻っていいんだよ  その頃私はいないけど  君は生きてると信じてる  【浦島太郎母 幸子の詩】

        • 拝啓 Daniel

          West City Guidance 西都福音楽団 あの山里へ あの高原へ 我等迷えるノマドの獣 同朋共にして 望郷の西へ 我ら傀儡と再来のYELLOW あの砂漠へ あの大陸へ オカエリナサイ オカエリナサイ

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          安穏 無風

          セピア調の白亜紀の朝に 差し込む縹色の木洩れ日 僕の余白を塗りつぶすみたい フラジールなあなたの微笑み 丁寧な暮らしの肌触り かかえて歩いた花束に 慈愛と水を注いでよ 強く根を張るまで 待って なんて  あなたのことを知れたなら 望まないさ でもね 長生きはしなくていいから 余生の暇つぶしに付き合わせて さすらう あなたと 安穏 無風 乾いた心に塗り重ねて 憂も好きもメディウムにしよう 約束だから 額縁は選んでね 金木犀 バスソルトの香り 黎明にあなたはもういない レ

          告朔の餼羊

          さあさあお立ち会い、ちょいとここらで三途の川をバタフライ。一望監視装置の要塞をちょうど掌外沿に建てました私の性を阿頼耶識(アラヤシキ)、名は阿骨打麻呂(アグダマロ)。今は剃髪致しまして、太陽族の“遲塚蘇格蘭”(チヅカスコットランド)と申します。座右の銘は「捲土重来高速道路」のこの私。次にお集まりの皆々様に螺髪と田麩と言語の脆さ、その意味合いをお目にかけましょう。 花に泣く泔坏も水に住むオクロクラシーも鳴く声を聞かずとも、その身の流転する様はas if 18歳の焦がれた深夜ラジ

          告朔の餼羊

          創作という名の排泄

          創作という行為が、世間一般でやけに大層なものだとか、高尚なものだとか、どうにも格式ある生産的で美しい文化だと考えられているように感じる。 創作活動に携わる人々が、これらのことを意識していると炯然と言わずとも、そう感じられるような様子が節々から見てとれることがある。 それも、限って“創作”という活動を積極的に行わぬ位置の第三者的で、消費的な、非創作者とでも言おう俗人に限って感じることがある。 無論私は自分の表現に誇りをもっている人やその心理にけちをつけようというのではない。

          創作という名の排泄

          天網 恢恢 疎にして漏らさず

          紅いクロシェの靴下履いている ヴィンテージ気取りも甚だしいね アガルダに差し込むインフラレッド 大日如来のインスタレーション    あーと驚かせては無礼講  great 監視装置 の中へでも 御来光 来迎 Block in Brocken 唯物史観も批判 規範とか要らん 知らん わな be 空想論者に向いてんじゃない? 畳の上に咲いた睡蓮みたい アイロニカリー  に愛と光を 肯定した理  想に しがみついたり ひらり はらり 舞い散る 花に 無常観さへ もう 自戒

          天網 恢恢 疎にして漏らさず

          眠れぬ夜 羊を殺して

          俺はその昔、高緯度の庭園に群れなす羊達の中にいた。 それはユートピアとでも言うべきか、アルカディアとでも言うべきな、自由の園を誰もが謳っていたんだよ。 しかし彼らが自由を歌うのは夜明け前までの間だった。日が暮れ出すとその地を離れた。夜を怖がったのではない。太陽の監視下に置かれることで自らを安心させてただけなんだ。 あのお天道様が観ている限り、この地で殺しは起こらない。トマスモアが聞いて呆れるユートピアだろう? 俺は必死に黒い羊を演じたよ。小鈴を外して太陽の都を抜け出したか

          眠れぬ夜 羊を殺して

          雪が溶けたら

          A「雪が溶けたら何になる?」 B「ん?水でしょ??」 A「おー、さすがに理系。」 B「文理関係あんのかその質問」 A「一昔前に流行ったちょっとした思考テストみたいなものらしくてさ、文系は雪が溶けると『春』になるって答えるらしいぜ」 B「文系というか文学部だな」 A「社会学部のあいつはどうかな?」 B「理屈的なあいつのことだ、水って言うと思うけどなぁ」 A「おーい!C」 C「ん?呼んだ??脚本で与えられた名前の都合が起因して食後の感想みたいになってるぞ」 B

          雪が溶けたら

          T.N.T

          !EXPLOSION! とびきりの興奮を覚える瞬間はいつもそうだ。 一瞬の煌めきのすぐ直後、轟音が耳を刺す。 俺はボマー(爆弾魔)、そうあることで死(私)を直感し、同時に生(性)を味わうのである。 T.N.T.(ACDC)を聴きながら書き殴る。 https://youtu.be/NhsK5WExrnE?si=ZIQkoTnWwAy88l8T ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 俺は自らを爆弾にする能力者。 その能力は自らの内在的な抑圧からの解放、いわばギャ

          STORY

          「おはよう」 「いってらっしゃい」 「またね」 「ありがとう」 「ごめんなさい」 「また明日」 「おやすみなさい」 「ありがとう」 「いただきます」 「ごめんね」 「気をつけてね」 「おやすみ」 「いいよ」 「お疲れ様」 「ありがとう」 「またね」 「いってらっしゃい」 「ごめんなさい」 「あとで」 「大好き」 「またこんどね」 「いってきます」 「いってらっしゃい」 「どういたしまして」 「おやすみなさい」 「また明日」 「ごちそうさまでした」 「ご苦労様」 「ありがとうご

          18歳のアーティファクト

          「御天道様が怖いんだ」 皮かぶった獣肉が黒い毛生やし 瞳になると辺りには 白い眼をした群衆ずらり 村八分の出来上がり はじめは居心地が良かった あの太陽が照りつける 黒い毛皮に強く強く 汗かく僕は恥ずかしくって 額を隠す仮面をつけた 道化の羊は気づかない 踊らされたのは僕の方 中身は迷えるノマドの獣 本質は“未”だに不可算名詞 僕に我がなきゃ意義は生まれず 僕が肥えねば美は生まれない 人から与えられた役割を 必死に演じていた君の 人生を俯瞰した先に 戒めだけが残ってる あの

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