池谷検討
僕はよく知らないが、東大の池谷って人がやたらメディアに出てきて、disるわけじゃないが、なんとなくうざったい気がして、僕は母さんとdiscussしてたんだが、一点目はカタカナ英語についての話、もう一つは道草するマウスについての話で、ようわからんが、長い母さんとのdiscussで見えてきた事としてはカタカナ英語ってのは陳腐な発想に思ったが、外来語を日本語として受け入れるためにカタカナがその役割を長く担ってきた。という事を踏まえて読むとわりと道筋が綺麗に見えたというか、ただ一冊この化合物まみれのわけのわからない文字の羅列に付き合おうとは思わないが、ビーカーを見た際に片仮名で満足しようという寸法で、確かにナウいとは言わないが、古くさい文明開化のモダンな明治からの伝統に基づく失念したが、があって、漢文から連なる悪習の伝統があって、いくぶんダサいが、僕の原文主義に対して、加工主義を認めれば、それもあるかとは思えて、大体が人によって好みはすごくあって、100%天然が好きな人もいれば、この数が小さいものを良しとする人もいて驚いた事がある。ただ繰り返すが1冊片仮名塗れの英語を見るのは苦痛だが。もう一つはマウスが最短経路を通ろうとする。道草をする。という話で、最短経路ならボロノイ図だろうとボロノイ図なら俺だろうと思ってるんだが、理屈はまだそちらについてはついていない。俺の方はサルがお金の概念を理解したという話みたいなサルでもわかるを体現した話よりマウスでも苦悩するってのは面白いじゃないかと認めてやっているのに向こうがそうでない風な事にはどうも不満気味だけど、それについては説明がつかないが、世の中の流れを変えられるわけでもないしなあ。ただマウスで実現したからだから何?ってところはあるにはあるけどなあ。ドラマ性があって、人間味があって、面白いには面白いが。