自 由 (河野真太郎)
――守るべき「自由」/桎梏としての「自由」
自由とは何か
人はどのような場合に自分が自由だと感じるだろうか。逆に、どのような場合に不自由だ、または自由がないと感じるだろうか。
たとえば、人が外国へ行きたいと望んだとする。ある国に住む A さんは、外国に行こうにも飛行機代がなく、行けないとしよう。別な国の B さんは、お金はあるけれど、住んでいる国が海外渡航を禁止しており、行けないとする。この二人のうち、どちらが自由で、どちらが自由でないと、あなたは思うだろうか。
あくまで推測であるが、現在の日本に住んでいる人のほとんどは、A さんのほうが自由だと思うのではないだろうか。
ではこの二人のそれぞれの状況をもう少し詳しく描いてみよう。A さんは、飛行機のチケットを買えないどころか、家もなく、日雇いの仕事を見つけては暮らしている。家族はない。定職を見つけようとしてはいるが、A さんの年齢では難しい。体が動かなくなったらどうやって生きていけるか、見当もつかない。B さんの住む国は鎖国状態だが、国民全員に基礎所得が与えられている。つまり、B さんが失業をしても暮らしに困ることはまずない(労働は義務なので、健康であるかぎり失業はないのだが)。教育機会も平等に与えられ、老後も贅沢はできないが保障されている。もちろんそれを実現するために、税金はかなり重い。財産の相続もできない。死後、財産は国家が徴収し国民に分配する。
さて、A さんと B さんのどちらが自由だろうか。前段で A さんのほうが自由だと思った人は、たとえ「後出し」の情報があるとしても、責任をもってここでも A さんだと答えなければならないだろう。A さんは、お金はないけれども、飛行機のチケットを買い、国外に行くことを法律で禁じられてはいない。定職はないけれども、定職を望むことを禁じられてはいない。もっとお金を稼いでよい生活をすること、それを望むことを禁じられてはいない。だから自由である。それにひきかえ、B さんは海外渡航はおろか、自らの努力によって蓄財し、平均以上の豊かな生活をすることは、事実上法律によって禁止されている。
この対比はあまりにも極端で非現実的な仮定だと思われるだろうか。A さんの状況は、現在の日本、または資本主義の国にあてはまるので現実的だ。しかしB さんの状況は、ちょっと現在の世界では想像するのが難しいかもしれない。いや、想像するとして、これはいわゆる「全体主義」に、職業や所得の保証を付け加えただけの国であり、現在の世界から考えると単に非現実的な国だと思われるだろうか。
ちょっと勘のいい読者ならば、ここで私は B さんの国を、現在とは違った理想的な国として持ち上げようとしている、と思うかもしれない。
しかし、そうではない。ここで言いたいのは、私たちの「自由」に対する考え方は、A さんと B さんの例で示したような極端な二分法に制限されている、ということである。またそのような制限こそ、私たちの現在を雄弁に物語るものではないか、ということである。
消極的自由と積極的自由
この二分法に端的な名前を与えるなら、それは「市場での自由」と「強い国家のもとでの自由」というふうになるだろうか。A さんの自由とは、国家に強くは統制されていない市場における自由である。その自由とは、市場経済において自らの能力を磨き、職業を選択し、労働し、財産を所有することを、国家や法によって禁じられていないという意味での自由である。A さんはたまたまそのすべてに失敗しているように見えるが、そのような、可能性としての自由は奪われていない。対して、B さんに自由がないと感じられるとしたら、それは、国家や法によってそういった行為がすべて禁止されているからである。だが、住む国のことは忘れて、純粋に A さんと B さんの個人的状況を比べたらどうだろうか。明らかに、B さんのほうが多くの自由をもっているとはいえまいか。
このような二つの自由のあり方を表現した言葉に、「消極的〔ネガティヴ〕自由」と「積極的〔ポジティヴ〕自由」という言葉がある。これはイギリスの政治哲学者アイザイア・バーリンのエッセイ「自由の二つの概念」で有名な区分だ。[注1] 消極的自由は、「……からの自由」という言い方で表現できるものである。一言でいえばこれは、他者の力によって何かを強制されていない状態のことだ。身体を拘束されないこと、労働を強制されないこと、法によってなんらかの行動を禁止されないこと……と、否定〔ネガティヴ〕のかたちで定義される自由である。いっぽうの積極的自由は「……への自由」と表現されうる。これは、自分の意志や能力を発揮・実現する自由であり、「……できること」という肯定のかたちで表現可能だ。しかし、積極的自由は自然の状態のままで実現するものではない。もちろん、消極的自由は積極的自由の条件のひとつになりうるが、それだけではだめなのだ。というのは、たとえば、決められた量の水しかないときに、ある人がある分量の水を使う自由を行使すれば、ほかの人間の自由はそれだけ制限されることになる。そこで、個々人の積極的自由は、お互いに調整されることが必要になる。それぞれの相矛盾する積極的自由を、公平に制限することによって。
