Kenny Macro
コトノハキッチンは、言葉の厨房。 言葉という素材を 切ったり貼ったりこねくり回したり、 煮たり焼いたり焦がしたりしながら、 自由に楽しむための遊び場。
広報、伝手を選ばず (こうほう、つてをえらばず)目的のためには手段を選ばないこと。 とくに自分を宣伝するためには手段を選ばないことを言う。 平気で人を利用する人たちのことを指すこともある。 広報とは、企業や団体が、商品の宣伝や活動内容などの情報発信する担当部署のこと。 広報担当となった者が、 親類縁者はもちろん、過去の学生時代の同級生や、 あらゆる友人知人に連絡を取って、 自分の利となるように宣伝を依頼しまくることを、 「広報、伝手を選ばず」と言うようになった。 この
質で罵倒質で罵倒 (しちでばとう) 自分に対しての周囲からの評価に満足できずに、 文句を言うこと。 質屋に持ち込んだモノに対して、 思っていたような価格がつかず、 店主に罵倒することに由来する。 質屋とは、 あくまでも借金をするところで、 その借金の担保として物品を預けるのであって、 中古品として買い取ってもらうものではない。 よって、持ち込んだモノの評価が低いということは、 借金の額が少ないということなので、 むしろ喜ぶべきことなのである。 このことから派生して、
Gメン、そっか! (じーめん、そっか)Gメン、そっか!とは、思い出そうとしてもなかなか思い出せなかったことを、あるとき突然思い出せること。 「Gメン75」とは 1970年代から80年代にかけて放送された刑事ドラマ。 リアルタイムで「Gメン」を見ていた世代が、 モノ忘れをしがちな年齢に近づいてきたことを意味する場合もある。 思い出せなくて、ヤツ友人と話していて、 子どもの頃に見ていたドラマの話題になった。 「ほら、結構長いこと続いてた刑事ドラマあったやん?」 ん? 太
マジ恐怖 マジ恐怖 (まじきょうふ) 本当に怖い目に遭うこと。 「マジで恐怖なんですけどぉ~」が 縮まった言葉とされる。 昨日、日本史の時間にさ、 ふと目を覚ましたら、顔を真っ赤にした先生が目の前に立ってるん。 どうやら、当てられて何度も名前を呼ばれてたけど爆睡してたみたいやねん。 滅多に怒らない人が怒ったときの顔って、すんごい怖いんやね。 マジ恐怖。 昨日の帰りにさ、 ボーっと歩いてたら車道に出てしもてたみたいでな、 正面からダンプカーが ガーーーっと来てて、
いいね!検証いいね!検証 (いいね けんしょう) 人の意見を鵜呑みにせず、 ときどきは自分を振り返ろうということ。 SNS投稿に対しての評価として、 「いいね!」がつくことを求めがちな世の中。 どういうことを発信すれば 「いいね!」がつくのかが先行してしまい、 本当の自分の意見が言えなくなってしまう人もいるらしい。 ときには、思い切ったことも呟いてみて、 心から共感できる人というのを探ってみることも 必要なんじゃないかな。 それが、 いいね!検証 囚われのマスクこ
書道苦情書道苦情 (しょどうくじょう) 書家の先生による「お手本」に、苦情を言うことに由来し、 指導に対して、ケチをつけることを意味するようになった。 転じて、 変わることを良しとしない姿勢も含まれる。 あるとき、お手本に対し 「昨日のとは、ここの撥ね方が違います」 と指摘した生徒、 「ワシはワープロではないからな~」と 軽く笑って流した書家、 「この先生、実は大したことないかも」と 生徒はバカにしたとか。 大局的なところから観る師と、 部分的なところしか見えない
過信ぎょうさん過信ぎょうさん (かしんぎょうさん) 勘違いしてる人が、あまりにも多いこと。 実力の伴わない自信、 すなわち、過信。 あるいは、勘違いとも言う。 ぎょうさんとは、たくさんの意。 実力のないものが、褒め称えられ、 その数が増殖していくこと。 一定数を超えると、もはや止められないので、 かなり厄介である。 靴下以上、パンツ未満いま、とてつもない勢いで身につけられているもの、 それは、マスク。 もともと、マスクとは、 用途としては、限られているもののは
ブックカバーチャレンジなるもの好きな本を1日1冊、7日間投稿し、 FB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。 それが、ブックカバーチャレンジ。 本との距離感と、 本を間に挟んでの紹介者との距離感とが見える機会なのだろうとも思う。 まさに、ソーシャルディスタンスね。 最初にリレーが回ってきたのは、何週間前だろう。 Aさんから、直接メッセージが届いた。 「ブックチャレンジの次、回してもいいかな?」 ごめんやけども、 そういうのはアレなんで、アレさせて
