認めてほしいと思うことは罪か
SNSは自慢大会と言われているとおり、ほとんどは自慢情報に溢れている。欲望が透けて見えると嫌悪感が起こりやすいのだが、「この自慢はいいけど、この自慢は不快感がある」と何かひとことでは片づけられない要素がそこにはある。
他者比較を 通じて自分が優れているということ
これは不快感を煽る代表格だ。自分が何か資格試験に合格した、新しいビジネスを始めた、代表に選出された、これ自体は「おめでとう」と純粋に思えることが多い。しかしその表現に他者比較が含まれていたら別だ。「こういうことをできていない人は多いですが」「多くのYouTuberはそう考えていますが」わかりやすくはこのパターン。何かを引き合いに出す引き合いはない。これは自分の喜び以上に誰かにマウンティングしたいという意思が透けて見えてしまうので、思っていてもSNSでは書かないようにしたい。
応用編が「私だけがxxだとおっしゃってくださるお客様も多くxx」という他者の言葉を借りて間接的に他者を引き合いに出している。ビジネス上差別化を図ることは大事だが自分から言うことでも無いと思うのが今のソーシャルメディアでは無いかと思う。
マウンティングも自慢も悪いことでは無いし、本人がそう言う生き方を納得して生きていれば口を出すことでも無い。
あらゆる発言には心根が透けて見える。多くの人は隠されていても敏感に感じとることができる。なるべくなら自分の嬉しい気持ちがあふれていることをSNSで発信できるように心がけたい。