A さんは、消極的自由をもっている。A さんはほかの人間や国によって何かを禁止されてはいないからだ。それに対して、B さんのもつ自由は積極的自由だと言えるだろう。たしかに B さんは、さまざまな禁止を受けているので、かなりの消極的自由を奪われている(という言い方もおかしいが)。しかしそれは、B さんの国に住むあらゆる人の積極的自由を、お互いに調整して平均化した結果であると言える。
ただ、この消極的自由と積極的自由という二分法を抽象的な理屈として考えていくと、たちまちに袋小路に入ってしまう。たとえばまず、完全に消極的自由が実現した状態、つまり自由になんの制限もかけられていない状態というのは考えうるだろうか。これはちょっと考えただけでも、なさそうである。人は他者のいない真空で生きているわけではないのだから。いっぽうの積極的自由についても、その根拠はかなりあやしい。上に述べたとおり、積極的自由は、個人の意志や能力を前提にしている。しかし、本当に個人には完全に合理的で自律的な自由意思というものがあるのか。あなたがある帽子を買いたいと望んだとして、ほかのあらゆる人たちにその納得できる理由を説明できるのか。「だって、これが欲しいんだもん(I want this, because I want this.)」という同語反復におちいらずに。[注2]
積極的自由が前提にしているのは、そのような個人の合理性だけではない。先ほど、Bさんの状態は、「あらゆる人の積極的自由を、お互いに調整して平均化した結果」だと述べた。ここで前提とされているのは誰かといえば、人間である(もちろんそれは代表の集まった議会であるかもしれないし、独裁者かもしれないが、ともかく人間である)。つまり、人間の理性をもってすれば、すべての人の自由を平等に制限し、平等に実現することが可能だということが、どこかで前提とされているのだ。しかし、そのような理性や合理性というのは、個人のそれと同じく、あやしいものだ。あやしいものであるはずなのに、歴史を振り返ってみれば、多くの人々が国家や独裁者にそのような理性があると思い込んで行動する例は多い。
じつのところ、先に紹介したバーリンは、(かなり言い換えてはいるが)いま述べたような理由で積極的自由に危険性があると見ている。積極的自由のすべてを否定しているわけではなく、それが個人の自律性を打ち消さないかぎりで、重要だと考えている。しかし、個人の自由が完全に調整された理想的な状態を求めることは、そういった自律性を奪う「全体主義」につながると考えているのだ。バーリンは、エッセイ “Two Concepts of Liberty” の結論で次のように述べている。
規律に縛られた権威主義的な、偉大なる社会構造のうちに、階級や、民族や、人類全体による「積極的」な自己統制の理想を見いだそうとする者たちのめざすものよりも、「消極的」自由という基準をともなう複数主義のほうが、より真実でより人間的な理想であるように、私には思われる。(216)
「自由」の歴史
バーリンのエッセイは、1958 年に行われた講演録として出版されたものである。突然に出版年を確認したのは、自由という言葉には歴史がある――つまり、変化してきた――ことを確認するためだ。ぼんやりとでも世界史の知識をもっていれば、上の引用でバーリンが否定しているものが具体的に何かはわかるだろう。第二次世界大戦時の全体主義、同時代の冷戦下での共産主義、さらには当時沸き起こっていた民族運動である。実際、ここでバーリンが「権威主義」と十把一絡げにするものと「自由」との関係をこの時代に考えたのは、バーリンだけではない。たとえば、消極的自由と積極的自由という言葉を考案したのは実はバーリンではなく、『自由からの逃走』(1941年)のエーリッヒ・フロムであった。『自由からの逃走』は、「自由」に耐えられなくなった人々が、「自由」を放棄して権威のもとに集まり、それが全体主義となったと主張する書物であった。
しかし、バーリンが自由の二分法を打ち出した背景にあるのは、上記のような「国際的」な要因だけではなさそうである。50 年代から 60 年代のイギリスは、戦後の困窮から復興し、いわゆる福祉国家の繁栄を見た時代である。フォーディズム的な大量生産と大量消費で経済が好循環になり、完全雇用の理想が達成され、生活水準は向上した……これが、この時代の基本的なイメージであろう。この状況と、バーリンの自由論との関係は、どのようなものなのだろうか。
