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夏の朝

ドアを開けると、むわっとする空気が身体を包む。朝はまだ暑さがそこまでではないのに。それでも今日は少し曇り空で、歩くにはちょうど良いコンディションだ。距離測定のアプリを起動し、それからお気に入りのプレイリストから無造作に曲を選ぶ。インストゥルメンタルの曲が流れ出す。さあ、歩こう。

今住んでいる町には、いくつかの公園や木々に囲まれたトレイルがあり、ウォーキングには最適だ。黙々と15分ほど歩くと、通っているジムの前にたどり着く。休憩がてら足を止める。今日はまだ誰ともすれ違っていないと思いながら、マスクを外し、大きく息を吸う。生暖かい空気が身体の中に入りこむ。冬の朝の冷えた空気のほうが好きだ。物思いにふけっていると、前方から走ってくるランナーが目に入る。いそいそとマスクを着けなおす。ランナーもこちらをチラリと見て、マスクを着けなおし、横を通り過ぎていく。僕もまた歩き出す。

折り返し地点のジムを通り過ぎ、トレイルに続く階段に向かう。このトレイルは、木々に囲まれていて木陰が多い。「ああ、涼しい」と独りごちる。いつもは犬と一緒に散歩をしている人が多いが、今日は見かけない。トレイルを独り占めしながら歩く。「2kmになりました」とアプリの声が聞こえる。プレイリストの音が一瞬だけ小さくなると、かわりに蝉の鳴く声が大きくなる。またすぐに音楽の再生が始まる。
歩みを緩め、深呼吸をする。周りの樹々が目に飛び込んでくる。よく見れば、このトレイルの樹々にもいくつか種類があることに気がつく。今住んでいる町は関東に位置しているから、森林は暖帯林(冬でも落葉しない広葉樹の照葉樹林の森林)か。僕が住んでいたカナダのエリアとは森林分布が違う。分布が似ているのは、温帯林(落葉広葉樹と針葉樹が混じる森林)に属する東北や北海道の一部だろう。カナダ東側の森も落葉広葉樹と針葉樹が混じり、特に白樺(Birch)が美しい。このトレイルではもちろん白樺は見られないが、僕にとってなじみ深いTrembling aspen(ヤマナラシ)を発見する。この樹は、葉が特徴的なハート型でかわいらしい。もう一つ特徴があり、風が吹くと葉が震えるように(Trembling:震える)揺れる。カナダの林業学校の一年目に、Dendrology(樹木学)のクラスで徹底的に樹の種類を覚えたけど、こういった特徴のある樹は覚えやすい。樹を識別できるとだんだんと楽しくなってくる。頭の中で樹の名前をつぶやきながら、トレイルを歩く。
林業学校を卒業して森林の知識を活かしているかと問われたら、うーん、となってしまうかもしれない。正直なところ、森林に繋がる仕事に就くのは難しい状況だ。それでも、森林のことを深く知ってから、森や樹の見える景色が一変した。何と多種多様な樹々が存在することか。こんなにも多様な樹々からなる森の美しさ。この美しさを何とか伝えることはできないものか。

トレイルが終わり、家に続く道を歩く。ふと、街路樹を見上げる。ゆっくり歩かなければ、ただ通り過ぎていたかもしれないが、ここにもTrembling aspenが生えている。
街路樹を選ぶ際に基準となるのが、落葉性、樹高、木の寿命。樹高に関しては、電柱に影響するからと言われているけど、最近は地下に埋め込むタイプの電柱が増えているから街路樹の選定基準も人の暮らしに合わせて変わっていくんだろうな。
そういえば、日本ではイチョウの樹をよく見かける。秋にはイチョウの葉が黄色に染まり美しい。だけど落葉は道に広がり掃除は大変だし、銀杏の実は臭いが結構キツイ。林業学校の教官だったら、イチョウは街路樹に適していないんじゃない?と銀杏の臭いに目をむきながら言うかもしれない。でも、日本では落葉した葉に風流さを感じて良しとするのではないだろうか。所変われば、街路樹の種類も変わる。この町にはどんな樹が似合うだろうか。

30分のウォーキングだったが、何だか嬉しい。少し歩いただけなのにシャツは湿っぽい。喉もからからだ。シャワー浴びて、冷たい麦茶でも飲もう。

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