号砲ライラック号砲ライラック (ごうほうらいらっく) 物事を始めるのに最適な時期のこと。 号砲とは、開始の合図、 ピストル音のこと。 一斉にスタートするときに使われる。 ライラックとは、春から初夏に咲く花。 札幌市では毎年5月には祭りが開かれるほどの象徴。 これらから転じて、 小中学校などでは、気候の良い5月を運動会シーズンとし、 「号砲ライラック」と呼ぶようになった、らしい。 東京と、札幌とそれは突然のことだった。 国際オリンピック委員会(IOC)が、 2020
睨まれ損の…睨まれ損のくたびれもうけ (にらまれぞんのくたびれもうけ) 睨まれ損のくたびれもうけとは、 人と違うことをしていることで睨まれることがあるけれども、 気にしなくてもよいという意味。 視線というものには、感情が乗り移るものです。 睨むとは、鋭い目つきで見ること。 人から睨まれるような場合、 ひとつ言えるのは、 その相手は自分に対して好意をもっているものではないということ。 そもそもが嫌われているのだから、 こちらから近づこうとしたところで得られるものはなに
コロナの正体どんなことであっても、 賛成派と反対派が存在するはずなんです。 それが民主主義ってことのはずなんです。 なのに、どこもかしこも足並みそろえて、 新型コロナウィルス感染拡大の恐怖心を煽るような報道ばっかり。 そろそろ飽き飽きしてきません? 「コロナは風邪のようなもの」って言い出した人が取り上げられるようになったけど、 今ごろかい!って感じ。 新型コロナウィルスってね、 例えれば、ハチに刺されるようなもんじゃないかと思うんです。 確かに、しんどい目には遭う
どこに属するのか緊急事態宣言から1ヶ月が経過し、 さらに期間が延長されました。 先の見えない状況が、 いったいどこまで続くかわからない。 そんななかで、いま一度、 自分はどんな未来を描くのかについて、 考えてみたいところです。 ご商売をされている人であれば思い当たるでしょうが、 お客様の中にも大きく分けて3通りの方がいらっしゃいます。 こんなとき“だから”、来なくなっちゃったねという人。 こんなとき“こそ”、頼ってあげよう、使ってあげようと、 いつも以上に来てくださ
免疫力を上げるツボ 先日ある専門家から聞いたこと。 「免疫力を上げるツボは存在しない」らしい。 えっ??と思ったけれど、 よくよく考えてみると全くその通りな気がします。 免疫力を上げるツボっていうのが一ヶ所決まっているならば、 みんながそのツボを刺激することで、 誰も病気なんかしなくなる。 そうすると、いまのこの日本の社会の中にあるようにあちこちに病院とか治療所とかがあるということが不思議だということになります。 本当に一つのツボを刺激するだけで病気にならない、
新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、 いまは国難だとか言われています。 こういう時こそ慌てることなく、 普段と変わらない日常をできるだけ過ごすということを心がけたいと思います。 それって、ものすごく大事なことじゃないかなと思っています。 なにより、自助努力というか、 自分で自分の生活をを守ることが第一。 国からの給付であったりとか、 支援というのは、 助けていただくという意味では有難いことではあるけれど、 あまりそれを当てにしない、 頼らないほうが良いとは思い
緊急事態宣言が出てから一週間になろうかとしています。 いま現在、様々なことに気づかせてもらえるタイミングじゃないかなというふうに考えられます。 緊急事態宣言が発令されるのが遅すぎたんじゃないかとか、 もしくは欧米諸国並みにもっと厳しく規制をした方がいいんじゃないかとかと いうような声もあったりしますね。 あのね、振り返ってみたら、 規制が緩いとか遅すぎたとか、 そういう批判をしてる人って、 ご自身は外出してませんか。 これってもしかして、 規制が緩いから自分は外出して
今日は、不安の一極集中ということについて。 いま、口を開けばコロナのことが話題になっていて、 仕事が大変な状況だとか、 子供が学校に行けなくて大変だとか、 行政の対応に不満だとか。 みんなコロナに関する不安に集中してますね。 できなくなって不都合に感じていることのすべてを、みんなと一緒になってコロナのせいにしていることで、ちょっと楽でいられるというのがあるんじゃないかと思います。 だけども、ちょっと一歩引いて考えていた時に、 コロナがここまでの騒ぎになる前の生活の中で