ここで提示しておきたい答えは、非常に単純なものである。すなわち、バーリンの自由論は、東西の冷戦構造の中で、西側の福祉国家体制を正当化するものだった、ということだ。福祉国家体制は、現在なら「社会主義的」といって非難されそうな、国家の経済への介入を特徴とする。しかし、それはあくまで東側の「全体主義」とは異なるものである。あくまで、個人の自由を国家の力によって制限することはない、「『消極的』自由という基準をともなう複数主義」だ、というわけである。
そう考えると、消極的自由と積極的自由とは、対立項などではけっしてない。バーリンは、積極的自由(国家による「全体主義にはならない」経済介入)と消極的自由(個人の市場における自由)の複合体を構想することで、福祉国家体制における「自由」を考えようとしたのではないか。結局のところバーリンは、自らが否定するロジックにはまり込んでいる。つまり、バーリンはどこかで消極的自由と積極的自由が均衡する理想的な状態を想定しているのだ。その均衡を保証するものは何か、と考えると、バーリンは人間の意図による集合的な「計画」には反対するのだから、「神の見えざる手」が出てくるまであと一歩だと思える。
ここで気をつけたいのは、このような二分法をもって「全体」を説明しようとするときには、往々にしてそれは、その二分法の外部を見えなくさせるためであることが多い、ということだ。たとえば、世界を善と悪に分けて考えることによって、世界は非常にわかりやすくなるような気がする。しかし、当然のことながら、白と黒に分けることによってグレーは見えなくなるし、そもそもたとえばある人間やその行為が、見方によっては善であるし見方によっては悪にも見えるが、その二つの見方のどちらも同等に真実であるような場合は、排除されてしまう。
自由を思い出す
さて、それではどうすればよいか。まず、バーリンの二分法に現在の私たちもとらえられていることを確認する必要があるだろう。現在は、消極的自由が全盛の時代に見える。つまり、少なくともここ 20 年間(もしくは 30 年間)は、民営化と市場の自由、そしてその市場での個人の自由とそれと表裏一体の「自己責任」の時代であった。
それにうんざりしたから、では今度は積極的自由へと舵を切ろう、つまり福祉国家的な方向にもう一度戻ろう、というのは、不十分である。消極的自由/積極的自由、または最初に示した言い方では「市場での自由」/「国家のもとでの自由」の対立は、対立するものではない。それらは相互補完的なものであり、対立の見せかけによって、その外側を見えなくするための装置なのだ。また同時に、前節で示唆したように、福祉国家の自由論であるはずのバーリンの議論は、その後の新自由主義的な市場原理主義と矛盾するものではなかったからだ。(むしろ、新自由主義では積極的自由――たとえば自己実現への欲望――が大いに利用されつつ、同時に非常に恣意的かつアンバランスに制限される。)
たとえば、1997 年から 10 年間、イギリスの政権を握ったトニー・ブレアが提唱した「第三の道」というのがある。これは、社会学者アンソニー・ギデンズの『第三の道』(1998 年)を理論的支柱とするものであった。これは、その名前からして、あたかも上記の二項対立を「超える」もののように見えるかもしれない。しかし、ギデンズの本の、「効率と公正の新たな同盟」という日本語訳の副題が見事に――「社会デモクラシーの再興」という原書の副題が隠蔽している、この本の意図を暴いているという意味で、見事に――示しているように、これは、消極的自由(効率)と積極的自由(公正)のバランスを再調整するものにすぎない。新自由主義とグローバリズムに対応する消極的自由は保存しつつ、それを補完するものとしてのワークフェア的な福祉(積極的自由)を強める、というかたちで。
イギリス政治の話が縁遠く感じられるなら、あらためて冒頭の A さん、B さんの例を考えてみていただきたい。前述のとおり、二人の例はかなり極端な想像ではある。しかし問題なのは、現在、自由という言葉を説明するのに、私にはこのような例しか思いつかない、という事実である。そのような思考の制限を乗り越えるにはどうすればよいだろうか。
そのためには、制限のありようを解きほぐすのと同時に、排除されたグレーゾーンそのものを発見する作業が必要になるだろう。
たとえば本項での「登場人物」は、国家と個人だけである。ほかの人間集団と個人の自由との関係を考えると何が見えてくるだろうか。おそらく、驚くべきことに(驚いてほしいのだが)、すくなくとも現在、個人の自由を守ってくれる(積極的自由を調整してくれる)人間集団を国家以外に想像するのは、かなり困難なのではないだろうか。たとえば家族はどうだろうか。部分的には家族はその構成員の自由を守るかもしれない。しかし、家族自体が私的所有の単位であり、マーガレット・サッチャーが述べたようにそれ以外には何もない(市場しかない)とすると、それは十分ではない。
いや、そもそも、国家は人間集団として想像されているだろうか。また国家は個人の自由を理想的に調整するものとして想像されているだろうか。昨今支配的な、ほぼ脊髄反射的な、消費者マインドに満ちあふれた官僚批判を考えても、それはなさそうである。そうすると、目の前に広がる風景は非常に荒涼としたものだ。市場の中で、個人が、もしくは個人に等しい家族がその自由を求めて争う、競争的な社会。
そう、社会である。どうやら問題は、本書の「社会」の項において論じられている、社会の意味の変化、そしてそれによりそって起こった個人の意味の変化であるようだ。社会についてはその項を読んでいただくとして、個人について、レイモンド・ウィリアムズは、「18世紀になるまで、個人(individual)は、それが属する集団、その個人が究極の分割不可能な部分となって構成している集団との関連ぬきに語られることはほとんどなかった」(Keywords 163)としている。そして、一九世紀に、そうではない個人、つまり属する集団とは切り離された個人が登場するとしている。ここで、「成長」の項でも述べている、成長の個人化の過程を思い出してもよい。
おそらく危険なのは、ここで反射的に、「19 世紀以降に個人の自由が進展した」とのみ結論づけることであろう。個人が集団の縛りから解き放たれたと。そのように考えてしまうことこそが、今の私たちの制約なのである。むしろ私たちは、集団から解放されたわけではなく、自分たちの属する集団のしくみが見えなくなってしまっただけだ(これについても「社会」を参照)。私たちの積極的自由は、その見えない集団に調整されているはずなのだが、それがどのようになされているかがわからなくなっている。わからなくなったときに、その集団(たとえば国家)は個人の自由を制限するだけのものとして立ち現われてしまう。[注3]
そこで同時に生じる制約は、自由とは、私たち個人の私有財産に対する権利のことであるという考え方だろう。しかし、どのような社会であれ、社会の富の総体は、個人の富を足し算した合計ではない。みなで共有して使っている道路や橋、世代をこえて受けつがれる知識、さらには私たちがその中で暮らし、そこから富を生み出している自然、こういったものも社会の富であり、それらを共有することが私たちの自由を保障しているのだ。[注4] だが、そのことが、突発的な災害に見舞われたようなときを除いて、見えなくなっている。いや、そのようなときこそ、見えなくなっているという事実が突出してくるのかもしれない。
しかし、どうやら私たちは、それが見えなくなっていることには気づいている。そしてそれに苛立ったり、戸惑ったり、怖がったり、悲しんだりしている。この反応そのものは本物である。本物であるなら、霞のむこうに消え去りそうになっている、忘れられた自由への希求も、本物であるのだろう。
[注1] 「自由」は原題では liberty であり、英語の liberty と freedom は用法の上で必ずしも交換可能ではないが、バーリン自身がこの二つの言葉は区別せず論じると断っているので、それにしたがってここでは区別せず、「自由」という言葉を使う。
[注2] このような自律性の根本的な無根拠については、ヴェルナー・ハーマッハーを参照。
[注3] フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生』において、ジェレミー・ベンサムが構想したパノプティコン(一望監視型監獄)を、近代の権力のあり方の典型として提示している。これは、囚人からは看守の姿が見えないが、その「見えない」という事実こそが監視を内面化し強化するというものであるが、その意味でここに述べた「見えない集団」に近いものである。ただし、フーコーの指摘は近代の権力に関するひとつの発見というよりは、その議論自体が近代の社会に生きる人間の感情の構造を表現したものととらえたい。
「注4」 こういった富を社会的共通資本として評価する著作としては、宇沢弘文『社会的共通資本』を参照。
参 考 文 献 (リンク先をご覧ください)
〈著者紹介〉
河野 真太郎(こうの しんたろう)
専修大学国際コミュニケーション学部教授。
専門はイギリスの文化と社会、新自由主義と文化。
著書に『戦う姫、働く少女』(堀之内出版、2017年)など。共編著に『終わらないフェミニズム――「働く」女たちの言葉と欲望』(研究社)、『愛と戦いのイギリス文化史――1951-2010年』(慶応義塾大学出版会、2011年)など。訳書に『暗い世界――ウェールズ短編集』(堀之内出版)、(レイモンド・ウィリアムズ『共通文化にむけて――文化研究I』(共訳、みすず書房、2013年)『想像力の時制――文化研究II』(共訳、みすず書房、2016年)など。
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